講演会

講演会 · 2023/12/17
2023年12月17日に行われたクリスマス集会での講演「主は我が牧者」(鬼沢力男)の配布資料(6枚)です。 司会-安昌美/聖書-詩篇23篇1〜6節/賛美歌-239番、66番
講演会 · 2019/12/15
内村鑑三の再臨運動から学ぶ(小山哲司)◯はじめに/クリスマスまでの4週間をアドベント(Advent)と言います。待降節と訳されますが、アドベントには、キリストの来臨 ー 人としてこの世界に誕生されたこと ー という意味の他に、キリストの再臨という意味があります。アドベントの時期は、キリストの降誕を祝う時期であると同時に、キリストの再臨に向けての備えをなす時期であると言えます。  今年は、内村鑑三が、再臨運動を行ってから100年が経った年となりますので、再臨運動を取り上げて学んでみたいと思います。 さて、キリストの再臨は、クリスチャンの信仰において、非常に重要な位置を占めています。最も古い信条である「使徒信条」は、「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」の3つの部分からなっていますが、「子」であるイエス・キリストに関する部分は、次の通りです。(讃美歌566番に、全文が掲載されています。) 「我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は、聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
講演会 · 2017/10/22
「宗教改革から学ぶ」 /今年は、マルティン・ルターの宗教改革から500周年を迎える年ですので、世界 中のプロテスタントが、様々な形で記念の催しを開いていることと思います。 私た ち無教会のクリスチャンにとっても、マルティン・ルターは、特別な存在であり、宗 教改革がなければ無教会は存在しなかったという意味で、非常に重要な出来事であっ たと思います。 内村鑑三がルターから強い影響を受けていたということは、次のように述べている ことから窺われます。「私にとりましては、ルーテルは歴史的人物ではありません。 個人的友人であります。主イエス・キリストを除いて、私の心に最も近い者は、使徒 パウロと聖アウグスティヌスとルーテルであります。これらの三人が無くして、私は 今日あるを得ませんでした。私の霊の生涯は、彼らにならって始まったものでありま す。ことに三人の中でルーテルは時代的に最も近い者でありますがゆえに、特別の親 密を感ずるのであります。」(「ルーテル伝講話 第一回」より)
講演会 · 1973/12/23
 昭和四十八年十二月二十三日、水戸無教会クリスマス集会で語ったもの。  7すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。8わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。9なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。10それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。11すなわち「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」と書いてある。12だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。(ロマ十四・七-十二)  わたくしが今日語ろうとするすべての思いは、この中にこもっております。
講演会 · 2024/04/27
 特別に新しいことではなく、聖書の中から、皆さんと共通の問題即ち、〝人は如何に生くべきか〟と言う根本問題について、共に学びつつ話してみたいと思う。人間としては甚だ弱いものであるが、神の力に支えられて、痩がまんでなく、本当のことを学びたいと思う。キリスト教の本質は、佛教やマホメット教などのいわゆる一般的宗教とは違うということである。キリスト教による神は、我々人間が生きて働いているように、何時も生きて全世界を支配し給う神である。マルコ伝一二章二四節ー二七節にあるようにアブラハム、イサク、ヤコブの神である。アブラハムにも生き、イサク、ヤコブにも生々と働きかけ給いし神、今の私たちにも生きて働きかけ給う神である。イエスに問いかけた学者のように、観念的な神にしてはいけない。私たちの内にも生きて在り給う神を眞実の心をもって仰ぎみなければこのことはわからない。