<訪韓の旅>

 2019年4月に、日韓青年友和の会主催の訪韓の旅が行われました。

 当集会のメンバーが参加し、韓国無教会の兄弟姉妹と親しく接することができました。

 これが切っ掛けとなり、水戸無教会誌をお送りしたところ、聖書信愛誌をお送りいただきました。

 言葉の壁がありますが、日韓無教会の交流には、長い歴史があります。

 これからも、交流が続けられることを祈ってやみません。

 訪韓初日に金浦空港にて(日韓両国の参加者)。

ソウル市内にて(日本側参加者)

「聖書信愛」雑誌を発行している梧柳洞集会のクリスマス集会の様子。梧柳洞集会は、無教会関係の日本語書籍を収蔵した梧柳文庫を運営しています。

 2023年11月4日の無教会全国集会に参加するため、韓国無教会の皆様が来日されました。移転新築されて間がない今井館で開催された全国集会に参加して日本の教友と交流されたほか、内村鑑三の墓参もされて良い思い出を作られました。(羽田空港にて)


<「聖書信愛」誌>

 「聖書信愛」は、長い歴史を持つ伝道誌です。

 内村鑑三に師事した宋斗用(ソン・ドゥヨン/1904~1986)先生により、1946年に創刊された「霊断」誌がもとになっています。その後、「霊断」誌は、「隠れた生活」→「聖書人生」→「聖書信仰」と名称を変更しつつ継続し、「聖書信愛」となって現在に至っています。

 「聖書信愛」誌の特筆する点は、月刊誌であるということです。内村鑑三の「聖書の研究」も月刊誌でしたが、毎月欠かさず発行するのは、とても大変なこと。層の厚い信徒(読者)、執筆者がいなければ成り立ちません。また、編集長であるソン・ヒョンソプさんの並々ならぬ働きがあって初めて出来ることです。

 それから、日本人の文章の翻訳があること。塚本虎二、矢内原忠雄といった日本の無教会の先人の文章が、翻訳されて連載されています。韓国無教会の中でも、特に「聖書信愛」に関わる方々は、日本の無教会の良き理解者であると思います。

 興味深いのは、マンガのページですね。水戸無教会誌もそうですが、日本の無教会の伝道誌は文章が中心ですので、マンガが掲載されているのが、とても新鮮でした。先ず、マンガからお読みになる読者も多いのではないでしょうか。

 「聖書信愛」を紹介する、このページが、日韓の交流に少しでも役立てば幸いです。



○「聖書信愛」2024年3月号(第510号) 目次

・巻頭言「高い病院費に驚く」         ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ26:42〜75)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 56         ソン・ヒョンソプ

・見よ、私が新しい空と新しい土地を創造する  ヨン・チャンホ

・パウロ使徒小伝4              チェ・ジョンイル

・希望の目でエホバ神様に向かって       チョ・キュチョル

・正義は、誰が守るのか            チェ・チェホン

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・2024春の全国集会案内          編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

 

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巻頭言「高い病院費に驚く

 

 私はずっと前から腰の調子が悪くて苦労した。30歳の頃、ある日、 突然腰に異常が生じた。その日は妻の実家に行くことにした日なので、妻から「行きたくないから仮病を使っているのか」という無念な話まで聞いた記憶がある。

 その日以来、今まであらゆる治療をし、腰の筋肉運動をしながら耐えてき たが、ついに最後に到達したようだ。左足が麻痺し、痛みが激しくて足を引きずりながら歩くようになった。破裂したディスクが神経を押したからだとし、結局内視鏡手術でその部分を除去することにした。

 病院を訪問して検査を受けて手術決定をした後、相談室に案内した。医者が言いにくい費用関連の話を聞くところだ。手術時の留意点を説明した後、国民健康保険の非給与項目が次々と書かれた書類を差し出した。驚くべきことに内視鏡手術も非給与、リハビリ治療項目のほとんども非給与、特別効果が良いという薬も非給与、腰の補助器も非給与だった。

 非難を避けるためか、保険適用の一般的な手術治療と薬を使ってもいいと付け加えた。お金が足りなければ、もっと長くかかり、もっと痛い治療を受けろという話だ。以前は「特診」という名前で高額の特別診療費を請求して患者を泣かせていたのに、非給与だらけとは!とにかく1週間の入院治療費が800万ウォン前後だと言った。

 「え!こんなに高いの?」 

 韓国ほど国民医療保険がうまくいっている国は珍しいという話を数え切れないほど聞いたが、巨額の要求を聞くと、その賞賛が本当なのか疑わしかった。米国で長く暮らしてきた息子が、 米国なら保険の種類によって違うが、おそらく千万ウォン以上だというからそうと言わざるを得ない。しかし、田舎の老人たちがなぜそんなに痛い体で我慢して過ごしたのか理解できる病院費だった。とにかく、これまで節約しておいた予備費の銀行残高が空っぽになりそうだ。もったいない!

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

#手術した日から痛みやしびれがなくなり、感謝しています。  

  


○「聖書信愛」2024年2月号(第509号) 目次

・巻頭言「最も幸せな時間」          ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ24:26〜51)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 55         ソン・ヒョンソプ

・私たちは泥、主は土器職人          ヨン・チャンホ

・創世記の学び1               チェ・ジョンイル

・ヤロブアム王                チョ・キュチョル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・聖誕                    チェ・チェホン

・写真で会う無教会全国集会          編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

 

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巻頭言「最も幸せな時期

 

 私が釜山に引っ越してきてもう2年。孫3人と息子夫婦を含めた7人家族が神様の恩恵の中で元気に過ごしている。特に家庭集会の時間は4人が順に聖書の勉強を発表し感想を交わすが、2歳になった末っ子もアー メンを叫ぶので、恩恵に満ちた時間だ。

 私の一日は一人の礼拝から始まる。主に祈り聖書を読んだ後、静かに賛美歌を歌うと、音程がおかしいと笑って妻が部屋から出てくる。その時から孫たちのための朝食の準備を一緒にする。子供たちがおばあさんのご飯がおいしいと言って始めたことだ。

 長女は規則少女で、毎朝6時になると目をこすってうちに来て勉強をする。 最近は次男も勉強欲を出してハングルを習っているところだ。それを見た三番目も絵本を持ってくる。勉学の雰囲気で微笑ましい朝の風景だ。私たち夫婦は教師出身なので、互いに分担して子供たちを指導する。

 わいわいご飯を食べたら8時。孫3人を乗せて保育園、幼稚園、小学校 に行く。あれから暇な余裕時間だ。午前中に自転車に乗ったり、 森の道を歩いたりして、仕事を少ししたら午後3時。子供たちを連れてくる時間だ。朝と逆に、先に1号を連れてきて妻に引き渡せば、おやつを用意し、勉強も一緒にする。その間、 私は2号と3号を連れてくる。急いでおやつを食べさせ、またテコンドーの塾に。1号と2号が唯一通う塾だ。この時、3号は妻と残る。一時間後、塾からまた家にピックアップ。その時からは退勤した嫁が子供たちを連れて行き、私たちの日課は終わる。

 夜は私たち二人とも一番好きな活動時間。私は卓球場に行き、妻は一人でテレビをつけて漫画を描きながら幸せそうだ。周辺の人々が「一番幸せな時期」と言って羨ましがる。実にそうだ。ただ感謝ばかりだ。

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

  


○「聖書信愛」2024年1月号(第508号) 目次

・巻頭言「父との別れ」            ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ24:26〜51)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 55         ソン・ヒョンソプ

・私たちは泥、主は土器職人          ヨン・チャンホ

・創世記の学び1               チェ・ジョンイル

・ヤロブアム王                チョ・キュチョル

 

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・聖誕                    チェ・チェホン

・写真で会う無教会全国集会          編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「父との別れ」

 

 11月30日、父が94歳で亡くなった。多くの方々の慰労と祈りの おかげで葬儀を順調に進め、国家有功者として恩恵を受け国立顯忠園によく祀られた。

 

 父は高校時代、隣町の女高生(うちの母)から新約聖書を贈られたという。少女の心を考えて部屋の床に横になって「一度読んでみよ うか?」と本を開いたが、読んでみると横になって読む本ではないという気がし、結局ひざまずいて読み終えたという。

 母のおかげで信仰に入って一生を誠実なキリスト教徒として生き た。父親に感化され、故郷の村人たちがほとんど教会に来るようになり、息子4兄弟の家族も皆信仰生活をしているので、自分が引き受けた役目を全うして行かれたのではないかと思う。

 

 父は90才で認知症と診断され、最後の3年間を老人ホームで生活した。8人の高齢者の世話をする家庭のようなところだったが、確かに不便なことが多かったのだろう。しかし、父親は一度も家に帰りたいとか、何が嫌だとか文句を言ったことがなかった。私たちに心配をかけないように何も言わずに黙々と受け入れていたのだろう。

 最後には喜怒哀楽の感情が消え、どんなことにも「無心」そのものだった。また、身体のエネルギーもすべて抜けて首さえうまく支えられない状態だった。何も持たない赤ちゃん、他の人の世話なしには生きていけない赤ちゃんになって神様のもとに戻ったのだ。その姿を見る度に、「ああ、神様は一つも残さないようにするんだ。」 と思った。

 私にもいつかその日が来るだろう。私も父のように静かに人生を終えることができるように主の恵みが共にあることを!

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 

 今回のことで慰労のお気持ちを送って下さった皆様に、心から感謝申し上げます。

 

 


○「聖書信愛」2023年12月号(第507号) 目次

・巻頭言「小さな本に込められた大きな意味」  ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ24:26〜46)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 54         ソン・ヒョンソプ

・残った者たちの祈り             ヨン・チャンホ

・聖霊の富                  チェ・ジョンイル

・私の助けはエホバから            ハン・チョンジュ

・kumbaya:人種偏見          チェ・チェホン

・レハブアム王                チョ・キュチョル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真で会う無教会全国集会          編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

 

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巻頭言「小さな本に込められた大きな意味」

 

 先日、權勝弘先生から「無為の生涯」という小さな本をもらった。内村鑑三先生の珠玉のような文章を60個選んでポケットに入る大きさに製作した のが、どこでも気楽に読んでほしいという願いを込めたようだった。毎日信仰の文を読むことは必要だからだ。

 

 最近は少しでも暇があれば携帯電話を取り出すのが日常ではないか?私も同じだ。病院の待合室で名前を呼ぶまで、また孫娘を迎えに行って子供が出てくるまで携帯電話を覗いてみる。実は読んでも読まなくてもいい情報なのに。

 読書が有益であることは知っているが、気軽に本を手に入れることはでき ないと人々は言う。大きくて厚い本ならなおさらだという。最近では映像さえも1分ほどのショーツ映像が主流だというから、かなり長い聖書信愛を毎月出している私は真の時代の流れに逆らう者なのかという。

 聖書信愛社で出した本、「独立伝道者ソン・ドゥヨン」や「私の韓国」もわざ と小さく作った。かばんに入れて簡単に取り出せるようにするためだった。また、韓国の無教会雑誌もほとんど小さいサイズだが、おそらくこのような 意味からだっただろう。しかし、小さな雑誌が、ある人には人生の方向を変える役割をする。小さいが、小さくない本だ。

 

 權先生の小さな本も生命の言葉でいっぱいだ。そのうち「無為の生涯」だ。 「神様と同行するということは静かに歩くという意味だ。飛んだり走ったりせずに歩くことだ。雄飛とか、疾走とか、絶叫とかではない。忍耐しな がら、神に頼って、その命令に従順して静かに人生の日々を過ごすことだ。 これを生涯の事業だと信じ、もしかしたら無為と言える生涯を送ることだ」。

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 

 


○「聖書信愛」2023年11月号(第506号) 目次

・巻頭言「原田先生の「私と韓国」」      ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ24:1〜25)     チョン・ジュンドク

・福音真理独立伝道に一生をかけて       ハン・ビョンドク

・ヨハネの黙示録を読む 53         ソン・ヒョンソプ

・審判と救援                 ヨン・チャンホ

・パウロ使徒小伝 3             チェ・ジョンイル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真で会う無教会全国集会          編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「原田先生の「私と韓国」」

 

 原田京子先生は養護学校を定年退職するやいなや、韓国に奉仕に来られた。梧柳洞集会で挨拶する先生に会い、「どうしてこんなことが!」と驚いたのが生々しい。先生はコッドンネと光明愛の家で2年間奉仕し、帰国した後は82歳の今まで韓国の歴史と文化を紹介する高麗博物館で働くという。

 どうしてこんなに韓国に本気なの?謝罪するためだという。日本による植民地時代に父親が水風発電所建築技術者として、義父が朝鮮総督府電気技師として働いて、植民地抑圧に一助したという負債感を持って生きてきたということだ。

 この話を盛り込んだ「私と韓国」という本を送ってくださったが、日本語が読めない私のような人には絵の餅だった。それで日本語ができるメナリに翻訳本を出したらどうかと要請した。聖書信愛社から非売品として出版して信愛誌読者たちと分けてみようと素朴に考えたが、翻訳者が意外な提案をした。

 「翻訳しながらもう一度じっくり読んでみると、原田先生の真心と純粋さに改めて感動しました。この良い本を私たちだけ見るのはもったいないので、書店を通じて一人でも多く読ませたいです。」 そこで独立出版を支援するプラットフォームに登録し、バーコードも受け取り、納本手続きまで終え、独立書店とオンライン書店アラジンで販売することにした。しかし、最近人々は本を読まないというから、どれだけ読んでくれるかは分からない。


 親世代がしたことを自分の責任と考え、行動する人は何人いるだろうか?キリストの精神でなければできないと思う。「読者の皆様にお願いしますので、同封した本を必ずお読みくごさい」

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2023年10月号(第505号) 目次

・巻頭言「私たちの進む道」          ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ23:22〜39)     チョン・ジュンドク

・福音真理独立伝道に一生をかけて       ハン・ビョンドク

・ヨハネの黙示録を読む 52         ソン・ヒョンソプ

・イザヤ書講義3               チェ・ジョンイル

・キリスト教徒の真の自由           ハン・チョンジュ

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真で会う無教会全国集会          編集者

・全国集会場所踏査現況            編集者

 

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巻頭言「私たちの進む道」

盧平久先生の信仰戦闘を考えて

 

 「今日の共産主義が世界の歴史で古い靴のように捨てられているにもかかわらず、依然としてこれを鬼のように恐れてばかりいるので、実に無知な民だと思われる。」

 

 1993年の大統領選挙後、盧平久(ノ・ピョング)先生はこんな感想を書いた。変化と進歩を知らないこの民が白痴民族ではないかとひどい言葉まで使って残念がったのだ。しかし先生は徹底的に民族の理想について、政治や教会ではなく聖書の真理による道徳的、宗教的な愛国でなければならないと述べた。そして信仰の同志たちにこのように頼んだ。

 

 「私たちの無教会者は政治問題に振り回されてはならず、民族の4000年の罪悪に対して徹底的に真理で戦わなければならない。政治で人生の問題が解決されるなら、前日の日本帝国の退却とともに、私たちにもうすぐ理想政治が来るべきだった。政治の世界への不参加を恥じてはならない」

 

 この文を書いたのが19876月だ。全国が民主抗争で沸き立っていた時ではないか!ノ先生は初代キリスト者たちがイエスの山上説教の無抵抗主義と仇を愛せと言う教訓を守ろうと退避し卑怯者と言う指弾を受けたが、信仰的にはローマ皇帝崇拝と迫害に対して命をかけて戦ったことを信仰戦闘の手本にしようと言った。

 

 そうだ!私たちの戦いは真理の敵に対する戦いだ。仇まで愛せと言うキリストの精神に向かうのだ。それで私は南北が対峙中の韓国が進む道を、「私たちは北朝鮮が核を撃ったとしても殴られ、報復しないと、全世界に向かって厳粛に宣言すること」と話した韓秉徳先生の絶対非戦論に強く共感するところだ。

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2023年9月号(第504号) 目次

・巻頭言「夏季全国聖書集会を終えて」     ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ23:1〜21)   チョン・ジュンドク

・ペプシバとピュラと呼ぼう          ハン・ビョンドク

・正義を水のように、公義を川のように     ソチョ・ドクファン

・イエスは奇跡をどのように行ったのか     ペ・ジヒョン

・パウロ使徒小伝(2)            チェ・ジョンイル

・Crying in the chapel             チェ・ジェホン

・天国                    オ・ソンヘ

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・盧平久先生の墓参り             編集者

 

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巻頭言「夏季全国聖書集会を終えて」

 

 全国聖書集会があった日の明け方、 私たち家族は子供たちを起こして早く釜山から出発した。 ソウルに来たので、 まず老人ホームにいらっしゃるお父さんを訪ねて挨拶をし、急いで集会場所に到着した。すでに待っている方々がいた。 金英雄先生一行と金英姫さんなど会いたい方々に会えて本当に嬉しかった。

 いよいよ午後3時。 陳映善先生の講義を皮切に真剣なお言葉の宴が開かれた。 講義を担当された方々の原稿を受け取って本にしながら、「こんな話をどこで聞くのか?」と感激したが、 文で見た時とは全く違う感動があった。 全国各地に散らばっていて、年に2回会って聖書真理と会えるこの時間が 私には本当に感謝して胸がいっぱいの喜びだ。 しかし、この貴重な真理を聞く人があまりにも少なくて残念だ。 パウロ使徒の勧告を私からまた心に刻むことにした。
「集まるのをやめず、 励まし合い、 主の来る日が近いほどもっと集まるこ とに努めましょう」(ヘブル人への手紙10:25)

 その間、 天に亡くなった方々の空席が本当に寂しかった。 特に集会直前 に召天された裵命秀先生が懐かしいとおっしゃる方が多かった。今回が最後の出席のようだという方もいらっしゃいましたし、 先輩たちが昨冬よりさ らに弱くなった姿で来られたことに胸を痛めたが、そうすればするほどもっ と聖書真理に徹底した集まりにならなければならないと思った。
「皆さん、冬の全国集会でまたお会いできることを祈ります。 」

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2023年8月号(第503号) 目次

・巻頭言「人生の道」             ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ22:21〜46)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を聞く(51)        ソン・ヒョンソプ

・主エホバの霊が私に降りられた        ヨン・チャンホ

・イザヤ書講義2               チェ・ジョンイル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・詩篇103篇                ハン・チョンジュ

・盧平久先生記念講演会のご案内        編集者

・韓国無教会夏の全国集会のご案内       編集者

 

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巻頭言「人生の道」

 

 先月、 メナリの漫画をご覧になったキム・ユゴン先生が電話をくださった。 「私も90代なので関心をって見た」と言いながら、 国民日報の記事を推薦された。「真理の泉」という文章だが、 一生神様だけを頼りに生きてきた信仰人の認知症を脳機能の老化で接近しなければならないという内容だった。

 祈りの母によって信仰に入ってきた私の父は、宗孫としてのすべての恵みを捨て、主イエス・キリストを信じて従うと宣言した後、一生そのように生きてこられた。ところが、90歳を超えると認知症の症状が現れ、今は8人の高齢者が一緒に暮らす老人ホームに住んでいる。最近は散歩も少しずつするように配慮してくれるので話をする時間が十分だ。しかし、父親は記憶が失われているため、会話はほとんど不可能だ。この前はそんなに好きだった賛美歌まで拒否されて胸が痛かった。
 神様は私たちの人生が結局何も手に入らないように、 いや世の中を記憶することさえ捨てるようにしているようだ。

 日本無教会の塚本虎二先生も、最後の10年は私たちが恐れるような苦難 の時期だったようだ。それを見た一人の弟子の大島智夫先生の書いた文に実に共感した。「先生は今、自分に与えられた最後の『Via Dolorosa』1) を過ぎていらっしゃる。それで先生に会う時、もっと尊敬の念が湧く。」

 信仰者も人生の最後には老いていき、取り返しのつかない病気にもかか り、恐ろしい事故も経験し、認知症にも出会う。すべて神様が定めた道だ。私にどんなことが起ころうとも、神様が手をつないでくれることを祈るだけだ。(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

1) Via Dolorosalはイエスが十字架を背負って歩いた最後の苦難の道だ。

 


○「聖書信愛」2023年7月号(第502号) 目次

・巻頭言「十字架」              ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ22:1〜19)   チョン・ジュンドク

・ヨハネ黙示録を聞く(50)         ソン・ヒョンソプ

・起き上がって光を放て            ヨン・チャンホ

・天国の住人とキリスト教の和解        ハン・ピョンドク

・使徒パウロ小伝               チェ・チョンイル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・私はあなたの味方だ             チェ・チェホン

・偽りの預言者                チョ・キュチョル

・韓国無教会夏の全国集会のご案内       編集室

 

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巻頭言「十字架」

 

 わが町には教会と寺が並んでいる。教会はとても小さくて古いが、その隣の寺は日増しに繁盛するのか建物が増え、リモデリング工事も随時行っている。日曜日になるとその前の道路が駐車場になるから、「小さな教会だけど信者数は多いんだな」と思ったのに、なんと!寺を訪ねてきた人たちだという。

 夜になると電気がつくその教会の十字架尖塔を見る度に、主はあのように人々を切なく呼んでいるが、なぜ皆他の道に走っていくのか残念な気持ちでいっぱいだった。

 

 ところが十字架は、人間の基準から見て、嬉しい知らせではない。十字架の道には苦難があると聖書は公然と言わないのか?実際、イエスに従う人々が受けた苦難の事例は、ここに列挙するのが難しいほどあまりにも多い。

 特に私には十字架が罪をうずめて入ってくる存在だった。恐ろしい津波のように押し寄せてきて、嘘と偽善を隠していた覆いを掃いてしまった。それで私がどれほど罪の塊なのか見てしまった。あの時の絶望感は本当に耐えられなかった。今も同じだ。信仰人だと言いながらも、突然現れる本性に眠れない夜が多い。

 あの多くの人が十字架ではなく別の道を走る理由は明らかだ。彼らが行くところは、幸せと慰めだけを与えるように見えるからだ。これから迫ってくる苦難も避けさせてくれるというから、人々の目にその道は花道に違いない。 花道を置いて茨の道に来る人は、誰だろうか?

 

 十字架の道は狭くて険しく、苦難もあり、不幸もあるという。しかし、いのちの道だ。この真理を悟らせてくださった神様に感謝する。「信仰の同志たちよ、人生の終わりまでその道を一緒に歩きましょう。」

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)
 


○「聖書信愛」2023年6月号(第501号) 目次

・巻頭言「創造主、神様」              ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ22:1〜19)   チョン・ジュンドク

・ヨハネ黙示録を聞く(50)         ソン・ヒョンソプ

・起き上がって光を放て            ヨン・チャンホ

・天国の住人とキリスト教の和解        ハン・ピョンドク

・使徒パウロ小伝               チェ・チョンイル

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・私はあなたの味方だ             チェ・チェホン

・偽りの預言者                チョ・キュチョル

・韓国無教会夏の全国集会のご案内       編集室

 

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巻頭言「創造主、 神様

 

 最近、週末に暇を作って信仰の同志たちと一緒に雪嶽山と東海を見てきた。久しぶりにケーブルカーに乗って権金城に登ると、雪嶽山一帯が一望できた。そびえ立つ峰ごとに美しい新緑で覆われており、 高くそびえ立っている蔚山岩は荘厳な美しさを誇っていた。

 まもなく訪れた河趙台の広大な海。数え切れないほどバタバタしながら砂浜に押し寄せてくる波は、今も生きていて炎のような目で世の中を見ている神様の存在を感じるしかなかった。 

 宇宙は繊細で緻密な力学関係によって動くという。私たちはこの神秘的なカのバランスが創造主神にあると信じる人々だ。そうだ!神様があの青い海を、あの荘厳な山を造って今も捕まえていらっしゃるのではないか。 

 誰のための自然で、誰のための宇宙だろうか?神を知る者たち、主の民のためだ。主の子供たちがこの地で幸せに生育し繁栄するためだ。すなわ ち、この宇宙は神様の影響力が作用することによって、 まるで生きて動く生物体のように一寸のミスもなく熱心に運行しながら私たち人間にとって生活の場となっている。


「天が神様の栄光を伝え、 青空が彼の驚くべき腕前を表している。 

昼がこの事実を昼に言い、 夜もこの事実を夜に言うと、

言語もなく聞こえる音もないが、

その伝える音が世界中に広がる」(詩編19:1-4) 


 ありとあらゆる花が咲き、 目を上げると新緑の美しいこの季節。 あの自然の中で神様を発見する喜びをすべて享受してほしい。 (孫鉉燮) 

 

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)
 


○「聖書信愛」2022年10月号(第493号) 目次

・巻頭言「妻を愛するように」         ソン・ヒョンソプ

・ルカ福音講解(23章6〜16節)      矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ17:17〜27)     チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 41         ソン・ヒョンソプ

・苦難を受けるエホバの僕           ヨン・チャンホ 

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・神曲読後感、煉獄旅行            キム・ポンネ

・写真で会う無教会全国集会          編集者

 

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巻頭言「妻を愛するように」

 

 周囲の人々は、私のことを「妻の言うことに良く従ってくれる人」と理解している。 甚だしくは、愛し上手だと言う人もいて、かなり間違っている。 実際に妻に聞いても、手を横に振るのではないか。 若い頃よりは減ったが、今も時々、かっとなり、イライラすることを繰り返しているからだ。 その度に、私自身が本当に情けない存在だと感じられ、恥ずかしい限りだ。

 

 聖書は語った。

「キリストが教会を愛したように、妻を愛しなさい。 」

 ここの教会が礼拝堂ではないことは言うまでもない。 エクレシア、 即ち信じる者たちだ。 イエスは、信じる者のために生命を捨ててしまった。

 それだけではない。 自分が天に昇った後も、その信じる者たちをずっと世話するように、 報恵師である聖霊を約束して下さった。このように言っているが、実は、私は、主の愛がどのようなものなのか、充分に知り得ない者だと告白して、当然だ。

 

 大学入学前、 女学生が首席を取ったと聞いて好奇心を持っていた。 入学式で見ると、 背が低くて目がキラキラしていた。 また、知り合ってみると、キリスト者なので、一緒に CCC (大学生宣教会) 活動をしながら親しくなって結婚にまで至り、もう40年が過ぎた。

 最近、ある日突然、妻の白髪としわが目に入った。 「ああ、私たちが一緒に過ごした日より、残った日が少ないだろうな」 と悟ったのだ。40年の歳月を振り返ってみると、 主の言葉のように妻を愛せなかったことは、明らかだ。

 私たちに一番近い隣人は、連れ合いではないだろうか。 隣人を自分の体のように愛しなさいとキリストは言ったが、私はその基礎も備えていない。 それで、恥ずかしいけれども、主イエス・キリストにしがみつくことしかないと思う。

「主よ、キリストが信じる者(教会)を愛したように、私の家族、友人、隣人を愛するように助けて下さい」

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2022年9月号(第492号) 目次

・巻頭言「国が平安でありますように」     ソン・ヒョンソプ

・ルカ福音講解(17章22〜37節)     矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ17:1〜16)     チョン・ジュンドク

・キリスト教信仰の特性            ハン・ビョンドク

・さあ、目を覚まして、バビロンを去れ     ヨン・チャンホ 

・詩篇第81篇 聴従             ハン・チョンジュ

マンガで読む一行の聖書           メナリ

・オンライン日本無教会全国集会案内      編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「国が平安でありますように」

 

 一昨日、妻とともに最近人気を集めている映画「閑山-龍の出現」を見た。映画の中に実に印象的な部分があった。

 倭将と一騎打ちを控えて鶴翼陣を設計する将軍の姿だった。部下の将帥たちの特技と性格を考慮して適材適所に彼らの名前を書いて鶴が翼を広げたような戦術を完成したのだ。ことあるごとに難癖を付ける元均(ウォンギュン)にも一席を配していた。

 

 最近は政治ニュースをあまり見ないが、スマホから偶然、絶望という単語を見てびっくりした。大統領を思い浮かべると「絶望」が連想されると答えた人が国民の3分の1いるという統計調査だった。失望でもなく絶望だなんて・・・。韓国国民だけでなく、大統領自身も心の痛むことに違いない。

 絶望とは希望が途絶えたという恐ろしい単語だ。ダンテの神曲でも地獄門に書かれていた文句がまさに「ここには希望がない」という言葉だった。尹大統領は、今始まったばかりなので、絶対に駄目な言葉だ。

 国の運命や個人の運命は、すべて神様が定める通りに流れていくと信じている。髪の毛一本、スズメ一羽も数えていらっしゃる全能の神様を信じているからだ。ならば権力も神様が主管する歴史の中に入っている。それでイエスは世の中の王たちに是非を問い詰めず、パウロも権力に従うように言った。私たちの世の中のことはすべて神様の計画で動くと信じたためだ。

 閑山大捷(注)は李舜臣将軍の国と民のための真心が部下たちの心を動かした結果だっただろう。今日の尹大統領も「ただ国民を見ていく」と言ったのだから、その気持ちで真実に国政運営をすれば、この危機をうまく克服できると思う。

(孫鉉燮/ソン·ヒョンソプ)

 

(注)閑山大捷とは、豊臣秀吉による文禄の役(1592年)の際に、閑山島沖で、臣将軍が率いる朝鮮水軍が、日本水軍を撃破した海戦のこと。

 


○「聖書信愛」2022年1月号(第484号) 目次

・巻頭言「新しい始まり」           ソン・ヒョンソプ

・ルカ福音講解(16章19〜30節)     矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ13:1〜28)     チョン・ジュンドク

・聖書の歪曲と利用の分かれ目         ハン・ビョンドク

・信ずるにせよ、偶像に仕えるにせよ      ヨン・チャンホ

・ダビデと側近たちの選択           チョ・ギュチョル 

・詩篇第1篇                 ハン・チョンジュ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

 

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巻頭言「新しい始まり」

 

 2022年を新しく始める月だ。もう新年だ。私は、今年の2月からソウルを離れて、釜山に住居を移すことにした。息子(孫文一)が3月から釜山大学で勤務することになり、助けが必要だと、妻と相談の末に行くことにし、機張郡に2世帯が別々に暮らせる大きな家を見つけた。

 人生の旅程というのは本当に分からないことの連続のようだ。釜山とは!妻は40年近く住んでいた所を離れることが難しくて、心が冷んやりするそうだ。しかし、主が何処へ導こうとも、主の思いがあると信じて従うことにした。

 梧柳洞集会は、私が信仰に葛藤を感じて彷徨っていた時に、神様が私をつまみ上げ、落として、放して下さった美しいエクレシアだった。とても良い方々に会って教えを受けて、幸せな歳月だった。幼い私に聖書信愛を任せてくれた李先生、会う度に嬉しかった集まりの皆様だ。足りない私を今までよく面倒を見て育ててくれた。もう梧柳洞の集まりで、私の使命が全うしたと受け止めるので、感謝しかない。

 ありがたいことに、孫文一君が釜山で集まりを始めようと言っているので、どんな形であれ、力になれたらと願っている。土地も慣れず、生活環境も慣れず、知り合いもいない釜山で、3人の孫と文一・テイ夫婦、私たち夫婦の7人が、2月第3週から無教会の集まりを始めようと思うので、皆様のお祈りをお願い申し上げる。

 釜山は昔、張ギリョ先生が集まりをしたり、「釜山の集まり」という雑誌も出したり、イム・ヌンビン先生も集まりをした所だから、主が一緒に行う同志を準備して下さったのではないかという期待もある。

 梧柳洞集会と梧柳文庫はチョ・ギュチョル、ハン・ジョンジュ先生夫婦が担当して下さるだろう。お二人が新たな熱心さに満ちているようで、感謝に堪えない。主は常に「ヤハウェの7日間」であるという気持ちを実感している。聖書信愛はそのまま釜山で発行を続けて行こうと思う。「神よ、助けて下さい」

(孫鉉燮/ソン·ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年12月号(第483号) 目次

・巻頭言「ヨンギョン奨学会」         ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 191回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ12:31〜50)  チョン・ジュンドク

・ヨハネの黙示録を読む 33         ソン・ヒョンソプ

・お金、現代人の偶像             ヨン・チャンホ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・(生活断想)性急な決定           カン・ジョンヒ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「ヨンギョン奨学会」

 

 聖書信愛は多くの方から大切な支援を受けて発刊されている。その中で、特別にヨンギョン奨学会に感謝の意を表したいと思い、この文を書いている。無教会の教友たちは、全州の故朴イチョル医師をご存知だろう。ヨンギョン奨学会はこの方が設立したが、その意味がとても素晴らしい。

 「人が人生を享有することは自分の意志によるものではなく、神の命によって両親と私たちを生み、兄弟、同期、隣人の助けと先生の教えによって生長するのだから、どうして感謝の報恩がない筈があろうか、人生の目的の真の知恵は宇宙創造主の真の愛を悟り、その愛を隣人に実践奉仕することにある。国の発展と人間精神開発に貢献する学術、文化、宗教、各分野にわたり人材を発掘し、その学問分野を助け、地域社会に汗水たらして献身奉仕する中心的人材を育成・支援することを目的とする。

 1987年からは、夫人となる柳チャナム女史が運営したが、この方が若い頃、日本に留学中に内村の書籍を読んで無教会を知り、この縁で盧平久、宋斗用先生と交流を持ったのだ。私が聖書信愛を担当して間もなかった2012年、柳女史から電話を受けた。「奨学会が聖書出版支援事業をしているので、聖書信愛の発刊に援助を行いたい」という話だった。 意外な提案に胸がどきどきした覚えがある。

 女史は今年100歳で、去る3月に神様の招きを受けてお亡くなりになり、現在は朴ヒョンギョンさん(娘さん)が運営しているが、今年はすでに253人の学生に奨学金を支給し、出版支援、研究支援をしたそうだ。ご両親の遺志を粘り強く受け継いでいる姿が本当に素晴らしい。生前に挨拶すべきだったけれども、遅れたが、柳夫人とヨンギョン奨学会に本当に感謝申し上げる。 

 そして、この不満足な雑誌を支えて下さっている全ての読者の皆様にも、この一年の感謝の気持ちを込めてご挨拶を申し上げる。

(孫鉉燮/ソン·ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年11月号(第482号) 目次

・巻頭言「パク・ユスン様、逝去される」    ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 190回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(16章19〜30節)     矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ11:16〜30)  チョン・ジュンドク

・お金、現代人の偶像             ヨン・チャンホ

・(生活断想)イブの方が悪い?        キム・ポンネ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「パク・ユスン様、逝去される」

 

 本当に素晴らしい人生だった。去る10月9日、天に往かれたパク・ユスン様の話だ。随分前に偶然、洪城からソウルに来る途中、お嬢様のお宅まで乗せて差し上げたことがあった。2時間余り車中で、生きて来た話を聞いた。

 子どもが6人もいる年輩の男性と結婚し、その息子や娘を立派に育てるために、自分はわざと子どもを持たず、真心を込めて育てたところ、望み通りに立派に育ってくれたということだった。これは、昔の小説の中の話ではないかと耳を疑って聞いた。そして、今は夫が先に亡くなって独り暮らしをしているが、とても幸せだというお言葉だった。

 目的地に到着すると、孫が待っていた。祖母の手を、優しくしっかり握って行く後ろ姿を見て、「ああ、現実の中の話だったのだ」と、はっと気が付いた。そして、私の人生を完全に放棄して、ただ他人の為だけに生きることが可能なのか、と考え込んで家に帰った記憶がある。そのような人生を終え、遂には、いつも願っていた神様の胸に抱かれたのだから、これまでご苦労様と主が両手を広げて迎えて下さっただろう。

 パク・ユスン様の最後の病床の知らせを聞いて、心を痛める方が多かった。一人でいるときに突然倒れ、暫くしてから発見され、急に重症患者になったという知らせだったからだ。

 人生の最後には、大小の苦痛の時間が訪れるのだ。 避けられる人は誰だろうか。見守る人々には、非常に胸が痛むことだ。しかし、本人にとって本当に意味深い時間だ。苦難を経て、初めてキリストの深い愛を見ることができるからだ。私が人生で培ったキャリアや功績のようなものはすべて捨てて、一人で神様と出会う大切な時間だ。死の前に立つ時間こそ、新しい生命に生まれ変わるための必須の過程だから悲しまないで欲しい。この道は平坦ではないが、数え切れないほど多くの信仰の先輩たちは、忍耐しながら喜んで歩いて行った。パク・ユスンさんもその道を歩いて、遂に到着した筈だ。喜んで歓送しよう。

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年10月号(第481号) 目次

・巻頭言「聖書の与える力」          ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 189回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(16章14〜18節)     矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ11:16〜30)  チョン・ジュンドク

・恐れるな、私を信ぜよ            ヨン・チャンホ

・(生活断想)隣近所 他2          カン・ジョンヒ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「聖書の与える力」

 

「怠惰な目より勤勉な手を信ぜよ。」

 亡くなられた母がいつも言っていた言葉だ。故郷には、とても大きな畑があった。その畝がどんなに長いか、他の畑の三、四倍を遥かに越えていた。暑い夏、母を助けようと草取りをしに出て来たが、どんなにやっても、やっても、畝の果ては、はるか遠くにあるのだ。

「ああ、何故、畑がこんなに長いのか。」

 突っ慳貪な口をきくと、母は、いつも怠惰な目を信じるなと仰っていた。今年は唐辛子の栽培がとても上手くいった。今回が3年目だが、倒れもせず、病気もせず、赤く熟している。ついに唐辛子掘りを始める私に、妻が心配そうな顔で言った。 「ああ、あれを何時、すっかり取って、洗って乾かすのですか?」

 手が働き始めると、聖書を聴くことも始まる。新約聖書を聴き終えたら、崔禎一(チェ・ジョンイル)教授が、梧柳洞集会で行った聖書講義も順に聴く。

 聖書の言葉も、崔教授の講義も、新たに迫って来る。「ああ、そのような言葉だったのだ」 聖書の話に没頭してみると、いつの間にか唐辛子が陽光の下に落ちている。秋の日差しが水気をしっかり乾かすと、乾燥機に入れる。これで作業は終わりだ。難しいことは全くない。

 秋夕前に、海南で一人暮らしをしておられる義母をお訪ねした。97歳でも逞しく生きている方だが、よく横になっておられるので、横になって何を考えているのか聞いてみた。意外な答えが返ってきた.

「若い時に覚えた聖書を、もう一度覚えているのです。聖書の言葉を、たくさん覚えておきなさい。」

 ああ!そうなのだ。まだ見て聞ける時に、熱心に聖書を読んで聞くことにしよう。私の心に刻まれた警告の言葉は、ソロモンが警告した通り、「困苦の日が来る時」に私を守ってくれるだろう。

(孫鉉燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年9月号(第480号) 目次

・巻頭言「山田様ご夫妻を追憶する」      ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 188回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(16章1〜13節)      矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ11:1〜15)   チョン・ジュンドク

・宋斗用の歴史意識(2)           ヨン・チャンホ

・(生活断想)失敗と挑戦 他2        カン・ジョンヒ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「山田様ご夫妻を追憶する」

 

 お二人とのご縁は20年前から始まった。妻が延世大学語学堂で3年にわたる日本語課程を修了した記念に、二人で一週間日本旅行をすることになった。この話を聞いた李求先生が、大阪へ行ったら、山田章博・渼子にぜひ会って来なさいと、直接、電話までかけて下さった。

 私たちは、その時、経費節減をしようと、安宿を予約していた。ところが、交通の便が悪くて見つけにくい所を、お二人が、朝早くに訪ねて来られたのだ。私たちは、慌てて部屋にお通しした。夜遅く着いたときは気づかなかったのだが、朝見ると、壁紙も破れて、寝具も古びており、実にきまりが悪かった。ところが、お二人が、却って申し訳なく思われ、このようにむさくるしくて申し訳ないと仰るので、私たちは、本当に身の置き所が分からなかったことを覚えている。

 お二人は、私たちに話したいことが非常に多いようだった。私は日本語が全く分からないので、妻が伝えてくれた片言隻語から推量するばかりで座っていたが、矢内原先生の話をはじめ、大阪で集会を主宰された黒崎先生、渼子さんの運営する子ども聖書学校、梧柳文庫支援会、そして自分たちが活躍している社会正義のための活動等々、午前中ずっと話が尽きなかった。(妻も、実は会話の半分も聞き取れなかったというのだ。 後で、ありのままを告げようと思う。)

 興味深い場面の一つ。 渼子さんが一言言おうとすると、章博さんが奥さんをすぐ制止して、話をされるのだ。 渼子は韓国に行って教友たちに会ってみたが、自分は高所恐怖症で飛行機に乗れず、韓国に行けないので、話す機会がなかったということだ。渼子さんを知っている方は多いけれども、章博さんを知っている方が稀なのは事実だから、当然と言えば当然だ。

 私たち夫婦はその後、個人的に手紙と電話で連絡を取り合う間柄になった。電話する度ごとに、30分以上長く話されるのだが、渼子さんは電話でも話す機会が得られないらしく、ひとりでに笑いが出た。それでだろうか、渼子さんは言いたいことを文章でお書きになっていたが、手紙が、いつも、最低でも3枚以上と長かった。

 渼子さんは梧柳文庫支援会の実務を受け継ぎ、支援会が解体された後も引き続いて、無教会関連の本だけでなく、韓日関係の示唆性が深い本まで手に入れて寄贈して下さり、自分が所蔵していた本も惜しみなく送って下さった。

 10年前に渼子さんが急に亡くなられた後、章博さんは近所の甥の助けを受けながら、一人暮らしをされた。夫婦の間に息子が生まれたが、すぐに神様が連れていかれて、子どもがいなかったからだ。しかし、平和憲法を守る会に欠かさず参加され、聖書集会でも、熱心に、勇ましく活動された。ただ、昨年頃から白血病のため、病院の出入りを頻繁にしていると仰っていたが、去る7月22日に、急に亡くなられ、故人の遺志に従って、家族葬で静かに葬儀を行ったという訃報を受けた。今年83歳だった。

 章博さんは、去る6月にも「徴用工問題」に関する本を送って下さった。手紙の度、通話の度に、「日本が、韓国に、どれ程大きな罪を犯したか分からない」と謝罪され、韓国無教会の一人一人のために毎朝祈るという言葉を忘れなかった。本当にありがたく、また、ありがたい方だ。

 

 私たちの市民権は天にあると聖書は言う。そして、この天幕の家が壊れると、神様が準備した新しい天幕の家を頂くことになると言う。この言葉は、この世で生きるキリスト者たちの大きな力となり、この望みによって、いつも感謝しながら生きていくことになる。

 山田章博・渼子様。 お二人は、共に神様のお呼びを受けて、そこにいらっしゃった。いつか再び会う時、その細やかな愛が本当にありがたかったと、きちんとお辞儀(注)をしたいと思う。 

(孫燮/ソン・ヒョンソプ)

  

(注/ここで言う「お辞儀」は、両手を額に当てながら膝を折り曲げて座り、深々と頭を下げる、韓国で最も丁寧なお辞儀を指す。)

 


○「聖書信愛」2021年8月号(第479号) 目次

・巻頭言「農夫の悟り」            ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 187回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(15章11〜32節)     矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ10:21〜42)  チョン・ジュンドク

・宋斗用の歴史意識(1)           ヨン・チャンホ

・信仰の独立                 ハン・ジョンジュ

・(生活断想)初めての朝の作文        カン・ジョンヒ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「農夫の悟り」

 

 江華島の畑は今が一番見栄えが良い。唐辛子もどんどんなり始め、胡瓜も茄子もトマトも、先を争って丸々となり、遅く植えたトウモロコシも、粒がしっかりして来ているので、作物が、どれもこれも、とてもせわしない時期だ。

 これだけではないだろう。農夫の目を逃れて育つ草は、ますます慌しい。この頃生えている草は、芽が出る時、すでに種を結ぶ準備が終わったようで、実に呆れたものだ。繁殖のために、凄い速さで一生を送ろうとは、それなりの非常対策である筈だが、そうやってでも生きる目的を果たそうとする足掻きに、心が粛然とする。

 

 去る7月4日、宋斗用先生の記念会で集まった後、梧柳洞集会は再び門を閉じた。懸念されていたデルタ変異の拡散で、首都圏が防疫4段階、対面礼拝は全面禁止だ。コロナの状況がある程度落ち着くようになって、私たちが集まりを始めると、再び暴走するので、「これはサタンの妨害工作ではないか」という方の言葉が、でたらめには聞こえない思いだ。

 誰もが大変で、難しい時期だ。エクレシアとしての役割がなくなり、互いを支えてくれる絆が弱くなったようにも思うし、そうでなくとも軟弱な私たちの集まりが、このように為す術もなく時間を過ごして良いのかと、不安な心が生じているのも事実だ。

 

 朝早く起きて畑を一周しつつ、倒れた胡麻の茎も起こし、唐辛子畑に紐を掛けてやりながら教訓を得る。こいつらこそ、恐ろしい猛暑に全身で耐えながら、最善を尽くして実を結んでいるのではないか?

 私たちのエクレシアは今、闇の谷間に入って行きつつある。しかし、私たちの神は、敵の目前で賞を与える方だ。青い草原に到着するまで、主の手をしっかり握って、元気に歩んで行こう。

(孫燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年7月号(第478号) 目次

・巻頭言「私の国はこの世に属したものではない」ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 186回)   塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(15章1〜10節)      矢内原忠雄(クォン・テジュ訳) 

・新約聖書翻訳本(マタイ10:1〜20)   チョン・ジュンドク

・ついに正義を遂げるだろう(イザヤ書42章) ヨン・チャンホ

・マンガで読む一行の聖書           メナリ

・(生活断想)初めての朝の作文        カン・ジョンヒ

・写真とともにする全国集会記         編集者

・こんなことあんなこと            編集者

 

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巻頭言「私の国はこの世に属したものではない」

 

 もう蒸し暑い夏になった。最近は、日が昇る前に早起きして、一日の日課を始めなければならない。日が昇ると、暑過ぎて何倍も大変な思いをするからだ。ここ2週間は、畑の端にあるラズベリー(クマイチゴ種)を取るのに朝の時間を割いた。聖書の御言葉を聞きながら、手をまめに動かしてみると、いつの間にか、籠は、真っ赤によく熟した実で一杯になる。

 今朝も、終わりかけたラズベリーを摘みながら、ヨハネによる福音書を聴いた。イエスが捕われた日、ピラトと対話をする場面だった。イエスが自分を王と言ったことを、ピラトが心に覚えて不快になり、口論を仕掛けるところだ。

「あなたは、王だと言わなかったか?」

「その通り。私は王だ。しかし、私の国は、この世に属したものではない。」

 

 今日に限って、この「私の国は、この世に属したものではない」というイエス様の御言葉が私を虜にした。突然、目の前が明るくなったようだった。「ああ、私は今でも、この世を自分の国として生きているのだな」と思った。イエスの国が「この世」ではないように、私の国も「この世」ではない。神様が子どもたちに与える、大きな愛ではなくて、何だろうか? 胸が詰まってきた。そして、この世ではないイエスの国が、益々恋しくなった。

 7月4日は、宋斗用先生の信仰と人生を思い起こす、小さな集会を開くことにした。宋先生は、この世界が、自分の国ではないことを悟って生きた人々の御一人だ。ところが、折角、集会を始めようとしたら、コロナのデルタ変異が広がるからといって、再び、集会不可の事態にならないかと心配している。

 

 先程まで、この世が自分の国ではないと言った人が、またこんなに心配しているのだから・・・。「仕方なく地に頼って生きている人間ではないか」と苦笑いが出る。『主よ、助けて下さい!』

(孫燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年6月号(第477号) 目次

・巻頭言「梧柳文庫 45年」        ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 185回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ9:20〜38)  チョン・ジュンドク

・恐れず、驚くな(イザヤ書40章)     ヨン・チャンホ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・(生活断想)初めての朝の作文       カン・ジョンヒ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「梧柳文庫 45年

 

 2006年の聖書信愛8月号の巻頭文に、梧柳文庫設立に関するエピソードを、李求(イ・ジング)先生が詳細に紹介している。

 1976年、日本の杉山直姉妹が韓国を訪問して帰国し、政池先生に会って、「韓国に無教会の本を送ると良いでしょう」と言ったところ、「本当に良い考えだ。 あなたが推進しなさい」ということで、宋斗用(ソン・ドゥヨン)先生に、「過去を謝罪する意味で、日本の無教会書籍をはじめとするキリスト教の書籍を買って送るので、受け入れて下さい」と話した。宋先生も、ありがたく頂きますということで、梧柳文庫支援会が組織され、本が届き始めた。韓国では、私に本の管理を依頼し、私の家の居間にベニア板を買って来て、棚を作って、本を貰ったのだ。(李求)

 

 始まりが1976年だから、梧柳文庫はもう45年になった。 その後は、大阪の山田渼子様が、私費で多くの新刊を寄贈して下さった。もう、梧柳文庫支援会も無くなって久しいのに、今も本を寄贈して下さる日本の教友たちがおいでになり、本当にありがたく、申し訳ない。 現在、梧柳文庫は、約3,400冊の蔵書を持つ、文化体育観光部登録の「小さな図書館」であり、日本語で書かれたキリスト教書籍が見られる特別な図書館となっている。

 このように日本の教友たちの愛によって生まれた梧柳文庫、これまで一方的に受けてばかりいた私たちに、少しでも愛の借りを返す機会ができた。 5月号で紹介した通り、「内村鑑三記念今井館」が新築移転事業をするが、募金をするということだ。李求先生が梧柳文庫拡張のために残して下さった遺産もあり、小さな誠意を表したいと思う。天にいらっしゃる李先生も同じ気持ちだと思う。 福音の産室だった今井館が、これからも貴重な役割を果たして欲しいという思いをたっぷり込めてみよう。 

(孫燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年5月号(第476号) 目次

・巻頭言「私の身分」            ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 184回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ9:1〜19)   チョン・ジュンドク

・神だけを見つめよ(イザヤ書40:12〜31)  ヨン・チャンホ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・(生活断想)私の心に触れる言葉 他3編  カン・ジョンヒ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「私の身分」

 

 私は、学校を退職してから、もう5年になった。ところが、まだ、私を「校長」と呼ぶ人がたびたびいる。私たちの国は、その人が最も高い役職にあった時の肩書きで呼んであげることを、礼儀だと考えているからだ。しかし、今、私は、「ソン校長」や「校長先生」と呼ばれることが、馴染み薄い。今は、それこそ小さな畑で農業をする農夫であって、自慢できる身分のない者で、本当に嬉しい。

 考えてみたら、本当は絶対に失いたくない誇らしい身分が一つあった。神の子としての身分だ。誰の息子、娘になることが、自分の意志ではないように、神様の子になったのも、自分の意志ではなかったのだ。私は何もしたことがない。 無理やり引っ張られて来たのだ。全く神様の恵みだった。全能の神様が、イエス・キリストを知るように、信じられるようにと、贈り物として信仰を下さったので、私は、ただ静かに感謝しながら讃美を歌う。

 時々、神様の子という身分に合わせて生きるべきではないかと、一人で考えることもある。しかし、私は性格が悪く、小さなことでもかっとなる癖があり、忍耐力も不足で、小さな困難が生じても、そのまま簡単に諦めようとする。こんな軟弱な私に、神の子としての正しい行いを求めるならば、両手を上げるしかない。すぐに揺れて倒れてしまう人間だ。

 年を取れば少しよくなるだろうと期待していたが、そうでないのを見ると、このような私の無能さは一生続くようだ。それで、もっと神様にしがみつくようになるから、この頃は、むしろありがたいことだと受け入れている。神様は、私のように軟弱な者までも抱いて下さるから、どうして感謝しないでいられよう。

 

 実に、罪多きところに恵みが溢れるという言葉は、真実である。

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2021年4月号(第475号) 目次

・巻頭言「万物が甦る時」          ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 183回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解(14:1〜24)      矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ8:18〜34)  チョン・ジュンドク

・わたしの民を慰めよ(イザヤ書40:1〜11)   ヨン・チャンホ

・(生活断想)私の価値 他3編       キム・ポンネ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「万物が甦る時」

 

 長い冬が終わり、3月15日から江華の農夫に戻った。本格的な農業は始まっていないが、前もって準備をしている。畑に埋もれていた昨年度の作物の根を掘り起こし、土もきれいにすき起こしてやる。良い種じゃがいもを選んで植えたり、これまで延ばしてきた果樹を移したりもする。久しぶりに肉体労働をしたら、あちこちが痛くて、動くたびにうなり声を出しては、呆れて笑ってしまう。少々不便だが、体を動かすと気持ちがいい。

 夕方になると、いつものように誰もいない広い野原を歩く。まだ冬の風景そのままの野原は、冷たい風が肌寒く残っている。しかし、静かな野原の道を聖書の言葉とともに歩いてみるならば、1時間はすぐに過ぎて行く。

 最近はヨハネの黙示録を繰り返して聞いている。後半に入り、白い服を着て、神様の補佐の前で勝利の歌を歌うイエスの証人たちが登場する場面では、思わず胸が一杯になって足も速くなる。どれだけ確かな約束だろうか。私たちの主イエスが約束されたのだから、いつか私たちは必ずその光景を見ると信じている。いや、見るだけでなく参加して一緒に歌うつもりだ。

 

 冬場をソウルの家で過ごして帰ってきたら、村は新しい家を建てるのに慌しい。山を削って素敵な田園住宅を建てる人たちもいるが、その間、コンテナを持って来て置いた人、古い家をがらりと変えてリフォームしている家もある。春と共に村も生き返っている感じだ。

 私たちの集会も、もう一度動き出す時期になった。会えない時間が長いのに、皆さんは、信者としてよく成長しておられるようで、感謝だ。まもなく社会的距離も緩和されるだろうし、私たちの対面礼拝も可能になるだろう。その時まで、お互いに励まし合いながら、主にあって、元気に過ごそう。

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


<2021年3月号>

○「聖書信愛」2021年3月号(第474号) 目次

・巻頭言「混沌の世界で」          ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 182回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ8:1〜17)   チョン・ジュンドク

・正義と寛容のメシア クロス(2)     ヨン・チャンホ

・(生活断想)冬              キム・ポンネ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「混沌の世の中で」

 

 今日の世の中は偽りの情報が溢れている。真理であるかのように、真理でない嘘も数え切れないほど多い。どれが真実なのかを正しく見るためには、聖書に照らして見るしかない。

 キリスト教の初期には、サタンがキリスト者に向かって命を脅かす物理的危害を加え、主を捨てるように挑発した。耐え難い苦難だったが、彼らはこれがサタンから来たと悟り、屈しなかった。

 現在、我々は生命の脅威や、信仰を抑圧する逼迫を受けない。サタンの攻撃が止まったのだろうか。当然そうではない。 むしろ、もっと狡猾になったのだ。私たちの考えを混乱させ、真理が何か、正義が何か、判断を曇らせる。偽りの福音に従わせるのだ。

 コロナによって露わになっている、キリスト教をかさに着たいくつかの団体の行動に憤り、「神様はなぜあれを放っておくのか」と言う人々がいる。不法を日々行う彼らの成功を理解できないというのだ。私はいつも、ステパノの殉教シーンを思い出し、怖くなる。使徒行伝7章だ。

「彼らはこの言葉を聞いて激怒し、歯ぎしりをした。ステパノは聖霊が充満して空を見上げた。神様の栄光が見え、イエス様が神様の右側にいらっしゃるのが見えた。」

 この瞬間をすべてご覧になっている天の御座の神と、息子であるイエスの存在が描かれている。主は石で打つ人を罰することも、ステパノを保護することもしなかった。何のリアクションもなかったのだ。 しかし、見ておられた!

 

 今もそうやって、全てを見ておられると思う。このすべての混乱と虚偽の情報、偽の福音が横行する世の中を、全てご覧になっておられる。私たちがすべきことは、ただ自分に与えられた道を、一歩一歩歩むことだ。明日、私に最後の日が来ても、私は、今日、私のリンゴの木を植えなければならないのではないか?

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


<2021年2月号>

○「聖書信愛」2021年2月号(第473号) 目次

・巻頭言「私たちの人生」          ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 181回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ8:1〜17)   チョン・ジュンドク

・正義と寛容のメシア クロス(1)     ヨン・チャンホ

・(生活断想)信仰の同志          キム・ポンネ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「私たちの人生」

 

 イエス・キリストは、証人であられた(ヨハネの黙示録3:14)。イエスは、「私を見た者は、父を見たのだ」と仰られた。その方は、この地で神様の気質と人格をそのまま教えてくれる人生を送られた。十字架に亡くなられた後、復活して天に昇られ、我々もそうなるだろうという望みも、直接見せて下さった。

 我々も、この地でイエスの証人として生きていかなければならないという。世が、我々にイエス・キリストを見ることができなければならないという意味だ。私に、イエスを見ることが、出来なければならないなんて・・・。 この言葉を、快く受け入れにくいのではないかと思う。証人ならば、イエスのように隣人のために、いや敵さえも快く赦し、長く我慢して愛してあげなければならない。しかし、自分には、そのような品性がないことを、よく知っているからだ。

 幸いにも、神様は人を天使より少し劣ってお造りになった張本人だから、私たちに助力者が絶対的に必要だということを、余りにもよくご存じではないか? それで、聖霊を送って下さった。 イエス・キリストを送り、神の子どもになる道をお示しになり、その後は、聖霊を送り、イエスの証人として、立派に生きて来るようにと応援しておられる。

 それでは、聖霊はどのように私を助けているのか? 神の霊が共にいるので、空の上を歩きながら、いつも喜びと幸せで一杯の人生なのだろうか。 違う。違う。 むしろ私という人間が、赦し、愛、忍耐、温柔とは程遠い人間だと毎日悟らせるのだ。 塩を傷口にあてると痛みを感じるように、聖霊は私の足りなさを悟らせ、跪かせる。 だから、私は、今日も主の恩に限りなく感謝しながら生きている。

 「罪の感覚が鈍いキリスト者のように、役に立たない存在はない。 」

 私たちは、世の塩として、イエスの証人として生きなければならないと強調した、矢内原先生の忠告です。アーメンです。

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


<2021年1月号>

○「聖書信愛」2021年1月号(第472号) 目次

・巻頭言「死後には審判があるのだ」     ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 180回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・新約聖書翻訳本(マタイ7:15〜29)  チョン・ジュンドク

・正しい信仰                ハン・ビョンドク

・歴史の神(4)              ヨン・チャンホ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・2020年一年を過ごしながら       ハン・チョンジュ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「死後には審判があるのだ」

 

 2021年、新年が明けた。去年は、実に大変だった。コロナの試練がまだまだ進行中で、いつにも増して厳しい日々を送っている。しかし、幾つかの国でワクチン接種が始まったのだから、いつかは終わるという希望を抱いて待ってみよう。

 私たちの梧柳洞集会は、11月の最初の週に集まりを再開し、6週間会うことが出来ていた。そうするうちに、確定患者が1000人近くに達した12月の2週から、再び中断してしまった。束の間の集まりだったが、9ヶ月ぶりと感慨無量だった。一人一人の言葉は、とても大切だった。お茶一杯交わすことが出来なかったが、一緒に集まる1時間余りの時間が、とても嬉しく、ありがたかった。

 私は最近、インターネットで提供されるニュースを、出来るだけ見ようとしない。誹謗、謀略のニュースで一杯だからだ。聖書が嘆息している場面と、余りにも似ていて、恐ろしさを覚える。いくら恐ろしい目に遭っても、人々は悔い改めず、殺人と淫行、盗みを続け、自分だけが行うばかりでなく、それを行なう者を正しいとまで庇うのだ。私は正しく、君は間違っているという「我是他非」が、2020年の四字熟語だという。厳しい時期だが、お互いを慰め合いながら生きて来たという四字熟語は、見られないか・・・。苦々しい思いだ。

 私たちキリスト者は、常に主が来られることを、望んで生きる者たちだ。だから、この世が全てではないことを、良く知っている。一度死ぬという事実は、誰にでも決められたもので、その後には審判があるというヘブル書の言葉を信じている。今日、私の言うことと行動とが、後で神様の前で、全てが明らかになる筈だが、その日のその時間を、どうやって耐えることが出来るだろうか!私たちキリスト者であっても、全ての瞬間を見守ってくださる神様の、炎のような目を記憶しながら生きていきたいと思う。

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


<2020年12月号>

○「聖書信愛」2020年12月号(第471号) 目次

・巻頭言「怖がらないようにしよう」     ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 179回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ヨハネの黙示録を読む           ソン・ヒョンソプ

・新約聖書翻訳本(マタイ7:1〜14)   チョン・ジュンドク

・歴史の神                 ヨン・チャンホ

・ダビデと聖戦               チョ・ギュチョル

・教会と信仰                ハン・チョンジュ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「怖がらないようにしよう」

 

 もう2020年も最後の月だ。今年は、我々が一度も想像すらできなかった出来事を多く経験した。人々が一様に顔にマスクをつけているのも不思議な光景であり、学校が学期中に閉校するのもあり得ないことだった。今は、皆、このような現象を止むを得ない日常として受け入れ、静かに適応している。

 梧柳洞集会も2月に会を中止し、すぐにまた集まると考えた。集会の再開は、いつまでも先延ばしにされ、一人で礼拝をし、大変だったことだろう。ある方は、いつ会合を再開するのか、毎週確認して来た。いよいよ社会的距離を置く第1段階に緩和された11月になって、10人未満で会合を始めたが、4週間で第2段階に格上げされるというので、推移を見守りながらしばらくは慎重に会合を続けようと思う。

 コロナ19によるパンデミックを神の審判と言い、また他の人は、大災害の前兆の状態と言う。実際、ヨハネの黙示録を学んでいると、さらに激しい自然災害と疫病の災いが人類を待っている。そのため、韓国は、今後、今回のコロナ19のような思いがけない事件に出会うだろう。これを通じて、神がこの世を創造された時から計画していたことが、順に行われていることを認めざるを得ない。

 幸いにも、イエスは、マタイによる福音書の中で、私たちをこのように安心させて下さった。

「二羽のスズメが一両で売られているではないか。しかし、その中で、一つでも、お前のお父さんが承諾しなければ、地に落ちることはないだろう。お父さんは、お前たちの髪の毛までも全て数えておられる。だから、恐れるな。お前たちは、多くのスズメよりも貴重なのだ。」

 世の中が揺れ動き、困難に直面しても、動揺せず、神だけを頼りに生きていくことを、両手を合わせて祈る。

燮/ソン・ヒョンソプ)

 


○「聖書信愛」2019年4月号(第451号) 目次

・巻頭言「妻の定年退任」          ソン・ヒョンソプ

・イエス伝(日本語からの翻訳 160回)  塚本虎二(キム・ヒョンチョル訳)

・ヨハネの黙示録を読む(24回)      ソン・ヒョンソプ

・ルカ福音講解               矢内原忠雄(クォン・テジュ訳)

・良心と聖霊                ヨン・チャンホ

・(生活断想)私たちが夢見る教会      キム・ポンネ

・マンガで読む一行の聖書          メナリ

・写真とともにする全国集会記        編集者

・こんなことあんなこと           編集者

 

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巻頭言「妻の定年退任」

 

 妻がついに定年退職をした。教師たちに対して、人々は「最近の教師はどこにいるのか」と否定的に言うが、私が見ていた大半の教師は、昔も今も、自分の安危や利益、生徒たちのためのことが衝突すると、喜んで自分を犠牲にする。

 妻の場合にもそのようなことがあった。6年生の担任だったが、1級の正教師研修を受けることになった。当時は、学校間の受験競争が激しくて、授業をサボってはいけなかった。結局、研修には最小限の参加をし、子どもたちは最高の成績を出した(その時の教え子が安山で漢方病院を営み、米国で科学者として活動した)。一方、妻は研修点数が悪く、昇進の際に苦労した。

 妻は、同僚の教師から「アイデアバンク」と呼ばれ、幸せな学校生活を送った。それに、新学年になったら、金福禮(キム・ポンネ)先生が担任教師になれるようにと、夜明けに祈る父兄もいたほど、子どもたちと仲良くしていたようだ。

 最初から校長や教頭になることを考えていなかったが、40代半ばで急に気を変えて大学院に行き、研究大会に出て、授業実技に挑戦するなど熱を出した。その結果、奇蹟的に4年間の校長職まで果たし、幸せに退職したのだ。

 退任式は、妻の望み通りに行わず、転出教師たちの送別会を兼ねて行なったというが、西海小学校の約90人の全職員と涙の別れを告げたようだ。「昇進したら、配慮してあげられる立場で本当に良い」と、いつも言っているが、おそらくそのように温かいリーダーシップを発揮したのだろう。これもまた、神様に感謝せざるを得ない。

 40年間働いたのだから、「3月の遠足」に行こうと、月々のお金を貯め、ヨーロッパ・リュックサック旅行を提案し、快く同意した。私は、あまり旅行がすきではない方だが、妻を幸せにしてあげることに心を決めたからだ。

 それで、今、リスボンからボルトに行く汽車の中でこの文を書いている。窓の外に見えるポルトガルの田舎は、すでに緑が茂っている。

燮/ソン・ヒョンソプ)