<講演会「沖縄が当面する問題について」(講師 西浦昭英氏)>

 2023年11月8日(水)に、水戸無教会聖書集会有志を発起人とする講演会「沖縄が当面する問題について」(講師 西浦昭英氏)が開催されました。

 沖縄の抱える問題について、現場を熟知される西浦氏のレポートが行われました。

 米軍基地が沖縄に集中するようになった経緯について、歴史的な角度から説明が行われたほか、米軍基地が集中した沖縄の負担の重さが浮き彫りにされました。

 辺野古の新基地建設工事は、海底地盤の堅い部分は100%完成しましたが、地盤が軟弱な部分は手付かずで、工事は、ほぼストップした状態だそうです。

 沖縄の問題は、私たち日本人全体の問題だと受け止める必要性を感じました。

 


<「沖縄の平和 -キリスト教信仰50年で気づかされたこと」(友寄隆静)>

「沖縄の平和」

副題・・キリスト教信仰50年で気づかされたこと

 

那覇聖書研究会  友寄隆静

 

 1963.1.15私は16(1)の時にキリスト教の洗礼を受けました。罪からの救い主としてイェス・キリストを受け入れました。古い自分を捨てて、新しい自分になる新生の印として、洗礼を受けました。浜辺で兄弟姉妹が讃美歌320番「主よ、みもとに近づかん」を歌っている中、牧師に導かれ、海の中に全身を沈める浸礼を受けました。その場所は現在、海を埋め立ててできた野球場、日ハムのキャンプ場「21世紀の森」ができている沖縄県名護市にありますが、昔の面影は全くありません。進学に悩んでいた高校三年の5月頃、友人から頂いた一冊の書物 それは内村鑑三著「キリスト信徒の慰め」でした。岩波文庫の100pもない書物でしたが、「明治の日本に巨人がいた」との衝撃を私に与えました。そのことについては後程改めてお話ししたいと思います


<沖縄の今を伝える -琉球新報への投稿から-(友寄道子)>

 那覇聖書研究会の友寄道子さんから、お便りを頂きました。お便りと共に、2010年と2020年に琉球新報掲載された2つの投稿のコピーを同封して下さいました。

 2つの投稿を読み比べてみると、10年経っても沖縄の現状が変わっていないことがよく分かります。

 米軍基地が集中している沖縄から、基地が撤退して、平和が回復することを祈ります。

 

琉球新報2010年4月10日投稿

 

許しがたいこと(友寄道子  63歳)

 

「最低でも県外」と私たち沖縄県民に夢と希望を与え新しい政権が発足した。大事な命の一票を投じた多くの県民。今や希望は失望に変わりつつある感だ。なぜなら基地移設は沖縄ありきと言わんばかりに国外・県外を真剣に、大げさに言えば命がけでさがした形跡が私には全く感じられない。

 おととし、和が家の愛娘が米兵の車のボンネットにはね上げられ振り落とされ、米兵はそのまま逃走した。現場を見ていた人たちが車のナンバーを警察に伝え、すぐに警戒網を張ったおかげで基地の中へ逃げこもうとするところを捕らえた。恐ろしい、許しがたい事故・事件に遭った。

 基地がもたらすものは、事故・事件・爆音の公害である。人間の心も安まらない。もうこれ以上私たちの子や孫に負の遺産を残してはいけない。子どもを産みはぐくんできた一人の母親として、基地はもちろん戦争に関する一切の事を拒否したい。

 負の遺産を残さないためにはどうすればいい?

 非暴力で平和を愛した沖縄のガンジーともいわれた、伊江島の阿波根オジーの声が聞こえる。「みんなが反対すれば戦争はなくなる」「みんなが反対すれば基地はなくなる」と。この言葉をみんなにお伝えしたい。(沖縄市)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 

 

琉球新報2020年11月26日投稿

 

無くならぬ基地被害(友寄道子 73歳)

 

 うるま市内の環境のいい地域に転居したと、喜んでいた。ところが、朝昼夜、真夜中を問わず飛び交う米軍機騒音の波、波、波に大きなショックを受けた。

 テレビ、ラジオの音が聞こえない。さらに電話も相手の声が聞き取れない。ほとんど家にいる主婦にとってはイライラが募り、耐えられない騒音である。

 以前、北谷町砂辺に住んでいた。その頃、赤ん坊だったわが子に授乳させていたが、何度もはき出した。さらに、便秘も繰り返した。

 物言えぬ赤子は体で不調を訴えていた。また、上の子どもたちは大声で怒鳴って話している。人の話をきちんと聞けない。落ち着きがない。これは連日、米軍機の騒音の下で生活した影響だと考えられる。

 10年前には、娘が米軍人が運転する車にはねられた。命は別状なかったが、これも大きな基地被害だ。

 人が殺しあう戦争を目的とした基地と訓練を許してはいけない。それをやめさせるにはどうしたらいいか。「みんなが基地を反対すればなくなる」「みんなが反対すれば戦争は起こらない」

 今、改めて平和を愛し、米軍に奪われた土地を取り返すため非暴力抵抗運動に尽力してきた伊江島「命どぅ宝」の故・阿波根昌鴻さんの生き方をかみしめ、自分にできることを実践していきたい。(うるま市)

 


<「マリアの心」(友寄隆静)>

キリスト教保育所同盟沖縄地区会クリスマスメッセージ

「マリアの心」

友寄隆静

2017.12/2 沖縄キリスト教短期大学チャベルにて

 

 キ保同沖縄地区会の皆様、クリスマスおめでとうございます。

 50年前の1967年7月、8月に私は岡山県倉敷市の日本基督教団倉敷教会で 50日間お世話になりました。その教会の隣に、 大原美術館がありまして、そこで見たのが只今お読みいただいた、聖書の箇所を絵にしたエル・グレコの作品「受

胎告知」の絵画でした。グレコはスペインを代表する有名な画家の一人ですが、50歳頃の 1600年頃に描かれたようです。

 大きな翼の天使ガブリエルが、未婚の女性マリアに「神様に恵まれた方よ、おめでとう」と言われた瞬間、 驚きと戸惑いの表情のマリアと、その頭上では天使たちが祝福の音楽を奏でている絵です。

 聖書はクリスマスの物語として、マタイによる福音書では、天使がマリアのいいなずけのヨセフに現れ、星占いの博士たち、ヘロデ王が登場しますが、ルカによる福音書では天使がマリアに現れ、羊飼いたちに現れ、ベツレへムで生まれたことが記されています。

 光の子保育園では毎年クリスマスをお祝いしていますが、11月の誕生会の余興は保育士の先生たちが聖誕劇を演じ、12月には年長の幼稚園組の全員が役割分担をして今年は来る16 日のクリスマスに演じることになっています。

 ストーリーは一緒でも、 演じる子供たちは毎年違いますので、何度見ても飽きません。天使がマリアに現れてお告げをする個所ももちろん出てきます。

 未婚の女性に突然「あなたに、 来年男の赤ちゃんが生まれますよ」と言われたら誰でもピックリすることでしょう。「えーっ、まさかでしょう。ありえない」と考えるのが普通でしょう。 マリアも同様でした。その思いは当然のこととお見通しの天使は「神にできないことは何一つない。あなたの親類のエリサベトも不妊の女と言われ年も取っているが、もう身重になって6か月になっているよ。」と告げました。「神にできないことは何一つない」ことを覚えることがクリスマスであります。このお告げの前にマリアは「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と返事をしたので天使は去っていったといいます。

 しかし、マリアは余りの出来事に、このことが夢ではないか、幻ではないか、ウソではないかと心の揺れを感じて数日間過ごしたことと思います。

 その結果のマリアの行動は何でしたか。「親類のエリサベトが、 6か月の身重になっている。」との天使の言葉を思い出し、 エリサベトの家に出かけることでした。「急いで山里に向い、ユダの町に行った。」とあります。「急いで」 とあるのは、天使のお告げが嘘か本当か早く確かめたいとのマリアの心を表していると思います。実は私、友寄は昨年11月に年休をとりましてイスラエルを旅行してきました。イスラエルは日本の四国の面積、840万人の国、です。

 沖縄からイスラエルまでは飛行機の直線距離で87941kmありますが、成田国際空港からロシアのモスクワまでアエロフロート航空機で 10時間、 乗り換えてモスクワからイスラエルのテルアビプ・ベングリオン国際空港まで更に 4時間かかりました。この短い旅行での収穫は距離感覚が分かったことでした。聖地エルサレム周辺の地形はアップダウンの多いところで、イェスキリストがゲッセマネの園で逮捕されてから、大祭司の屋敷とかピラトの官邸など引きずり回されて裁判、十字架にかけられるまでは1.2kmくらいであることが分かりました。そして今日の話との関連で言えることは、マリアの住んでいたナザレから親類エリサベトのいるユダの町までの距離は何と100kmもありました。沖縄なら糸満の喜屋武岬から国頭の辺戸岬までの距離をマリアは自力で歩いて出かけたことが分かりました。徒歩で 100lkmという距離は1日では着きません。2000年前のことですから、3~4日はかかったのではないでしょうか。到着した途端、エリサベトのおなかの赤ちゃんが踊りだしたというのです。 マリアはその事実を自分の目で確認することで「神にはできないことは何一つない」という天使の言葉は信じるべき言葉であることを確信したのであると思います。 戸惑いから確認のための行動をとり、確信へと進んだマリアの姿は、 子どもを愛する保育士の皆様の姿に重なります。 共通確認は特に必要なことであります。

 この世界を造られた神様は、命の造り主であります。人の思いを超越した方です。イスラエルの先祖、アブラハム 100歳の時、不妊の妻サラは 90歳で息子・イサクを生んだとあります。また不妊の妻ハンナも神様に祈り続けて身ごもり、預言者サムエルの母となりました。

 男女の開係なしに神の子・イェス様を身ごもり、馬小屋でお産したマリアの心、それは「神にはできないことは何一つない」という信頼でありました。罪なき神の子が十字架につき、 理不尽の死を余儀なくされ、復活された出来事もまた「神にはできないことは何一つない」を示しております。 このことを信じて生きる人に神様はさらに大きなプレゼントを下さると言います。

 

<祈り>

 神様は私たちを愛し、人間には不可能な、人間の罪を許すために、イェス様をこの世界にプレゼントしてくださいました。 マリアのように私たちも「神にはできないものはない」を信じられるようにしてください。この世界から沖縄から軍事基地や暴力、 貧困がなくなり、 互いに愛し合う平和の世界となる日がきますように、キ保同につながる私たちを平和の器として用いてください。この祈りを平和の主、イェス·キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 


<キリスト教愛真高校の夕拝に参加して/2019.6.23>

 沖縄滞在中に、島根県にあるキリスト教愛真高等学校の生徒と同宿になりました。
 キリスト教愛真高等学校は、高橋三郎が中心となって創立された少人数・全寮制の高等学校で、平和学習に熱心に取り組むことでも知られています。1年次は広島、2年次は呉・大久野島、そして、3年次は沖縄に1週間滞在して、沖縄の歴史と現状を学びます。
 愛真高等学校と、メッセージを担当された友寄隆静兄のご厚意によって、慰霊の日に、ぎのわんセミナーハウスで行われた夕拝に参加することが出来ました。
 
 
友寄隆静兄のメッセージ
 聖書  詩編46編9-10節
 今日の聖書の箇所に入りましょう。聖書の神、命の造り主の神が、最も喜ばれるのは、互いに愛し合うこと。一番嫌うことは、戦争です。神は、大切な命が失われることを、深く悲しまれます。殺してはならない命だからです。
 詩篇46編9-10節。口語訳では「主は、地の果てまでも戦いをやめさせ、弓を折り、槍を断ち戦車を火で焼かれる」と書いてあります。キリスト教の神は、戦争が嫌いな神様だということを伝えています。
 74年前の沖縄戦で、20万人以上の夥しい犠牲者を出し、今も消えない悲しみを抱えて生きている沖縄の人々にとっても、戦争は、絶対してはいけないものなのです。戦争につながる新基地建設、辺野古埋め立て、米軍基地建設に反対している沖縄の人々が、県民投票で72%もいることがはっきりしました。政府のしていることは、沖縄の人々に喜ばれているのか、嫌がられているのか、皆さんは、自分で考えて欲しい。
 命の授業である、皆さんの修学旅行が、人生の祝福となるようにお祈りしたいと思います。
 最後に、愛真高校を創立された高橋三郎の先生は、矢内原忠雄、その先生は、内村鑑三です。彼の言葉を紹介します。
「聖書の理想的国家は、軍隊を廃止する国家。武器を捨てることが、平和の始まりであります。キリストを主として抱く者は、絶対的に戦争に反対しなければなりません。国旗を有し、軍隊を有する国の中に、我らの国と称するに足る国あるなし。我らの国は、天にあり。」
「平和を愛する者は、戦争に反対すべきである。たとえ一語たりとも戦争賛成の声を發すべからず。たとえ一票たりとも、戦争賛成のために投ずるべからず。信者は、何故に戦争を廃するか?それは、神のみ心を信ずるからである。」
「キリストによる平和を経たるものは、蛇蝎のごとくに戦争を嫌う。絶対的非戦論者である。」
 これらは、1919年の聖書の研究に載せられた言葉です。
 以上で、私の話を終わります。
 

↓の動画は、夕拝の際に歌われた讃美歌(讃美歌第2編171番)です。


<第43回内村鑑三記念キリスト教講演会/友寄隆静「慰霊は贖罪か」>

 2019年6月22日、沖縄慰霊の日の前日に、那覇聖書研究会が主催する、第43回内村鑑三記念キリスト教講演会が行われ、参加することができました。
 第1回の講演会は、1975年6月22日。内村鑑三の非戦・平和の思想を重んじて、慰霊の日に近い日を選んで講演会を行って来たそうです。地方の集会が、単独で、40年以上もの長きに渡って記念講演会を継続出来たということは、集会の方々の非戦・平和への思いの深さは勿論ですが、神様の支えがあったとしか言いようがありません。
 これまでの講師には、佐藤全弘、小山洋、西村秀夫、新井明など、水戸無教会とも縁のある先生方が含まれているほか、小山祐子姉の証言に登場した阿波根昌鴻氏の名前もあります。
 今年の講演会は、那覇聖書研究会の友寄隆静兄と、春風学寮寮長の小舘美彦兄が講師を務めました。
 ここでは、友寄隆静兄の講演をご紹介します。
 
「慰霊は贖罪か」
 那覇聖書研究会 友寄隆静
 
 内村鑑三は1861年から1930年まで70年の生涯であったが、元号に換算すると万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和と七つの時代を生きたことになります。天皇を尊敬したが、天皇制、特に1891年1月の不敬事件でひどい目にあわされた生涯でもありました。それでも二つのJ、JAPANとJESUS、日本とイエス・キリストを心から愛しました。去る5月から日本の元号は令和となりましたが、平成最後の月となることで、4月はマスコミによる天皇礼賛のような平成30年間の皇室報道の毎日でした。中でも昭和天皇が一度も訪れなかった沖縄に11回も訪問されたことが特筆され、「贖罪的行動」との評価もされました。
 私は1947年9月の昭和天皇による「天皇メッセージ」は、戦後沖縄の苦難の原点と理解しています。マッカーサーの政治顧問・シーボルトに天皇の御用掛・寺崎英成を通して「沖縄を25年ないし50年もしくはそれ以上の米国による統治を希望する」提案が4年後の平和条約第3条となり、現在も続く沖縄の苦悩の根底を思う時、平成天皇11回の来沖、慰霊行動が贖罪になるとの見方には違和感を覚えます。慰霊祭はメモリアルサービスであり、生者が死者を追悼し、その霊を慰めるため、供花、供え物、黙祷などをする儀式ですが、沖縄戦を記憶、継承する者としては「戦争につながるものを拒否する」決意も問われると思います。戦争原因も知らされず、謝罪もしない慰霊だけでは物足りない気がします。
 祖先崇拝の沖縄では今もウチカビ(紙銭)や豚の三枚肉が旧盆行事や焼香の時に必ず使用されますが、そこには「生前の罪をお許しください」という思いが表現されています。沖縄の風習は旧約聖書の過ぎ越しの祭り、天からのマナ、アダムとエバ物語との類似点もあり、ユダヤ教の影響を指摘する方もいます。出エジプト記20章には神がイスラェルの民に与えた十戒が示され、その後で、違反者への厳罰・死刑について記されています。それを免れる行動として牛、羊、鳩などが代わりに殺されて供えられました。これが贖罪、アトーンメント=アト  ワンメント(分離されていたものを一つにする)であると内村鑑三は言います。
 神の前に罪を犯した私たちのために、神の子イエス・キリストが身代わりとなり十字架で死んでくださった、そして神はイエス様を死から復活させてくださった。神は愛のみでなく罪を怒る義の神でもあります。「キリスト教の真理は中心が二つある、楕円の真理である」として、1916年3月に弟子藤井武との信仰論争で語り、対立しましたが、7年後に藤井は回心し、内村はその回心を心から喜んでいます。しかし、一人の死が、本当に万人の贖罪となりうるのかは、十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と絶叫したイエス様の中にもあったかもしれません。しかしそれ以上に、「人にはできないことも神にはできる」強い信頼があったことを神は認めて祝福し、復活させたのです。これによって神は罪人を義とし、神ご自身も義となられました。このことを信じる者を神は義とし、復活の約束とされました。これこそスペシャル中のスペシャル、サプライズ中のサプライズであります。贖罪は、慰霊以上の重さある一事であることを確認したいと思います。

 


<第43回内村鑑三記念キリスト教講演会/小舘美彦「本当の戦い」>

 那覇聖書研究会主催の内村鑑三記念キリスト教講演会は、通例として、地元沖縄の講師と県外の講師の2名を迎えて行っています。
 2019年の県外からの講師は、小舘美彦兄。小舘兄は、現在、拓殖大学で講師を務める他、春風学寮の寮長として学生の育成に当たっておられます。
ここでは、小舘美彦兄の講演をご紹介します。
 
 
「本当の戦い」
 春風学寮寮長 小舘美彦
 1なぜ人は戦争をするのか
 聖書には人類全体の転機となるような重大な出来事が所々に記されている。その一つがサムエル記上の8章だ。ここでイスラエルは神に代わって人間を王として仰ぎたいと訴える。そして神ではなくて人間の王に頼り仕える道を選ぶ。人間の王に頼り仕えれば、王の奴隷となり、戦に駆り出されるのだぞと神から警告されたにもかかわらず。以降人類は一度として神を国の指導者として仰がず、人間の指導者に頼り仕えてきた。ここにこそ戦争の根本的な原因がある。
 2どうすれば戦争を防げるか
 だとすれば、どうすれば戦争を防ぐことができるかという問いに対する答えも見えてくる。神に頼り従う指導者を選べばよいのだ。そしてそのためには何よりも先ず、私たち自身が神に頼り従う者とならなければならない。
 しかしここで壁にぶつかる。はたして神に頼り従って生きることなどできるのか。私たちもイスラエルのように神以外のものにより頼み、従う存在なのではないか。そのような私たちを変えるためにこそ神はこの世にイエスを遣わした。イエスは私たちに神に従うということが本当はどういうことなのか、それがいかに素晴らしいことであるのかを示した。つまり神に従うことの真の意味とそこからもたらされる真の恵みを明らかにしたのだ。
このイエスの啓示によってたくさんの人間が変えられてきた。神に頼り従えない者から神に喜んで頼み従う者へと変えられたのだ。このことに着目するなら、どうすれば戦争を防げるかという問題に対する答えは明らかだ。イエスの啓示をより多くの人に伝え、より多くの人を変えていけばよいのだ。
 3神に従うとは
 では神に本当に従うとはどういうことなのか。そこにはどんな恵みがあるのか。イエスは神に本当に従うとは愛を行うことであると言った。では、愛とはどのようなものか。愛のもたらす恵みとはどのようなものか。
愛の最も大事な点は次の三点である。
 第一は裁きを神に委ねること。神を全面的に信頼するとは、畢竟裁きを全て神に委ねることである。これこそ愛の第一の柱である。
 第二は悪を憎み、善を愛すること。これについては内村鑑三が「ロマ書の研究」で非常に優れた見解を述べているので引用してみよう。
 愛と言えば全然愛にして、その中に憎しみの一部分なりとも含まるべきではないと、 普通の人は考える。しかしながら真の愛は悪に対する憎悪を充分に含むものである。・・・人を愛するというても、その人のなす善をも悪をも共に愛してはならぬ。これ真の愛ではない。真の愛はその人の悪を強く憎むと共に、 その善を強く愛するのである。(第49講)
 つまり、人そのものへの裁きは神に預けつつも、人の悪いところに対してはきちんと批判する、これこそが愛の二本目の柱である。
 第三は自分に害をなす相手に対して奉仕するということだ。パウロはロマ書12章20節でイエスの教えをこうまとめている。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ」
 なんとすさまじい教え。しかしこれこそ、愛の第三の柱である。
 まとめるなら、神に裁きをゆだね、にもかかわらず相手の悪い所は批判し、それでいて相手に奉仕する、これが愛の枢要である。
 そんなことはできないと思うかもしれないが、もしこのような愛を周囲の人たちに実践していくなら、周りの人はそこに不思議な温かみと清らかさとそして明るさを感じるだろう。それと同時に私たち自身も心に深い充足感を覚えることだろう。これこそ愛のもたらす真の恵みである。そしてこのような恵みを表す言葉こそがシャローム(平和)である。このシャロームを味わうなら、私たちも喜んで愛を行えるようになる。そしてその態度は周りの人にも広まっていく。これこそイエスが示した究極の戦争を防ぐ道ではないか。そしてこのような愛をこの世のただ中で実践していくことこそ、「本当の戦い」なのではないか。この「本当の戦い」を見事に表現した内村の文を引いて終わりとしよう。
 ある人、神の愛に感じ、これに励まされてわれを愛せり、われその人の愛に感じ、これに励まされて他の人を愛せり。 彼またわが愛に感じ、これに励まされてさらにあるほかの人を愛せり。愛は波及す。延びて地の果てに達し、世の終わりに至る。われも直ちに神に接し、その愛をわが心に受けて、地に愛の波動を起こさんかな。
(内村鑑三全集13巻203ページ)
 

<第9回合同平和祈祷集会/石原艶子「平和はキリストの十字架の下に」>

 2019年6月21日に、那覇バプテスト教会で開催された第9回合同平和祈祷集会に参加することができました。今年の講師は、那覇聖書研究会の石原艶子姉です。
 石原姉は、長野県の出身で、女学生時代に、水戸無教会とも縁のある小山洋先生によってキリスト教信仰に導かれました。その後、愛農学園高等学校に勤務する石原昌武兄と結婚され、学園での生活を24年に渡って共に過ごされました。1990年にご夫妻で西表島に移住して、西表友和村をつくり、山村留学生や心の疲れた人たちと生活を共にされました。2010年に、長男夫妻に後を委ねて沖縄本島に移住され、様々な平和活動に参加されています。
 沖縄の無教会の特徴の一つは、教会と連携していることです。沖縄では、教会が中心となるような活動、催しが数多くありますが、那覇聖書研究会の方々は、各々の判断で、そうした場に参加しておられます。今回の合同平和集会のように、教会が、無教会のキリスト者を講師として招くのも、連携があるから出来ることです。
 キリストの肢体として、教会と無教会は繋がっています。特に、平和を願う思いに教派の垣根はありません。この集会に参加することで、そのことを、改めて確認できたと思います。
 なお、石原姉のご好意により、合同平和祈祷集会での講話の原稿を、そのまま掲載させて頂きました。
 
 敗戦後74年「沖縄慰霊の日」
平和はキリストの十字架の下に
那覇聖書研究会 石原 艶子
 心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。 (新約聖書マタイ福音書5:8~10) 
 普天間基地にオスプレイが強行配備された2012年10月から私達は普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌い、聖書の御言葉に聴き、平和への祈りを献げてきました。そんな中で集い来るキリスト者としての絆が結ばれていきました。時に心弱りめげる時にもあの人、この人の顔が思い浮び、強められ支えられて今日まで参加することが出来ました。そんな中で神様は、神谷牧師さんを通して、私に声をかけて下さり、今日この場へと導いて下さったのです。沖縄戦の体験もなく、本土育ちの私が今ここに立ち語ることが許されるのだろうかと畏れを抱きつつも、こうして語ることが許される時が来たことに深い感慨を覚えつつ、74年という時の重みをずっしりと感じています。敗戦後74年を迎えたこの日、沖縄戦での慰霊を沖縄から解き放ち、世界平和への祈りとして世界(地球)的な視点で戦争を知らない若い世代の人達と共に学び、共に平和を祈り、行動していくことが求められていると思います。沖縄戦の真実を知り、また沖縄のもつ歴史的な意味と役割とを客観的に見ることが大切と思うのです。私は辺野古ゲート前での座り込み、安和の港でのダンプ土砂搬入阻止行動、嘉手納基地ゲート前でのピースアクション行動、防衛局前での抗議行動など、元気な沖縄の女性の皆様と共に叫び、もう六年も続けています。そんな活動の中から考え、教えられたことなどを分ち合いたいと思っています。
 私は先日、二度、佐喜眞美術館を訪ね、丸木位里・俊夫妻の描かれた「沖縄戦の図」の前に立ちまし た。丸木夫妻はこの絵に「国内で唯一地上戦を体験した沖縄で、人間がどのように破壊されているかを描き、そのことをしっかり見て、戦争をしない歴史を歩んでほしい、との願いを込めた」と言われています。ここに描かれている死者達は、私だったかも知れないと思い、この地獄絵の魂たちと向き合わなくては、私はとても皆様の前に立って語ることなど出来ないと思いました。
 私共が故郷沖縄本島に帰って来たのは2010年の夏でした。翌年の6月23日、国際反戦沖縄集会、魂魄の塔平和コンサ ートに初めて参加しました。魂魄の塔の前で祈りを捧げる多くの人々の姿、お花や飲物が供えられ、 線香の香が漂い、慰霊一色の空気に包まれたその場に足を踏み入れた時、「ああ!!戦争はまだ終っていないのだ」と、頭を打たれたようなあの強烈な印象を私は今も忘れることが出来ません。周囲のさとうきび畑を見渡すと、ざわわ、ざわわときび畑を渡る風の中から父、母、兄弟を呼ぶ魂たちの声なき声が聞こえてくるようでした。あの沖縄地上戦の図が生々しく蘇えり、戦争の恐ろしさに身が震えました。その後石原絹子さんとの出会いに導かれ、絹子さんの戦争体験をくり返し聴く中で沖縄戦の悲惨な地獄の実態があまりにも生々しく心に迫り、沖縄に暮す一人として強い反戦平和への思いが私の命の内に血となって流れ始めたのです。絹子さんとは同じ石原姓の姉妹のようになり、絹子さんの「沖縄戦を語り継ぐ」の本を多くの人に紹介しました。また福岡、大阪での平和講演会にもお供しました。
 神様は◉殺してはならない◉隣人を自分のように愛しなさい◉喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。と語りかけて下さいます。NO WAR、戦争につながる人殺しの基地は要らない。心の底から湧き上ってくる平和への強い思いと祈りに突き動かされて座り込み、抗議行動を続けています。これは私の力ではなく、神が与えて下さる力だと実感しています。 
 今、世界の潮流は右傾化が進みつつあり人々は内向き不寛容、排他的となりアメリカと中国との覇権争いや貿易戦争、権力者による人権と自由への弾圧など互いの不信感を強め、謀略をめぐらし、混沌の中一触即発の戦争危機を抱えています。安倍政権は憲法9条を改悪して、アメリカに代って戦争できる国へと南西諸島のミサイル基地化を進め、辺野古新基地を民意を全く無視して強行しています。 また、死の商人の国アメリカへの従属を強め、武器の「爆買い」は留まるところを知らず、防衛費は6,2兆円と拡大の一途、これはすべて私達国民の税金からです。武器の爆買いをやめたら、子供達の教育や医療のために、生活保護、年金など国民のために使えるのです。私たちの税金なのに何故このことが自分事とならないのでしょうか。18歳選挙権も徴兵制への布石だと分っていながら何故、若者は自分事とならず、安倍政権を支持するのでしょうか。
 神を忘れた人間の欲望は止まるところを知らず、高度に進化した科学技術は途方もない世界へと人類を操り、人間を逆襲するに至りました。 人々が大切にしてきた「命どぅ宝」は脅かされ、壊され、人々は孤独となり、ゲーム依存、薬物依存、いじめ、暴力、自殺、殺人などが闇の中に拡大し、人々は身心を病み、悪魔の手中の中で苦しみ、うめき滅びへと。人間崩壊の不幸な時代となりました。一体人はどこへ向っていくのでしょうか。祈り求めた平和と幸せはどこにいったのでしょう。戦争をやめられない人間の底知れない罪の深刻さを思い、言葉を失います。
 動物たちは群をつくり、リーダー争いはしますが、負けても決して群を殺すことはしません。人間だけが残忍に人を殺す者となり、今も戦争を繰り返し、地球は人間の罪のためにうめいています。聖書は私たちに語りかけます「あなたがたの愛が深い知識において、鋭い感覚において、いよいよ増し加わり、—何が重要であるのか判別するように—」と。今こそ私たちは目覚めなくてはなりません。私たちが今日、真に慰霊を祈るというなら、私たちは神の前で本当の敵の正体を見破り、決 して闇の力、悪に加担せず、イエス・キリストの十字架の旗を掲げて、光と愛の側に立たなくてはなり ません。沖縄の大らかさをもって悪を容認するならば、かつてあったようにだまし、だまされる関係の中でひとつ穴に落ちて行くでしょう。ある方が言ったように、私たちは右向けと言われたら右を向き、左と言われたら左を向き、死ねと言われたら死ぬのですか。「もの言わぬ民は滅びる」のです。 慰霊を語ることは、自分自身の生き方が問われることだと思います。私たちが幾百万もの魂たちの前で戦争は二度と絶対にしてはならない、NO  WAR、と叫ぶなら魂たちは生き返り、私達と共に闘って下さるでしょう。そして戦争がこの世界から無くなった時、初めて、魂たちの慰霊の日が訪れるのだと思います。
 丸木さんの沖縄戦の絵の中で、最も悲惨なものは親子、兄弟で殺し合ったあの集団自決の地獄絵です。丸木さんは集団自決とは手を下さない虐殺だとハッキリと言っています。何故こんな惨状が起きたのか、そこに天皇を神とした皇民化教育があったことを決して忘れてはなりません。皇民化教育によってマインドコントロールされてしまった故の悲劇の実体と私たちは今、真正面から向き合わなくてはなりません。それと同時に加害者ともなった事実とも向き合わなくてはなりません。二度と同じことを繰り返さないために。それは今、この日この時に私たちは向き合わなくてはいけないということなのです。
 令和制定の日、沖縄の人々はどう反応しましたか。今回、慰霊の日に読まれる「本当の幸せ」の詩の中に平成、令和が使われていることに、不安を感じるのは私だけでしょうか。沖縄からの慰霊の日のメッセージとしての発信だからこそ元号を使ってほしくなかったと思うのは私だけでしょうか。沖縄戦や特に集団自決を思えば、元号を使うことはとても出来ません。今や子供達を指導できる教師もいないのでしょうか。平和教育の危機と、再び天皇制にコントロールされる沖縄の弱さに不安を感じるのです。 
 イザヤは予言しました。 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(旧約聖書イザヤ書2:4~5) 
イザヤは何故このように確信することが出来たのでしょうか。私はイエス・キリストの御霊がイザヤと共にあったからだと思うのです。私はこのイザヤの予言の言葉はキリストの十字架の下に成就していることを信じるものです。何故なら、キリスト御自身が平和の実存そのものなのですから。
 去る5月30日、星野文昭さんは、沖縄のために闘って無実の罪で獄中44年、国家権力によって殺され逝かれました。獄中で沢山の平和への絵を描かれました。星野さんと深くかかわり支え祈り続けられた平良悦美さんは「文昭さんは沖縄の未来への夢の火種となって生きている」と言われました。権力に殺されても死なないものとは何でしょう。それこそが死なない魂、存在そのものの内にある愛、 だれも奪うことの出来ない命です。
 イザヤの予言はキリストを通して実現している故に私たちは野嵩ゲート前で主の祈りを「御心が天に成るごとく地にも成りますように」と祈り続けているのです。敗戦後74年、今も戦争が終らない現実の中で、座り込み闘い続ける沖縄の民こそは未来への平和の火種となって次の世代を支えていくでしょう。そして世界とアジアの平和に向って用いられていくこと でしょう。いついかなる試練が来ようとも私たちは平和の主なる十字架の下にひれ伏し、キリストに従い祈る一人一人としてこの慰霊の日に神の前に決意し、未来への平和の火種となりましょう。
 最後に皆様にお配りしました「青い空」の歌を共に歌って終りとしたいと思います。この歌はベトナ ムで反戦歌として歌い続けられているそうです。青い空は核のない青い空です。広島の核爆弾、そし て2011年の原発事故、今も苦しんでいる多くの人々を思い青い空を祈りましょう。2番は私が沖縄 地上戦を想像して替え歌にしました。青い海は辺野古の海。この青い海に基地を造ってはいけないとの悲痛な叫びでもあります。3番は地球家族としての世界平和への夢の実現を一人一人との交流、つ ながりの中でつくっていこうとの決意でもあります。辺野古座り込みの現場でもうるまの友人が歌い続けて下さっていますことを、感謝しています。 
 
1 青い空は青いままでこどもらにつたえたい 
 燃える八月の朝 影まで燃えつきた 
 父の母の兄弟たちの命の重みを
 かたにせおって胸に抱いて 
2 青い海は青いままでこどもらに残したい 
 燃える沖縄の海 地獄の血の中で 
 父の母の兄弟たちの命の叫びを
 胸に抱いて 命どぅ宝 命どぅ宝 
3 青い空は青いままでこどもらに伝えたい
 青い海は青いままでこどもらに残したい
 すべての国 から戦の火を消して
 平和と愛と友情の命の輝きを 
 この固い握手とうたごえにこめて

<沖縄からの讃美の歌声>

<普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会>

 2019年6月、沖縄に出かけた時に、普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会に参加して来ました。毎週月曜日の午後6時から始まります。よほどの悪天候でない限り、歌い続けて来たそうです。

 この会は、2012年10月、オスプレイが沖縄に強制配備されることに抗議する意味で結成されました。

 沖縄の米軍基地に反対する運動は、平和的に行われることが特徴です。米兵も良く知っているゴスペルを歌いかけることによって、平和のうちに基地返還を求める沖縄の人々の思いが伝わるのだと思います。

 反対運動のもう一つの特徴は、超教派で行われることです。ゴスペルを歌う会には、カトリック、日本基督教団、バプテスト、無教会など、様々な信仰的な立場のクリスチャンが関わっています。時には、お坊さんが参加することもあり、袈裟衣を身に纏ったお坊さんと一緒にゴスペルを歌ったことがあります。平和を求める思いに、宗教の違いなど関係がないことが、良く分かります。

 ここで歌っている「We shall overcome !」は、マルチン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と演説し、人種差別の撤廃を訴えて、ワシントンで大行進を行なった時に歌った曲です。

 普天間基地が返還される日まで、歌い続けていくことでしょう。

 

主は国々の間をさばき、

多くの国々の民に、判決を下す。

彼らはその剣を鋤に、

その槍をかまに打ち直し、

国は国に向かって剣を上げず、

二度と戦いのことを習わない。(イザヤ書2章4節)

(イザヤ書2章の言葉は、ゴスペルを歌う会でしばしば朗読されます。)