<講演会の映像記録集>

 水戸無教会聖書集会で行われた講演会の映像です。30年以上も前の映像も収録されていますので、画像の乱れなどがありますが、ご容赦頂きたいと思います。


鬼沢力男兄「主は我が牧者」(2023年クリスマス講演)

2023年12月17日に行われた水戸無教会聖書集会のクリスマス講演です。司会/安昌美兄。


萩野谷興兄「今、憲法9条を考える」(2022年クリスマス講演)

2022年12月18日に行われた水戸無教会聖書集会のクリスマス講演です。


佐藤邦也兄「イエスの誕生に思う」(2021年クリスマス講演)

 2021年12月19日に行われたクリスマス集会における、佐藤邦也兄の「イエスの誕生に思う」の講演動画です(讃美歌112番、115番/聖書 マタイによる福音書1章18〜25節/司会 鬼沢力男)。

 当日は、昼食を挟んで、午後に感話会を開催致しました。大勢の兄姉による感話を伺うことが出来て有意義な時となりました。なお、Skypeによるライブ配信を行い、遠方の兄姉が参加して下さいました。


小山洋先生「聖書よりみたる敗戦後の日本」(2005年クリスマス講演)

 2005年12月18日のクリスマス集会で行われた、小山洋先生の「聖書より見たる敗戦後の日本」の講演動画です。

 小山洋先生は、1946年12月25日に東大聖書研究会主催による矢内原忠雄先生のクリスマス講演「日本の前途」を聴講することによって回心に導かれ、その後、教育者として歩んで来られた方です。文部省勤務から長野県立高等学校で教鞭を取られ、愛農学園農業高等学校の校長を10年間務められました。この講演時には、財団法人三愛教育振興会理事長を務めておられました。


<What's new/大森孝夫兄「いつも我らと共にいます神」(2004年クリスマス講演)

 2004年12月19日のクリスマス集会で行われた、大森孝夫兄「いつもわれらと共にいます神」の講演動画です。

 大森孝夫兄は、茨城キリスト教学園中学校・高等学校において教鞭を取られ、長く校長職を務められました。水戸無教会聖書集会においては、集会発足当初から聖書講解を担当されるほか、水戸無教会誌の編集責任者も務められました。


<What's new/水戸無教会聖書集会発足50周年記念講演会「内村鑑三と現代」(佐藤全弘先生)>

 2004年5月23日に行われた、佐藤全弘先生の「内村鑑三と現代」の講演動画です。

 水戸無教会聖書集会は、1954年6月13日に、水戸幼稚園の一室において最初の集会を開催して発足しました。2004年は、発足してから50周年を迎える記念の年となり、佐藤全弘先生(大阪市立大学名誉教授)をお招きして記念講演会を開催しました。


<半田信行兄「茨城福祉工場のあゆみ」(2018年11月25日)>

 2018年11月25日の公開講演会で行われた、半田信行兄「茨城福祉工場のあゆみ」の講演の動画です。

 社会福祉法人自立奉仕会茨城福祉工場は、水戸無教会の創設メンバーであった故半田梅雄兄によって1977年に設立され、水戸無教会の先人達も運営に協力して来ました。


<星野俍子姉「東原保育園(現水戸幼稚園)創立者松本文助とその周辺の人々」(2016年9月25日) >

 2016年9月25日の公開講演会で行われた、星野俍子姉「東原保育園(現水戸幼稚園)創立者松本文助とその周辺の人々」の動画です。星野俍子姉召天1周年を記念して掲載致します。(2020年8月29日召天)


<星野俍子姉「ふたたび暮鳥を-水戸での活躍と説教メモと詩」(2014年1月26日)>

 2014年1月26日の公開講演会で行われた、星野俍子姉「ふたたび暮鳥を-水戸での活躍と説教メモと詩」の動画です。星野俍子姉召天1周年を記念して掲載致します。(2020年8月29日召天)


<萩野谷興兄「ヘブライ人への手紙」第13回(2020年3月15日)>

 2020年3月15日の集会で行われた、萩野谷興兄「ヘブライ人への手紙」第13回の動画です。1年間の連続講話のまとめとなります。


<小山哲司兄「内村鑑三の再臨運動から学ぶ」(2019年12月15日)>

 2019年12月に行われたクリスマス講演会の動画です。講演時間は、約100分です。


<小山祐子姉「命どぅ宝ーー沖縄の平和運動の原点を探る」(2019年7月28日)>

 2019年7月28日の感話会で語られた「命どぅ宝ーー沖縄の平和運動の原点を探る」です。小山祐子姉は、6月に沖縄に滞在されて、沖縄のキリスト者と交流し、また、平和運動にも参加されました。沖縄の平和運動の特徴や原点が分かる証言です。特に、ビデオを通して、平和運動の先駆者として活躍され、沖縄のガンジーとも呼ばれる阿波根昌鴻さんの肉声が聞けるのは、大変貴重だと思います。

 証言の中に出てくる地名、人名などについて補足します。

○友寄隆静氏は、那覇聖書研究会のメンバーで、沖縄市の保育園園長です。証言の中で使用しているビデオは、友寄氏が収録したものです。

○伊江島は、沖縄県国頭郡の離島で、本部港からフェリーで30分ほどかかります。第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受け、戦後は島の約半分が米軍基地でしたが、島民の基地返還運動の結果、5度に渡って部分的な返還が行われました。

○阿波根昌鴻氏(1901~2002)は、沖縄の反戦平和運動の先駆けとなった方です。「乞食行進」の先頭に立つほか、反戦地主会の中心となるなどして米軍に抗議し、基地返還運動を行いました。

○伊江島にある「わびあいの里」は一般財団法人で、「ヌチドゥタカラの家」は、「わびあいの里」が設立した「反戦資料館」です。現在は、阿波根昌鴻氏の養女である謝花悦子氏が館長を務めています。

○金井創氏は、日本基督教団佐敷教会の牧師で、辺野古新基地反対運動に携わっています。著書として「沖縄・辺野古の抗議船「不屈」からの便り」(2019年4月刊 みなも書房/1500円)などがあります。

 


<水戸幼稚園創立50周年記念式典(1997年5月3日)>

 水戸無教会聖書集会が、集会の会場としている学校法人ひまわり学園 水戸幼稚園の創立50周年記念式典の映像です。

 水戸幼稚園は、故松本文助・つやご夫妻によって、1939年に東原保育園として創立されました。そして、1947年に水戸幼稚園として、新しいスタートを切りました。

 松本文助・つやご夫妻は、水戸無教会聖書集会が発足時のメンバーであり、集会の会場として水戸幼稚園を提供して下さいました。一方、集会の参加者有志が、水戸幼稚園の理事として運営に協力するなど、水戸無教会聖書集会と水戸幼稚園は、互いに協力しつつ歩んで参りました。
 この映像には、水戸無教会誌創刊号の執筆者が、何名も姿を見せています。故石原秀志兄、故大森孝夫兄、故小貫武壽兄、故桜井五郎兄の姿を見ることが出来るのは嬉しいことですし、故松本友子姉の挨拶、祈祷が収録されています。
 水戸無教会誌第167号(1997年6月)に、石原秀志兄の「50周年を祝してー水戸幼稚園園舎改築竣工式祝辞ー」が掲載されていますので、下記に引用します。
 なお、古い映像ですので、不鮮明であるほか、画像・音声の乱れなどがありますが、ご容赦頂きたいと思います。

 

「50周年を祝して 一水戸幼稚園園舎改築竣工式祝辞一」

 石原秀志

 本日は、松本友子園長、智昌事務長をはじ、日毎園児のために熱意をこめて骨折りを続けておられる先生方、また、かつてここで同じ働きを続けておられた方々にとって、まことに意義深い日となったことを、心よりお喜び申し上げます。保護者の方々すべてに対しても、同じ喜びを申し上げます。

 学校法人ひまわり学園の役員の方々にも同じ事を申し上げねばなりません。

 この新しい園舎の建設という大事業は、開園50周年記念に合せて計画され、漸く実現致しましたが、このことの為に中心となって苦労された園長と事務長のお二人と、設計施工に懸命の努力を払われた工事関係の方々に対して、心より感謝を申し上げます。

 50年前、正しくは58年前、東原保育園として、この水戸幼稚園の土台を築かれたのは松本文助、つや両先生であり、お二人の幼児教育に寄せる壮大な祈り、夢と希望と苦闘とが、今このように見事な「ひまわりの花」として咲き出ていることを、最も喜んでおられるのも両先生でありましょう。

 私共は、43年前、お二人の熱心と少数の有志の協力によって生れた祈りの輪に連ることを許され、水戸無教会ゲループとしてのささやかな歩みを続けさせていただきました。お二人を含め天に召された方々は決して少くありませんが、今私達は、このような召された多くの方々ーー証人によって、水戸幼稚園が囲まれていることを想起させられます。(ヘブル人への手紙12章)

 正しく本日は、天にある者、地にある者が共に心を併せて、この水戸幼稚園の51年目にむけての出発式であることを感謝し、祝い、神様の御導きを祈り求める日として覚えたいのであります。

 戦後50年という記念の年を、私共は一昨年迎えました。そして今日は、その戦後日本の根本指針となった日本国憲法の施行50周年にあたります。この憲法に支えられ、時に強制されて、日本の国は、国際社会にしっかりと地歩を築いてきたと言えます。

 しかし今、この国は大きく揺れています。

第1、日米安保条約をめぐって、ことに沖縄の人々の永続した痛みを、如何にして共に痛み、共に解決できるかという、外交と内政の面において。

第2、世界に稀な、ここ10年来のバブルの横行とその崩壊というその崩壊という経済の面において。

第3、老人、幼児、病者、社会的弱者、在留外国人たちを対象とする社会福祉の面において。

第4、節度を知らない工業化、商業化、都市化、欲望の肥大化等によって惹き起された環境問題 ー 悪化や破壊の面において、農業や農山村の衰退、荒廃も、このことと無関係ではないのです。

 しかし、このような揺れ動きの中で、最大、最重要の課題は、この国の次の世代の担い手の育成、ことに教育問題に外なりません。

 勿論、何時の時代でも、教育が重要でなかったことはありません。日本の江戸時代を支えた重要な基盤は幕府の文教政策であり、また諸藩の藩民教育であったと思います。明治政府の学制頒布も、50年前の教育基本法も、その後の時代形成のための根本的な基礎工事となりました。

 この基本法と共に学校教育法によって、 新時代の幼稚園教育も発足いたしますが、この水戸幼稚園は、正にこの新しい時代に相応しい基礎工事の担い手として新たにスタートしたのです。

 以来50年、旧水高敷地内での出発、この東原の旧園地での再出発、園舎の増改築、緑豊かな園庭の拡大整備、そして今回の新園舎の完成へと大きな変遷を経験しました。また前園長から現園長へのバトンタッチ、智昌氏の事務長就任など、経営面での強化刷新を果し、園児も40名に足りない時期を経て現在の体制になり、3歳児保育の実現など、さまざまな苦労がありました。12年前の学校法人への組織換えは、ことに大きな犠牲と試練の時であったと思われます。その間に勤務され退かれた数多くの方々のご苦労も忘れるわけにはまいりません。

 このような荒浪、大浪や小浪を経て、今、水戸幼稚園は、ゆるぐことのない存在であります。それは言うまでもなく、創立者ご夫妻の信頼の源である<千代経し巌>としてのイエス・キリストと父なる神によって支えられた生命体とされたからであります。

 今の時代の社会が直面している激しい混乱と揺れ動きの中で、どうか水戸幼稚園の存在とその働きが、未来の担い手である子供たちにとって、人間形成の大切なステップとなり、この園舎や園庭に、更には南側に拡がる溢れる自然・大地が、いつか懐かしい育みの場として、先生方の親しい導きや友達とのふれ合いと共に、想い起されるに違いないということを切に願い、また期待いたします。

 

〝神様に一番近いのは幼児です。〟(ある人のことば)

〝幼児の我に来るを許せ、止むな、神の国はかくの如き者の国なり。〟(マルコ10・14) 

 

 以上


<島忠勇先生講演会「マルコ福音書の独自性」(1987年4月26日)>

 島忠勇先生の講演会は、晴嵐無教会と水戸無教会の合同集会として行われました。合同集会が、初めて開催されたのは、1983年4月のことだったそうです。

 晴嵐無教会は、水戸無教会に先行して発足した集会です。那珂郡東海村にある、結核療養所村松晴嵐荘(現在の国立療養所晴嵐荘病院)の入院患者を中心として、1950年に発足しました。その年の9月には、信仰誌「晴嵐無教会」創刊号が発行されています。副題として「病床をキリストとともに生きる」と書かれた冊子は、毎月刊行を原則として続けられました。編集を担当したのも、執筆したのも、入院患者であり、自分自身が病身であることから「一号一号が最終号」という緊張感のもとに発行が行われたそうです。編集に当たったのは、寺田宏、永田収、根本菊三郎などの方々でした。

 集会の運営は、参加者が輪番で講師を務める形式で行われましたが、外部から講師が訪れて、晴嵐無教会を支えました。主な外部講師には、諏訪信、斎藤茂、塚本虎二、藤沢武義、黒崎幸吉、石原兵永、矢内原忠雄、小林三喜枝、村松藤枝、堤道雄などがおりました。この中でも、斉藤茂は、特に足繁く訪問したそうです。

水戸無教会は、晴嵐無教会から数年遅れて発足しましたが、近隣にある集会として協力し、交流していました。島忠勇先生の講演会もその一環です。残念ながら、晴嵐無教会は、集会員の高齢化、召天によって解散しましたが、晴嵐無教会によって茨城の地に播かれた福音の種は、各地で芽を吹き実を結んでいます。

 講演会で講師を務めておられる島忠勇先生は、長野県小諸出身の無教会伝道者です。小山英助・源吾の指導を受けて、内村鑑三や藤井武の著作を知るようになりました。1933年に藤井武の「羔の婚姻」により、回心を経験。のちに塚本虎二の門下に入られました。敗戦後、須坂市に移り、聖書研究会や日曜学校を開設。信州各地に散在する集会を訪ねる訪問伝道者となりました。1966年に「信州無教会文集」を創刊され、1982年より「信州無教会」と名称を改めて発行を続けられました。2000年には、第400号を発行しています。

 

 この動画は、水戸無教会の松本智昌兄が撮影し、水戸幼稚園で保管されていたものです。古い映像ですので、画像の乱れなどがありますが、ご容赦頂きたいと思います。


<島忠勇先生講演会「新約聖書第1ページ ーインマヌエルの研究ー(1989年4月9日)>


<島忠勇先生講演会「レビ記の福音」(1990年4月8日)>


<島忠勇先生講演会「第3イザヤ ー救を阻む者ー」(1991年11月10日)>


<島忠勇先生講演会「聖書における目」(1995年4月2日)>