<「福岡聖書研究会だより」>

 福岡聖書研究会より、「福岡聖書研究会だより」をお送り頂きました。

 福岡聖書研究会は、内村鑑三先生召天2年後の1932年(昭和7年)に始められ、89年の歴史を持つ無教会主義キリスト教の集会です。現在は、アクロス福岡(〒811-0001 福岡市中央区天神1-1-1)の一室を借りて公開の集会を行っておられます。

「聖書の使信に真面目に耳を傾けたいと思われる方は、ご遠慮なくお出で下さい。何らの資格も経済的負担も要りません。」とのことです。

 

 福岡聖書研究会へ(リンク)


「福岡聖書研究会だより」第47号

目 次

ごあいさつ

メッセージ

集会の記録

聖書講話抄録

特別集会

行事など

松村康姉のおわかれ会

特別寄稿

 渡邊信雄兄逝く(助川 暢)

編集後記

集会案内

 

 

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☆ごあいさつ ☆/「ガザに下る道」に思う

秀村弦一郎

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムから ガザに下る道を行け」と言った。そこは寂しい道である。(使徒8:26)

 

 ここに登場するフィリポは、十二弟子の補佐役として選ばれた七人の一人で、サマリア伝道から転じてエルサレムを経て、ガザに向かっていました。「寂しい道= eremos」は「荒野」で、福音から遠い暗黒の地という含みでしょう。その途上、彼 はエチオピアの高官に遭遇します。彼は宦官でしたから、心中に深い悩みを抱えていて(*)、エルサレムに礼拝に来ていたのかもしれません。

*申命記 (23:2) に宦官は救われない者とされています。/睾丸の潰れた者、陰茎の切り取られた者は、主の会衆に加わることはできない。

 

 彼は馬車に乗ってイザヤ書を読んでいました。宦官への慰めの言葉がありますからイザヤ書は彼の愛読書だったのでしょう。

 

宦官も言ってはならない「見よ、私は枯れ木だ」と、主はこう言われる。/宦官が私の安息日を守り/私が喜ぶことを選び/私の契約を固く守っているならば私の家と城壁の中で私は、 息子、娘にまさる記念のしるしと名を与え/消し去られることのないとこしえの名を与える。(イザヤ56:3~5)

 

 馬車に追いついて同乗したフィリポは、宦官が読んでいたイザヤ書 53 章 (苦難の僕) がイエス・キリストの預言であることを教えました。そして荒野の中の水場で宦官は受洗したのでした。異邦人伝道の最初の実として記録されています。

 フィリポはここで姿を消し、アゾト(**)に現れ、カイサリア(***) で伝道する に至りました。(使徒8:26~30)

**アゾトは旧約のアシュドドで、ペリシテの町。イザヤが裸で歩くという示威行動をもって、ユダの民にアシュドドが起こした反アッシリア運動に加担することを諌めた、神に頼れ、と。

***約20年後パウロがカイサリアに立ち寄ってフィリポの家に泊まっている。 

翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。(使徒21:8~9)

 

 フィリポの4人の娘は預言の力を持っていたといいますから、一家を挙げて福音伝道に携わっていたのでしょう。カイサリアは後のキリスト教にとって大切な地にな りました。神学者オリゲネスは230 年以降この地に定住して学校を開いて伝道と研究に余生を捧げたといいます。また『教会史』の著者エウセビオスも、カイサリア出身で、313年以降ここの司教として活躍しました。カイサリアがキリスト教学の牙城となった背後にフィリポの信仰があったことを忘れてはならないと思います。

 他方で、宦官の国エチオピアには後にコプト教会が成立して、アフリカ最初のキ リスト教国になりました。(*) [以上は高橋三郎『使徒行伝講義』に負うところ大。]

*なお、隣接するエジプト南部(ナイル河野)のエレファンテネには、B.C.6世紀から離散のユダヤ人(バビロン捕囚時に逃げた)が居住していた。アレキサンドリアは七十人訳聖書が生まれた地でもあり、カンダケが旧約聖書に触れていて不思議ではないと思われる。

 

 ところで、福岡聖書研究会でのルカ福音書の学びで注目したイエスの言葉があり ます。それは、イエスがペトロの裏切り (3度の否認) を予告された時、残りの弟子たちも皆イエスに躓く、と言われましたが、ペトロだけに言われた次の言葉です。

 

「しかし、私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、 あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 (22:22) 

 

 皆が躓きますが、神は一人ペトロを選んで立ち返らせ、他の皆を救い出す役割を与えられる、というのです。のちに復活のイエスに出会ったペトロは、イエスが祈られた通りに弟子たちのリーダーとなって、パウロと共に福音伝道に邁進しました。 

 神は創造された万人を愛していつも共にいてくださいますが(インマヌエル)、 万人の救済には手順を踏まれるようです。一網打尽に一気に救われるのではなく、まず一人を選ばれて、周囲の人々に救いのみ手を拡げさせられる。一人のペトロ、一人のパウロ然り、一人のルター、一人の内村鑑三が然りではないでしょうか。 

 私たちはガザの阿鼻叫喚を、ウクライナの悲惨を、一気に神が一網打尽で救い給うことを祈ってやみません。しかし忘れてならないことは、ガザに、ウクライナに、 一人のリーダーが起こされることを祈らねばならない、ということではないでしょ うか。

 

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、 収穫の主に願いなさい。」 (マタ9:37~38)

 

 ガザ途上でのフィリポと宦官の記事を読み、その後のカイサリアやエチオピアの歴史に神の指跡を見せていただくとき、神の国の到来を約束されたイエスの言葉を信じて歩みたいと思わされます。

 矢内原忠雄先生は、「神の水車はゆっくり回る」 と言われました。神の一日は私たちの百年でしょうか。ペトロやパウロの活動からキリスト教がローマの国教にな るまで300年、ルターの宗教改革からアメリカの誕生まで250年、神の時間のスパンに私たちは付き合いきれませんが、キリスト再臨の約束に勝る希望はありません。

 暗闇のうちに迎える新しい年も、イエス・キリストご降誕に籠められた神のみ旨を信じて、希望と喜びに生きたいと思います。 Merry Christmas!

 


「福岡聖書研究会だより」第46号

目 次

ごあいさつ

メッセージ

集会の記録

聖書講話抄録

特別集会

行事など

田中道子姉のお別れ会

特別寄稿

 九重聖書集会2022講話(成瀬光)

編集後記

集会案内

 

 

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☆ごあいさつ☆

秀村弦一郎

 今年(2022 年)2月 14日は、福岡聖書研究会が発足して90年の記念日でした。 内村鑑三召天の翌年に、弟子であった田中謙治氏ほかによって福岡市内で内村記念会がもたれ、翌1932年に田中氏の自宅を会場に、聖書集会が産声を上げたのでした。それは、九州で最初に誕生した無教会集会でもありました。爾来あの大戦を始めとする様々な苦難を乗り越えて、またコロナ渦中も ZOOM の助けで、 休むことなく福音の灯火が掲げ続けられたことは驚くべきことだと思います。 組織無く、会堂無く、賣金も無い、無い無い尽くしの営みが 90年も続いたことは人間業では不可能なこと、誤った道にさ迷い出ても糾し給うたこと、主のみ業としか言いようがありません。 2月13日の集会で、一同来し方を想起しつつ、お恵みに感謝しました。 

 そして7月24日 (日) の集会では、明治の宣教師エステラ・フィンチ女史を記念することも許されました。フィンチの活動を支えた黒田惟信牧師の孫・海野涼子さんから ZOOM でお話を伺ったのです。

 フィンチ (1869年アメリカ生)は24歳で召命を受け来日、 黒田牧師の助言もあ って横須賀で軍人伝道を始めます (1889 年)。宜教団体などの派遣支授を受けることもない独立伝道で、教会を名乗らず「伝道義会」としてスタート、30年間に約1万人(延べ19万人)に褔音を伝え、約1000 人が枚われ、特に海軍機関学校生(田中氏もその一人) の 5.4%がクリスチャンになったといいますから、驚きです。40歳で帰化して星田光代と改名、内村鑑三と親しく交わり (内村全集にその名が頻出します) 日本に骨を埋めました (55歳) 。

 福岡聖研創立者の田中氏は彼女によって信仰に導かれたのです。そして、フィンチを内村が支援した(1893年頃から)関係もあって、フィンチの召天後に内村の弟子になりました。即ち、私たちの集会の源泉は内村を通ってフィンチにあるのです。90周年の年に、そのことを心に刻むことができたのも感謝でした。(フィンチについては、 海野涼子著 「エステラ・フィ ンチ評伝」 芙蓉書房出版が発刊されました。) 

 ウクライナ戦争の渦中にある今日、日本の「軍人伝道」 に生涯を捧げた米国婦人がいたことを、改めて心に刻みたいと思います。最も福音から遠いところに存在するかに思える軍人をも捕らえるイエスの福音の力は、その信仰がイエスに絶賛された無名の百人隊長 (ルカ7:1~10) 、イタリア大隊の百人隊長・コルネリウス(使徒10章) などの記事を通して聖書に明らかにされています。

 田中氏宅での集会は会場をアクロスに移すまで 66 年に及びました。その大半の期間、集会のお世話をして下さった田中道子さんが 3月に召されました。私たちを取り囲む環境は大きく変わっていますし、集会も一つの区切りの時を迎えているとの感があります。しかし、聖書の真理は変わることがありません。主が許し給うならば、これからも福音に固着して歩みを続けていければと願っています。 

 


「福岡聖書研究会だより」第45号

目 次

ごあいさつ

メッセージ

集会の記録

聖書講話抄録

特別集会

行事など

田中利幸兄の葬儀

特別寄稿

 1 九重聖書集会2021講話(小舘美彦、知子)

 2 内村鑑三生誕160年記念講演会(瀬戸毅義、小舘美彦)

編集後記

集会案内

 

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☆ごあいさつ☆

秀村弦一郎

 「イエスは何者か?」 がルカ福音書前半のテーマの一つです。イエス自身からこの問いを突きつけられて、ペトロは「神のメシアです」と答えました。正解でしたが、ペトロを始め弟子たちが考えていたメシア(救い主)は、力ある地上の支配者でした。イエスは受難予告をもってそれを正されます。全ての人の罪を担うメシアなのだ、と。そして変貌の山で弟子たちは神の声を聞きます。シナイ山でモーセに与えられた十戒に代わる神からの新しい戒めは「これ(=イエス)に聞け」でした。十字架にまで低く降り給うイエスは、苦しみ悩む全ての人に寄り添って救い給うのです。山上で弟子たちが垣間見た光景は、私たちにも与えられる復活の約束でありました。しかし弟子たちが、イエスがそのようなメシアだと分かるには、イエスの復活を待たねばなりませんでした。(ルカ福音書による記事はP.29参照)

 光に満ちた変貌の山を降られたイエスを待っていたのは、神不在の闇でした。イエスは嘆き、憤られます。十戒を受けて山を下ったモーセを待ち受けていたのが、モーセを見失った人々による金の子牛の騒ぎであったことを想起させられます。

 今日コロナ禍に覆われた全世界は神を見失っています。 報道によれば世界のキリスト信徒は激減しているとか(米国で2009年の77%が、2019年65%)。信じられるのは人間の知恵、特に科学技術になっています。しかし、神ならぬ金の子牛崇拝がもたらす結果を恐れなければなりません。人知の限界が噴出する様々な問題(地球環境問題が生む食糧危機や水不足、政治の混乱による貧困、人権問題等)が明らかになっています。核兵器や原発は人類絶滅の危機を斎しています。ここに来て環境破壊が原因というウイルス(ワクチン)問題も押し迫りました。パウロが言う「被造物が虚無に服している(ローマ8:20)」、その根本に人間の罪があります。

 ここに私たちは、罪の問題を唯一解決する十字架を仰ぎます。そして、復活と主の再臨の希望に固着したいと思います。暗黒が世を支配しているかの如くでありますが、神の支配は揺らぐことは無いということを、心に刻みたいと思います。

 クリスマスを迎えるにあたり、日々到来される復活のイエスに出会うことを赦されている私たちの幸いを思います。 新しい年もイエスに倣って、周囲の困窮する人々への愛の眼差しを忘れないものとして歩みたく思います。