「私の仏教研究の出発点は、自分の素朴な疑問にあります。具体的に見る仏教の姿と書物の上での仏教の相違が何処から来たのか、私は疑問を感じておりました。そして、この疑問を大切にしようと思ったのです。また、何故日本にはこんなにも沢山の宗派があるのか、多数の仏は何故あるのか、その根源は同じなのか、違うのかと疑問が次々と湧いてきたのです。」
原始仏教の研究者として著名なその教授の学問の出発点は、実は、素朴な疑問にあったということが、彼の最終講義を受けての収穫でした。素朴でちっぽけな疑問に見えたとしても、その種子からどんな芽が出て幹が伸びるのか、ましてや、どんな実を結ぶのかは分かりません。これは、仏教に限らず、聖書の学びにも言えることだと思います。自分の中にある素朴な疑問を温めつつ、聖書の学びに取り組んでいきたい。こうした姿勢でこれからの担当者としての責任を果たさせていただきたいと考えています。
2 聖書を解釈するとは?
私は聖書の舞台となった中近東を訪ねたことがありませんし、仮に訪ねることが出来たとしても、今の姿は旧・新約聖書当時の姿とは異なるものに違いありません。旧・新約聖書の世界は、私達がこの目で見ることも、この耳で聞くことも出来なず、この日本の日常とは全く異質な世界に相違ありません。聖書の言葉を頼りに聖書世界のイメージを膨らましていくことは、一種の「旅」と捉えることができると思います。
私達が、この聖書の世界を旅しようとするとき、私達は知らず知らずのうちに次のような操作を心の内で行っているはずです。
1) 聖書の文言 → 聖書の世界のイメージ
ところで、聖書の文言の背景には、聖書の世界の現実が横たわっていた筈です。
2) 聖書の背景にあった現実 → 聖書の文言
1)と2)をまとめると、次のようになります。
3) 聖書の背景にあった現実 → 聖書の文言 → 聖書の世界のイメージ
聖書の文言から聖書の世界のイメージを紡ぎ出すことは「聖書の解釈」という問題ですが、聖書の解釈とは、聖書の文言の背後にあった現実(リアリティー)を自分の中に再構成するということに他なりません。「聖書の世界のイメージ」=「聖書の背後にあった現実」となれば理想的ですが、これは難しい。どうしても、解釈者の主体的な要素によって左右されるからです。また、仮に解釈者である私(小山)が、正確な再構成に成功したとしても、それをお聞きになる皆さんへの伝達(デリバリー)の問題が別に生じて参ります。ですから、聖書の文言から紡ぎ出した「聖書の世界のイメージ」は、「聖書の背景にあった現実」とは似て非なるものに違いありません。
しかし、聖書の文言から背後のリアリティーに迫っていこうとする際に、その普遍性を担保する方法がない訳ではありません。
その第一は、聖霊の導きを祈るということです。
私達クリスチャンは、聖書の根源にあるのは神であるという信仰で一致しております。聖書の文言をどう見るかという点で、立場の相違はあるにしても、聖書の根源に神が存在し、神に対する信仰を持ったものが祈りつつ書いた書物であるという点においては疑問はない、と思います。
聖書の文言が成立する際に働いた聖霊の導きを受けることによって、信仰者としての普遍性のある再構成が出来るものと思います。つまり、根源的な作者である神に依り頼んでこそ、普遍性のある解釈が可能だということです。どうか、担当者のためにお祈り下さい。このイメージは、4)のようになります。
4) 聖書の背景にあった現実 → 聖書の文言 → 聖書の世界のイメージ
↑ ↑
神(聖霊) 神(聖霊)
第二は、聖書世界の舞台装置を正確に把握しておくことです。
たとえば、「ガザ」や「ダン」といった地名が出て来た時に、いくら祈ってもその土地のことは分かりません。やはり、書物を使って調べなければ正確なことは何も分からないでしょう。地名と同様に、イスラエルの民を取り巻く当時の国際関係を理解するには、聖書と同時に古代史の知識が不可欠になるものと思います。こうした人間として出来る努力を怠りなく行うことによって、聖書世界の舞台装置をしっかり押さえておかなければなりません。こうした舞台装置こそ、聖書の各文書の執筆者たちが生きた社会そのものなのですから。これを加えると、次のようにイメージが膨らみます。
5) 人 人
↓ ↓
聖書の背景にあった現実 → 聖書の文言 → 聖書の世界のイメージ
↑ ↑
神(聖霊) 神(聖霊)
神を根源としつつ、人の手によって書かれた書物ですから、それと同様に、神を根源の解釈者としつつ人の手によって還元していくべきものと思います。この両者の営みのどちらが欠けても、キリスト者として普遍性のある聖書解釈は出来ないもの、と考えています。聖書の文言は、歴史の中に突入した神の言葉であり、歴史の中に突入することの故に、歴史の制約を身に帯びることになった、と言えばよろしいのでしょうか。
3 旅の出発点
さて、それでは、今、私が始めようとしている聖書世界の旅の出発点ですが、旧約聖書の創世記を皮切りに旅を始めたいと思います。
私は、正直申し上げて、旧約聖書には馴染みがありません。聖書自体を読んだことは勿論ありますが、旧約聖書の舞台装置が良く分からないままに読み過ごしてしまったように思うのです。折角、聖書の旅に出発するのであれば、良く分からない、不思議な世界を旅してみたいと思うのは自然なことでしょう。キリスト者のルーツを探る旅、とも言えるかもしれませんし、創世記から旧約の旅を始めて、様々な出会いを体験したいと願っております。
創世記については、1~11章と12~50章とに大きく2分されます。
1~11章は、全体のプロローグ的な部分であり、民族としての歴史的な記憶以前の事柄を含んでおります。例えば、創世記は「初めに、神は天地を創造された」という天地創造の記述で開始されますが、天地創造の時点に居合わせた人間は一人もおりません。最初の人アダムが創造されたのは6日目のことですから、初日から5日目までの事柄は人間が認知する以前のことに相違ありません。一方、12章からのアブラハムの記事に至って、初めて民族の歴史的な記憶を色濃く反映した記述に出会うことが出来るのです。
天地創造からバベルの塔までの部分はまた別の機会に譲って、私の旅は、この父祖アブラハムとともに始めていきたいと思います。
4 アブラハム以前
さて、アブラハムとの旅に出る前に、簡単にそれ以前の創世記の内容を簡単に振り返っておきましょう。次の区分は、新共同訳聖書の小見出しを元にした区分です。
1章 1節 ~ 2章25節 天地創造
3章 1節 ~ 3章24節 蛇の誘惑
4章 1節 ~ 4章26節 カインとアベル
5章 1節 ~ 5章32節 アダムの系図
6章 1節 ~ 8章22節 洪水
9章 1節 ~ 9章17節 祝福と契約
9章18節 ~ 9章29節 ノアと息子たち
10章 1節 ~10章32節 ノアの子孫
11章 1節 ~11章 9節 バベルの塔
先程も述べましたように、創世記はアブラハム以前の「歴史」も叙述しており、人間には知り得ない所まで遡っております。
こうした創世記が現在のような形にまとめられたのはいつだったのか、そして、誰の手によるのかという問題についてもここで触れておきたいと思います。
創世記を含む旧約聖書の冒頭の5書については古来より多くの研究がなされ、著者の問題、成立時期の問題が論じられてきました。
創世記の著者が誰かという問題にも種々の議論がありましたが、結論として著者は不明です。保守的な立場からは、モーセが創世記の作者であるという説も唱えられておりますが、創世記自体は著者が誰であるかについては沈黙したままであり、特定の個人を著者として挙げることは出来ません。
成立時期については、創世記の元になる幾つかの資料が存在し、それがまとめられて現在の創世記の形に編集されたものと考えられています。複数の資料が元になっていることを端的に示すのは、神の呼称であります。例えば、新共同訳聖書の創世記第1章においては「神」が用いられておりますが、これが第2章の4節からは「主なる神」と用語が変わっております。この場合の「神」は「ヤハウェ」を訳したもの、そして「主なる神」は「エローヒーム」を訳したもので、この呼び方の違いが元になる資料の違いを物語っているのです。
こうした点から分かるように、創世記は、次の3つの資料から編集されたものと考えられています。
○ J資料
この資料は、神を「ヤハウェ」と呼ぶことから、その神名の頭文字を取ってJ資料と呼ばれています。J資料がまとめられたのはユダ王国であるされており、ユダ(Judah)のJとも語呂が合って覚えやすいと思います。この資料の特徴は、神を擬人的に表現する点にあります。創世記1章と2章4節以下を比較してみて下さい。(第1章はP資料ですが)
J資料がまとめられたのは、紀元前850年頃と言われています。
○ E資料
この資料は、神を「エローヒーム」と呼ぶことから、その神名の頭文字を取ってE資料と呼ばれています。E資料は北イスラエル王国でまとめられたとされております。この資料の特徴は、J資料のように神を擬人化することがなく、神が自分自身を表わす際には、夢や幻を用いたり、天使や天からの声として自分自身を示すのです。(21章17節、28章12節、20章3節、31章11節)
E資料がまとめられたのは、紀元前750年頃と言われています。
○ P資料
この資料は、Priestly Code(祭司典)の頭文字からP資料と呼ばれています。P資料において、神は「エローヒーム」と呼ばれておりますから、J資料との区別は容易ですが、E資料との区別は微妙です。P資料の特徴は、文体が堅苦しく、文学的な要素に乏しいこと、神が超越的な存在として描かれており、唯一神教としての性格が強調されていることです。例えば、創世記第1章はP資料に基づくものとされています。
P資料がまとめられたのは、紀元前444年とされております。バビロン捕囚期のことでした。
創世記中にP資料が用いられていることから分かるとおり、創世記がまとめられたのは、P資料成立以降のことであったと考えられますが、こうした考え方は、聖書の分析批評学という学問の提出した仮説であり、仮説である以上は当然に反論もありますし、本当にそうであったかどうかは、厳密にはわかりません。
ただ、以上の様な立場から創世記の成立を考えることの実益は、創世記のメッセージをより明確なものとすることができる、という点にあります。
例えば、P資料に基づいてまとめられたとされる創世記第1章は、天地の創造は6日間で完成され、7日目に神が休まれたとしておりますが、これは、捕囚後のユダヤ教で重要視された安息日の規定の根源には神による天地創造という出来事があるのだ、という宣言とも受け取ることが出来るのです。
更に、天地創造の持つ最大の意味は(これがバビロン捕囚期にまとめられたとするならば)、当時のユダヤ人たちが唯一神による天地創造の物語をまとめることによって、バビロンの創造神話に戦いを挑んだ点にあるとも言えましょう。
イスラエルの民が囚われて行ったバビロンの地では、当時の世界最大の都において、毎年新年に盛大な新年祭の儀式が行われており、その儀式の中で最も重要なものの一つは天地創造の神話を祭儀的に演ずることでありました。バビロンの創造神話は神話の最初の言葉を取ってエヌーマ・エリシの神話と呼ばれております。この神話によると、世界の始めに混沌の怪物ティアマット(塩水を象徴する竜の形をした女神)とアプスー(真水を象徴する男神)が結合して神々が生み出されました。ところが、生まれた神々は多く、騒がしくなったのでティアマットは怒ってこれを滅ぼそうとします。その時、最も若い神であるマルドゥクが立ち上がってティアマットと戦い、それを打ち殺し、その死体を半分に裂いて、1つをもって大空を造り、他をもって地を造ったということです。このマルドゥクがバビロンの主神であり、創造神であるとされました。
毎年、バビロンで繰り返し演じられるバビロンの創造神話を見て、征服された諸国民達は圧倒される思いだったことでしょうが、ユダヤ人達はそれに屈服することがありませんでした。そして、バビロンの創造神話と接する中で、自分達ユダヤ人はバビロンの創造神話を是とは出来ないという思いから、創世期冒頭の唯一絶対なる神による天地万物の創造の物語がまとめられていったものと思います。これは、敗戦と亡国の民が信仰によってこの世界の苦悩と悲惨に打ち勝ち、この世界を神が造られたものとして積極的に受け取ろうとする態度を示したものとも解釈できます。こうした捕囚期のユダヤ人の姿勢には、この日本という現代のバビロンに生きるキリスト者に示唆する点が多いのではないでしょうか?
ただ、注意しておかなければならないのは、P資料がまとめられたのは捕囚期ですが、これはその時点でのP資料執筆者が創作したということではなく、起源的には相当古い伝承も含まれているということです。
さて、以上述べましたことを全体の緒論とさせていただきながら、これからの担当の責任を果たして参りたいと思います。
(今回の参考資料)
「新聖書注解 旧約1」(いのちのことば社)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記1」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「キリスト教概論」(浅野順一著 創文社)/「旧約聖書略解」(日本基督教団出版局)/「聖書を旅する1」(犬養道子著 中央公論社)