イザヤ書(鬼沢力男)

「イザヤ書を学ぶ」第13回-第3イザヤ 讃美歌 122番 332番/聖書 イザヤ書 63章1-6節/ 今回をもって、イザヤ書の学びを終えることに致します。イザヤ書は、300年に渡ってなされた預言が記された書であり、3つに区分されます。1章から39章が、第一イザヤであり、神への背きに対する審判が勧告されます。40章から55章は、第二イザヤと呼ばれ、ペルシア王キュロスがバビロンを占領し、捕囚民が帰還するまでの預言が記されています。そして、本日取り上げる56章以降は第三イザヤとされ、帰還した捕囚民が失望、落胆した際に、第二イザヤの救済のメッセージを呼び覚ますものです。神は、失望したイスラエルの人々に「起きよ」と呼びかけます。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く(60章1節)」と。 第三イザヤが預言を行った時期、バビロンから帰還した人々は、周辺から流入した異民族と生活を共にしなければなりませんでした。文化も宗教も異なる人々との生活の中で失望し、落胆したイスラエルの人々を叱責すると同時に、慰めの言葉が語られます。
「イザヤ書を学ぶ」」第12回 ー 第3イザヤ/讃美歌 216番、260番/聖書 イザヤ書 60章1〜3節/本日は、第3イザヤを取り上げますが、その前に、これまでの内容を振り返っておきたいと思います。イザヤ書は、大きく3つの部分に分けることができます。1章〜39章(第1イザヤ)、40章〜55章(第2イザヤ)、そして、56章〜66章(第3イザヤ)です。第1イザヤは、紀元前740年〜701年頃に行われた預言であり、イスラエルの背きに対して神の審判が行われることを警告しました。第2イザヤは、紀元前546年〜538年頃に行われた預言です。その中心は、「救済」の託宣であり、約束でありました。この時期に、ペルシア王キュロスがバビロンを占領し、イスラエルを70年に及ぶ捕囚から解放し、エルサレムへ帰還させました。しかし、当時の世界文化の中心地であったバビロンで過ごした70年は長く、捕囚時期に子どもだった者は老人となり、バビロンで生まれた者にとって、エルサレムは異郷の地でした。エルサレムとは異なり、礼拝の場としての神殿のない生活を送る中で、繁栄するバビロンの風習に溶け込み、
「イザヤ書を学ぶ」第11回 ー 主の僕の使命/讃美歌 239番、285番/聖書 イザヤ書 52章13節〜53章12節/本日の聖書の箇所は、旧約聖書の最高峰であり、イエス・キリストに繋がる部分だとされます。まず、これまで学んだことを振り返っておきましょう。40章から始まる第2イザヤで取り上げられているのは、背きの故に、バビロン捕囚に至ったイスラエルの厳しい状況です。そうした中で、少数の者が、地の塩となり、世の光となり、神によって主の僕として選ばれて、その役目を果たします。矢内原忠雄は、政治的解放者、霊的解放者という言葉を用いていますが、政治的解放者として、神に選ばれたのは、ペルシア王のキュロスでした。44章で、神は、キュロスに向かって、「わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者」と呼ばわります。キュロスは、異教の神を拝む偶像崇拝者であり、これは大変なことでした。しかし、神は、そうしたキュロスに油を注がれたのです。キュロスは、神が、自分を選び、油注がれた者という称号を与えられたことを知りませんでした。キュロスは、バビロンに対して力を振るいましたが、それは、神からの力であり、キュロスを通して
本日(2019年11月3日)は、鬼沢力男兄による「イザヤ書を学ぶ」第10回が行われました。 「イザヤ書を学ぶ」第10回 ー 救出・自覚・覚醒 ー 主の僕の使命/讃美歌 216番、510番/聖書 イザヤ書50章4〜9節/1930年3月末に内村鑑三が亡くなり、それから僅か4ヶ月後に、弟子であった藤井武も亡くなりました。藤井武の全集を読んだことが、私が、今回、イザヤ書を取り上げる切っ掛けとなりました。少し長くなりますが、藤井武の文章を引用します。「選民イスラエルとその使命と神の愛の約束」(藤井武全集2から)「我等は時に自分一人で生きておるかのように思うことがある。しかし、それは本当ではない。(中略)子らのために母が苦しむように、心なき多数者のために、選ばれた少数者が苦しむ。そうしてその犠牲の故に多数者の福祉は保たれる。」「神は人類を憐れんで、これを滅ぼさざらんがために、ひそかにその中の少数者を選びたもう。その少数者に、ある重き荷を負わしめたもう。彼らは自ら塩となって地の腐敗をとどめる。彼らは自ら光となって世の暗黒を照らす。言い換えれば、彼らは自分のために生きず、
「イザヤ書を学ぶ」第9回 -救出・自覚・覚醒-主の僕の使命/讃美歌56番、332番/聖書 イザヤ書49章1節〜9節/最初に、前回までの内容を振り返っておきましょう。イザヤは、イザヤ書の冒頭でイスラエルの背信を次のように指摘します。「天よ聞け、地よ耳を傾けよ、私は子らを育てて大きくした。しかし、彼らは私に背いた(1章2節)」「彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り背を向けた(1章4節)」と。この背信の故に、神の審きが下り、バビロンに強制的に移住させられたのです。それは、70年に及ぶ長い期間となりました。私たちは、過去のこととして学んでいますが、実際に捕囚を経験した人々は、大きな不安のうちに置かれたと思います。 かつて、出エジプトの際も、イスラエルの人々は、モーセに導かれつつ、40年に渡って荒野を旅しました。通常であれば、1ヶ月ほどで移動できる距離だったと思われますが、遠回りをしながら、時間をかけてゆっくり移動したのです。人々の不安は募り、エジプトに戻って奴隷になった方が良いとまで、言い始めました。出エジプトを経験した世代の人々は、約束の地カナンに入ることを許されず、
「イザヤ書を学ぶ」第8回ーバビロン捕囚に至る道/聖書ーイザヤ書44章24節〜48章末まで/讃美歌ー243番、271番/本日の聖書は、神が、ペルシア王クロスを用いてバビロンを崩壊させ、捕囚民が故国へ向かうという状況の中でなされた預言です。本日は、エレミヤ書とエゼキエル書を参照しながら、学びたいと思います。エレミヤは、祭司の子として生まれ、ヨシヤ王の宗教改革が行われたBC627年に預言者としての召命を受けました。その活動はBC583年頃までで、南ユダ王国が崩壊してバビロン捕囚が行われた、最も暗く悲劇的な時代の預言者でした。彼は、あめんどうの花の幻を見る中で神の召命を受けます。そして、「公平と正義を行わず、支配者は無慈悲で盗人の仲間で、弱い者たちの権利と訴えは無視し、皆悪ばかり行う。立ち帰れ、イスラエルよ」と叫び、神がその審判として北の方から災いと破壊をもたらすと預言しました。しかし、身分の低い者も高い者も、神に立ち帰ることを拒みます。エレミヤは神に訴えました。「なぜ、神に逆らう者の道は栄えるのですか」と。
聖書 イザヤ書44章24−28節/讃美歌 82番、313番/アッシリアの侵入により、北イスラエル王国は721年に滅亡します。更に、ユダ王国にも侵入してエルサレムを包囲しますが、神の不思議な業により、18万人余りの犠牲者を出して撤退します。アッシリアは、BC621年に滅亡しますが、今度は、バビロンが勃興します。ヒゼキヤ王は、バビロンの使者に王宮にある全てのものを見せますが、「見せたもの全てが、バビロンに運び去られる日が来る」という神の言葉が示されます。ヨシヤ王は、先祖の悪行によって神からの災いが起きたと考え、それを正そうとしましたが、神は許さず、587年にエルサレムが陥落してバビロン捕囚が行われました。その災いの中で、幸いなことが一つありました。神殿の代わりに、シナゴーグで安息日礼拝が持たれるようになったことです。律法の書の朗読が礼拝の中心となり、律法の書の編纂が行われました。一方、望郷の念が強まり、世界救済の思いへと展開して行きます。バビロン捕囚は、大変な試練でしたが、イスラエルの人々は、神からの試練と受け止めて信仰の純化が図られました。これは、大きな恵みだったと言えるでしょう。
聖書 イザヤ書42章1~9節/賛美歌 228番 292番/本日学ぶ42章の前提には、イスラエルの民が神に背き続けた歴史がありました。神は恵みとしての試練を与えて来ましたが、民はこれに気づかず、神に立ち返ることがありませんでした。バビロン捕囚は、背き続けた民に対する神の審判であると、イザヤは示しています。しかし、その一方で、神は、イスラエルの民に対して愛の手を差し伸べて来ました。ギデオン、サウル、そして、ダビデが神の僕として選ばれ、新約の時代には、イエスが選ばれます。42章の冒頭は「見よ、私の僕を」で始まりますが、内村鑑三は、イザヤ書の私訳の中で「神の選んだ僕の姿」を理想の伝道師とし、「いためる葦を折ることなく、残れる灯火を消すことな」く、静かに真理を語り続けるその姿に、自分もそうありたいという思いを重ねていたようです。当時の内村は、日露戦争に反対して万朝報を退社し、公の立場を去って、経済的に困窮する中で聖書を説く生活に入りました。この僕の姿に、自分の生き方の覚悟をつかんだのではないかと思います。第2イザヤは、やがて52〜53章の苦難の僕の姿を通してイエスに繋がっていきます。
イザヤ書40章1〜11節。賛美歌217番、514番。/740年以降イザヤは神の召しにより、神の御旨を伝える預言者として忠実に預言を続けましたが、ユダの民はイザヤの伝える「神への罪のもたらす結果」について深刻に受け止めませんでした。アッシリアの支配下で多くの財や貢物を取られたが、国が滅びるという決定的な試練に遭遇せずに乗り越えてきました。イザヤの預言の最後と見られる年、701年アッシリア軍がエルサレムを包囲、落城の危険が目前に迫ったが、神の憐みで危機一髪を免れました。この出来事にもかかわらず、ユダの国民は、自分たちの神が「神に立ち帰れ」「正義と公平を行え」と預言者を通して命じた神様の要求に背いたことへの審きとしてアッシリアを遣わしたと思わなかったのです。そのため「神にのみ依り頼む」純粋の信仰に立ち帰りませんでした。こうして預言者イザヤの努力は空しく終わりましたが、神はすっかり見通しておられ、イザヤの預言がすぐ実現するのではなく、その後に実現していくように準備されたのです。100年が経過して世界情勢は大きく変わり、アッシリアが倒れ、バビロンがとって代わり、更にペルシャが台頭していきました。