このページでは、無教会の先人の文章を紹介します。
内村鑑三から始まった無教会ですが、内村は「聖書之研究」に掲載したものを中心として、膨大な量の文章を残しました。また、内村の後継者たちも、内村のスタイルを継承し、個人雑誌を発行して伝道したため、それぞれが多くの文章を残しています。
ただ、残念なことに、現在では、絶版になるなどして、入手が困難になっています。
ここでは、水戸無教会誌に掲載された文章や、没後50年を経過し、著作権保護期間が終了した先人の文章を中心に、紹介します。
「一日一生」
「家庭礼拝の手がかり」に掲載している「一日一生」の、過去の掲載分です。飛び飛びになっていますが、ご容赦下さい。
○黒崎幸吉の語る、キリストを信じるに至る「私の歴史」です。黒崎幸吉の肉声を聞くことができます。
○矢内原忠雄の語る「ロマ書講義」です。矢内原忠雄の肉声を聞くことができます。録音状態が悪く、聞き取りづらい部分がありますが、ご容赦下さい。
藤澤武義先生は、鳥取県米子市出身で、海軍機関学校時代の教官から、無教会キリスト教の信仰へと導かれました。結核の療養期間中から伝道活動を行い、伝道雑誌「求道(1930〜1986/416号)」を発行されましたが、「求道」誌は、戦前に度重なる発禁処分を受け、藤澤先生自身も検挙・拘束されるなど、当局からの弾圧を経験されました。戦後は、鳥取県内で4つの聖書集会を行うほか、全国の結核療養所、ハンセン病療養所、死刑囚などへの巡回伝道を行われ、また、9回に渡る韓国への謝罪伝道を行われました。
藤澤先生は、水戸無教会に合計18回も足を運んで下さり、多くの講演を行なって頂きました。最初の水戸伝道は、1960年9月20日の「武士道とキリスト教」であり、最後は、1983年10月2日の「ヘブル書十章十一〜十八節」のご講義でした。水戸無教会が、最も恩恵に与った独立伝道者は、藤澤先生だと言って良いでしょう。
岩島公先生は、晩年の内村鑑三から学んだほか、塚本虎二、金沢常雄、矢内原忠雄各先生方の指導を受けられました。旧制中学、新制高校で国語の教師として教鞭を執りつつ、1946年から永遠の日本聖書研究会を主宰され、また、1962年から伝道誌「永遠の日本」を発行されました。
鈴木武直兄は、福島県相馬市出身で、幼い時に北海道に移住され、高等小学校を卒業すると同時に理髪業に進まれました。やがて浅見仙作翁によって信仰へと導かれ、浅見翁の紹介を得て、内村鑑三のもとで学ぶようになりました。鈴木兄は、理髪師として活動するうちに、信仰への熱心から、顧客への伝道を行うようになり、忙しい業務を担いつつ、伝道雑誌「荒野の歌」を発行するほか、保護司として、刑務所の死刑囚に対しても福音を説き、良き友となって接しました。無教会には、この世的には目立たなくとも、地道に信仰の歩みを全うされ、世の光・地の塩となられた信徒が大勢おります。