旧約聖書の旅「創世記」第15回「イサクの献供」(小山哲司)

 ロトよりも年長であり、神から約束の言葉を頂いていたアブラムには、当然のこととして土地を選択する権利がありましたが、アブラムは選択の権利をロトに譲ってしまいます。

 アブラムは、エジプトで妻サライを裏切った経験から、心に大きな痛みを抱えていたと思われますが、痛みと正面から向き合う中で、彼は変えられていきます。そして、それがロトとの別れの場面で、選択の権利をロトに譲ることに実を結んでいったのです。苦しみと葛藤が人を成長させるという以上に、神との交わりの中でアブラムは変わって行った。そこに信仰の恩寵があったのだと思います。(13章)

 その後、東方の王たちがカナンを侵略し、ソドムの王たちを撃破してロトを奪い去りますが、アブラムの追撃に破れます。アブラムは、ここでは雄々しい戦闘指揮官として描かれています。(14章)

 これらのことの後、幻の中で「恐れるな、あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」という主の言葉がアブラムに臨みます。

 しかし、アブラムは「あなたはわたしに子孫を与えて下さいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」と抗議をします。アブラムは、子孫を繁栄させ、土地を与えるとの主の言葉を受けたにも関わらず、実子が誕生しないことに不満を抱いていたに相違ありません。

 主なる神は、「あなたから生まれるものが跡を継ぐ。」と具体的な回答を与えてアブラムの迷いを断ち切り、満天の星を見つめながらアブラムは自分自身の子供が誕生して子孫が増えることを信じます。

 その後、主なる神はアブラムに牝牛と牝山羊と牡羊と山鳩とを用意してそれらを半分に引き裂き、向かい合わせに置くように命じます。猛禽がそれを襲わない様に番をするうちにアブラムは深い眠りに陥りますが、夢(幻)の中で神は、アブラムの子孫の行く末について語ります。やがて、辺りが闇に包まれた頃、煙をはいた炉と燃えた松明が引き裂かれた動物の間を通ります。これは神がアブラムと契約を結ばれたしるしでした。(15章)

 こうして繰り返し臨む神の約束の言葉にも関わらず、一向に懐妊する兆しのないサライは、女奴隷ハガルによって母となろうと企てます。

 これは、当時行われていた習慣に乗っ取ったことでしたが、神の言葉よりも人の智恵、人の業に寄り頼んだことによって、アブラムとサライ、そしてハガルの間に亀裂が走ります。

 身ごもったハガルは、サライの仕打ちに耐え兼ねて、また、子供を自分自身の子としたいと願って逃亡しますが、御使いの姿をとられた主にサライのもとに戻るように示され、やがて誕生する子供が繁栄するという約束を受けます。

 こうして、人の思いが招いた悲劇に神は介入し、約束の実現に向けて導く神の姿が改めて鮮明に示されます。(16章)

 ハガルがイシュマエルを産んでから13年後に、主は再びアブラハムに現われます。この時、アブラハムは99歳になっておりました。

 主は、アブラムの子孫を繁栄させ、土地を所有させるという契約を繰り返し、アブラハムと改名するように命じます。彼はまだ一片の土地すらも自分の所有とはしておりませんでしたが、神はカナンの土地が永久にアブラハムとその子孫の所有地であると宣言し、約束のしるしとして一族の男子はすべて割礼を受けるように命じます。ここには割礼の習慣のないバビロンで創世記をまとめた編者の、民族と祖国の復興を信じる信仰が色濃く表われていると思われます。

 割礼の求めに続いて、神はイサクの誕生をアブラハムに予告します。

 アブラハムは、サラが子供を生むという神の言葉を笑いますが、神は1年後にはイサクが誕生し、それが神が契約を結ぶべきアブラハムの子孫であると宣言します。

 こうした神の言葉を受け、アブラハムはその日のうちに一族の男子すべてに割礼を施します。ここに、神の約束に苦笑を漏らす弱さを見せたかと思うと、神の求めを迅速に徹底して実行しようとするアブラハムの複雑な性格が表われていると思われます。(17章)

 イサクの誕生を予告した神は、旅人の姿をとって天幕を訪れ、アブラハムから手厚くもてなされます。その際にも、来年の今ごろサラに男の子が誕生すると予告しますがサラはそれを笑います。

 神の一行はアブラハムのもとを出立し、見送るアブラハムにソドムを滅ぼすつもりであることを示します。アブラハムは、ソドムに少しでも正しい者がいれば滅ぼさないで欲しいと懇願し、正しい者の数を50人、40人と減らしていき「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」という神の約束を取り付けます。ここには、罪なき者には罪ある者を救う力があるという思想が表われており、神とアブラハムとの交渉は緊迫したドラマを展開します。(18章)

 ソドムの町に入った二人の御使いは、ロトの家に招き入れられます。夜中に町の男たちがロトの家に押しかけ、二人の御使いを引き渡すように迫りますが、御使いの目潰しによって難を逃れます。御使いから神がソドムを滅ぼすと聞かされたロトは、逃げることをためらいますが御使いに手を取られて妻と二人の娘と一緒に町の外へと連れ出されます。山へ逃げよという神の命に背いてロトはツォアルに逃げることを求めますが、やがて山の中の洞穴に移り住みます。山の中では結婚相手が見つからないことに悩んだ二人の娘は父親であるロトによって子を得ますが、こうした凄惨な結末はロトの自己中心性に原因があったと思われます。(19章)

 アブラハムはゲラルに移動し、そこでサラを妹と偽りますが、そのお陰でゲラルの王アビメレクによってサラが召し入れられます。アビメレクは夢に現われた神に「召し入れた女の故にお前は死ぬ。・・・直ちにあの人の妻を返しなさい。彼は予言者だから、あなたのために祈って命を救ってくれるだろう。・・・もし返さなかったら、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬ」と命じられ、翌朝、アブラハムを呼びつけます。アブラハムはアビメレクに弁明し、「サラは実際に妹でもあるのです」と苦しい言い訳をしますが、異教の王によって倫理的な過ちを糾弾されたのは屈辱的な経験だった筈です。一方、過ちを犯さなかった者(アビメレク)が、過ちの原因を与えた者(アブラハム)の祈りによって救われ、そのために祈りの報酬として多額の贈り物までしなければならなかったとは、真に不可思議で興味深いこと。アブラハムは欠点が多く、倫理的、信仰的に疑問を抱かざるを得ない人物です。彼自身に価値はなくとも、神の一方的な恩恵によって諸国民に生命を与える器として選ばれたといえるでしょう。(20章)

 主なる神が約束された時期にサラに男子が誕生し、イサクと名付けられました。イサクとは「笑い」という意味。イサク誕生の喜びの笑いであると同時に、神の約束に対するサラとアブラハムの不信の笑いをも意味するものでした。やがて、サラはハガルとイシュマエルを追放することを求めます。アブラハムは少しばかりの水と食料を持たせて二人を送り出しますが、間もなく水が尽き、ハガルはイシュマエルが死ぬことを覚悟します。しかし、神の御使いが現われて「わたしはかならずあの子を大きな国民とする」と言い、ハガルは水のある井戸を発見します。このように旧約の神はイサクを約束の子として選んだ「選び」の神でありますが、たとえ選びの外側にいる者に対しても恵み豊かな神であることを忘れてはなりません。(21章)

 

 それでは本日の箇所に入って行きたいと思います。

 

 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。

 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(22章1~2節)

 

 22章は、1節から19節までの部分と20節から24節までの部分に二分されます。新共同訳聖書は1~19節を「アブラハム、イサクをささげる」とし、20~24節を「ナホルの子孫」としております。22章-というよりもアブラハム物語-の中心をなすのは、前半の1~19節です。

 22章は、アブラハムの物語の中で最もドラマチックな箇所であり、アブラハムと神との関わりが描かれる最後の箇所です。22章以降は、神-或いは御使い-がアブラハムに現われる場面はありません。アブラハムは22章をもって主役の座からはなれ、旧約の舞台から静かに退場して行きます。

 22章は非常にドラマチックな箇所でありながら、その描き方には他の箇所と同じような特徴が表われています。一つは、状況描写がないことです。神が呼びかけたときのアブラハムの状況、モリヤの地へ向かう三日間のアブラハム一行の状況、イサクを燔祭の犠牲として献げるときの状況が全く割愛されているか、極めて簡素に描かれているに過ぎません。状況描写の豊かな現代の文学に親しんだ目から見れば、異様なほど情報量の少ない叙述といえます。もう一つは、登場人物の心理描写がないことです。神がイサクを献げるように命じたときのアブラハムの思いはどんなに描いても描き切れるものではありませんが、全くと言ってよいほど描かれておりません。物語は重要な骨組みだけに絞られ、スリムな骨格のみとなっておりますが、それでいて極めて劇的な印象を与えます。こうした点に旧約聖書の叙述方法の特色を見ることができます。

 

 さて、カルデアのウルを出発したときから何度となくアブラハムに臨んだ神の言葉ですが、22章の呼びかけには一つの目的がありました。それは「試み」です。神はアブラハムを試みようと呼びかけましたが、何故試みる必要があったのかについては語りません。神が与えた約束の子イサクの命を献げよという、人間の理性ではおよそ考えも付かない命令を与えての試み。人間の側に「何故?」という疑問が生じて当然ですが、アブラハムは神に問いかけませんでした。少なくとも聖書には記されていません。

 また、22章は「これらのことの後で」という言葉によって導かれておりますが、具体的にいつ頃、どのような形で神の声が下ったかについても聖書は記しておりません。

 こうした簡素な書き方をみると、「神の言葉が試みを目的として下ったこと」、そして「アブラハムが神の言葉を受け入れたこと」にのみ聖書記者の関心が集中していることが分かります。

 しかし、俳句、短歌のような短詩形文学において、17文字、或いは31文字という文字数からは想像もつかないほど豊かな内容が盛り込まれているように、ぎりぎりまで削ぎ落とされた聖書の叙述からも豊かな内容が湧き上がって来ます。そうした読み方の例として、ここでは政池仁先生の解釈を紹介します。

 政池先生は、アブラハムに神の言葉が下ったのはイサクが赤子の時であったと解釈します。その理由として、当時のカナン地方の人々の間には偶像神に対して自分の長子を献げるという習慣があったことを挙げ、「これは、自分の持っている最も大切なものを、神にささげるという意味においても、自分の罪の代わりに、罪のない者に死んでもらうという意味においても、全く無意義なことではなかった」と、当時の人間にとっては肯定できる面もあったとしておられます。多分、政池先生はイエス・キリストの十字架をこうした人身犠牲と関係付けて見ておられるのでしょう。

 しかし、そうはいうものの、「百歳になって、初めて与えられたイサクを、殺すには忍びなく、また一方、すでに偶像を捨てて、天地の神を直接拝するにいたった彼には、神がそんな残虐を命じられるはずがないとも思えた。『イサクに生まれるものが、あなたの子孫ととなえられるからです』と言われた神が、イサクをささげよと言われるはずはない。しかし、彼がイサクを愛すれば愛するほど、最も大切なものを、神にささげるという意味において、カナンの風習に意義のあることを認めた。さらに、自分の罪ということを考えては、どうしても、赤子をささげねばならぬと考えたのである。愛情と、理性と、敬虔と、罪責の念が、彼の心の中に、毎日こんがらがって闘争したことであろう。そして彼は、その解決に達し得ず、一日一日とささげる日を延ばしてきて、今や赤子は少年となり、少年は青年に近くなった。そして、ついに彼の良心は、愛も理性も踏みにじって、敬虔に勝利を得させ、わが子をささげようと決心するに至ったのではあるまいか。」(「創世記講義」政池 仁著 聖書の日本社 1961年 P351)

 ここで政池先生が指摘されている人身犠牲の習慣は、旧約聖書の中にその例を幾つか見ることが出来ます。

 

 モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れてきて、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き上げて自分の国に帰った。

                    (列王記下3章26~27節)

 

 レマルヤの子ベカの治世の第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。アハズは二十歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目にかなう正しいことを行わなかった。彼はイスラエルの王たちの道を歩み、王がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした。彼は聖なる高台、丘の上、すべての茂った木の下でいけにえをさげ、香をたいた。         (列王記下16章1~4節)

 

 彼(マナセ)は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。                  (列王記下21章6節)

 

 ユダの王たち、エルサレムの住民よ、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしは災いをこのところにもたらす。それを聞く者は耳鳴りがする。それは彼らがわたしを捨て、このところを異教の地とし、そこで彼らも彼らの先祖もユダの王たちも知らなかった他の神々に香をたき、このところを無実の人の血で満たしたからである。彼らはバアルために聖なる高台を築き、息子たちを火で焼き、焼き尽くす献げ物としてバアルにささげた。わたしはこのようなことを命じもせず、語りもせず、心に思い浮かべもしなかった。(エレミヤ書19章3~5節)

 

 列王記3章はヨラム王の時代(在位BC849~842)、16章はアハズ王の時代(在位BC735~715)、21章はマナセ王の時代(在位BC687~642)です。一方、エレミヤ書19章はエホヤキム王の時代を背景としていますので、紀元前609年~598年であると判断されます。

 つまり、長子を神への犠牲としてささげる習慣が残っていたのは何もアブラハムの時代に限ったことではなく、時代が下がって北イスラエル・南ユダ王国の時代になってさえもそれがあった。そして、上記の引用箇所は、創世記22章に用いられているE資料が成立した時代とほぼ同じ時代だということになります。

 政池先生はアブラハムの時代を念頭におき、主なる神への信仰とカナン地方の習慣との間で揺れ動いているアブラハムの姿を描いておられますが、E資料が編纂された時代にも人身犠牲の習慣が残っていたことを考えれば、E資料の編纂者たちが、アブラハムの物語を通して人身犠牲に対して「否」を唱えたと解釈できると思います。

 イスラエルの人身犠牲に対する考えはレビ記や申命記に示されています。

 

 自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレク神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。(レビ記18章21節)

 

 あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。

                     (申命記18章9~11節)

 

 ここで22章の本文に戻ります。

 「アブラハムよ」という神の呼びかけに対して、アブラハムは「はい」と答えます。この「はい」という言葉は「ヒネーニ」というヘブル語で、「見よ、わたしはここに」という意味を表しており、22章には1節の他、7節、11節にも出て来ます。この「ヒネーニ」が3度繰り返されるという点に意味を見い出そうとする解釈もありますが、それについては後で説明します。

 アブラハムの答えを受けて神は「息子をモリヤの地に連れて行き、焼き尽くす献げ物としてささげよ」とアブラハムに命じますが、ここに登場するモリヤの地の所在は良く分かりません。エルサレム周辺の丘の名前であるという者もおりますが、はっきりそうだとは断定できないのです。

 

 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられたところに向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻って来る」

                         (22章3~5節)

 

 政池先生の解釈を前提とすれば、数年もの間悩み続けた挙句、やっと決心がついた日の翌朝ということになります。聖書は記しておりませんが、アブラハムが何の悩みもなく神の言葉に従ったということは考え難いことです。100歳まで待ってやっと授かった最愛の息子を殺そうというのですから、避けられるものなら避けたい。殺さずに済むものなら殺さずに済ませたいと思うのが当然です。しかし、アブラハムにはイサクを焼き尽くす献げ物とすることしか道がなくなってしまった。深刻な葛藤を経てこの結論に至ったものと思われます。

 それにしても、アブラハムはよく出立したと思います。神の言葉によって出立する決心を固めるという点では、12章の旅立ちの仕方と良く似ています。12章と22章の大きな違いは、12章では将来の夢と希望が神に示されての旅立ちであったのに対して、22章では将来の夢と希望を否定するための出立であったという点でしょうか。神の言葉を拠り所に100歳まで歩んできた、いわば人生の締めくくりの時期に、神に示された夢と希望の一切-既に成就しつつあるのに!-を捨てよと言われたらどうでしょうか?それに素直に従える人間はまずいないだろうと思います

 アブラハムは、なぜ神に従ったのでしょうか?15章では、慇懃な態度ではあるものの神に抗議をしておりますが、22章では「ヒネーニ(見よ、わたしはここに)」と言うのみです。

 アブラハムの思いを考える手がかりとして参考になるのは、ヨブ記です。

 ヨブはアブラハム同様、信仰の人として神によっても賞賛された人物でしたが、サタンの提案を神が受け入れたことによって全財産を失うばかりか、全身をひどい皮膚病に冒されます。三人の友人がヨブを見舞い慰めようと訪ねてきますが、災いは己の罪が原因だとする応報的な立場の友人とヨブは議論を戦わせ、自分の正しさを主張します。

 友人たちと議論を戦わせているうちにヨブの思いは神にも向けられ、次のように神によばわります。

 

 神よ

 わたしはあなたに向かって叫んでいるのに

   あなたはお答えにならない

 御前に立っているのに

   あなたはご覧にならない。

 あなたは冷酷になり

 御手の力を持ってわたしに怒りを表される。

 わたしを吹き上げ、風に乗せ

 風のうなりの中でほんろうなさる。

 わたしは知っている。

 あなたはわたしを死の国へ

 全て命あるものがやがて集められる家へ

   連れ戻そうとしているのだ。(ヨブ記30章20~23節)

 

 どうか、わたしの言うことを聞いてください。

 見よ、わたしはここに署名する。

 全能者よ、答えてください。

 わたしと争う者が書いた告訴状を 

 わたしはしかと肩に担い 

 冠のようにして頭に結び付けよう。

 わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し

 君主のように彼と対決しよう。(ヨブ記31章35~37節)

 

 ヨブの訴えにもかかわらず、神はヨブが災いに遭わねばならなかった理由を答えようとはしません。

 神の言葉がヨブに臨むのは、ヨブの訴えからしばらくの時が経過してから。そして、神の答えは神の絶対性をヨブに突きつけるものでした。

 

 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。

 

 これは何者か。

 知識もないのに、言葉を重ねて

 神の経倫を暗くするとは。

 男らしく、腰に帯をせよ。

 わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。

 

 わたしが大地を据えたとき

   お前はどこにいたのか。

 知っていたというなら

   理解していることを言ってみよ。(ヨブ記38章1節~4節)

 

 ヨブは主に答えて言った。

 

 あなたは全能であり

 御旨の成就を妨げることは出来ないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに

 神の経倫を隠そうとするとは。」

 そのとおりです。

 わたしには理解できず、わたしの知識を超えた

 驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。

 お前に尋ねる、わたしに答えて見よ。」

 あなたのことを、耳にしてはおりました。

 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し

 自分を退け、悔い改めます。       (ヨブ記42章1節~6節)

 

 自分の正しさを主張して神に対決を挑んだヨブは、神の絶対性の前に圧倒されて己の非を認めます。

 アブラハムが「イサクを献げよ」という命令を受けた際に味わったのは、ヨブが味わったのと同じ理不尽な思いであったと思います。しかし、カルデアのウルを出発してからの神との交わりの中で、特に創世記15章で行った神への抗議、そして、18章で行った神とのソドムの救いをめぐる交渉、更には21章での約束の子の誕生を通して、神の絶対的なリアリティーに圧倒されたアブラハムは、「イサクを献げよ」という神の求めに応じざるを得なくなったものと思います。神の絶対的なリアリティーが迫り来る時、あれほど自分の正しさを主張していたヨブがその主張を撤回したように、人間にはただ服従への思いが残されるだけなのでしょうか。モリヤの地への三日間の道のりは、アブラハムがこうした思いを反芻するにふさわしい時間を与えてくれたのかもしれません。 

 さて、アブラハムは、モリヤの地が見えてくると、同行してきた若者たちにろばと一緒に待っているように命じます。二人の若者は、アブラハムの一族の者であったでしょうから、ここで、一族のしがらみから完全に切り離されてイサクと二人きりになります。約束の子、イサクを神への犠牲としてささげることは、この世のしがらみを考えれば到底出来ることではなかったに違いありません。もし、サラが知ったら、自分の命をかけてでもイサクの命を救おうとしたことでしょう。イシュマエルを追放し、イサクを神への犠牲としてささげたら、神が約束したという子孫の繁栄など夢物語に終わってしまうのです。一族の繁栄も、土地の所有も、全てはアブラハムの死とともに終わりを告げることになります。

 しかし、アブラハムはその道へと突き進んでいきます。この世のしがらみを断ち切り、神の命じ給うことを阻むものを遠ざけて、自分の歩むべき道を進もうとするのです。

 このときアブラハムが若者に言った言葉は、「わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻って来る」でした。イサクを犠牲としてささげようとするアブラハムが、本当にイサクと一緒に戻ってこれると考えていたかどうかは定かではありませんが、結果的にはアブラハムの言葉が成就することになります。

 

 アブラハムは、焼き付くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き付くす献げ物の小羊はきっと神が備えて下さる。」二人は一緒に歩いて行った。         (22章6~8節)

 

 アブラハムは、犠牲をささげる際に用いる一切の物を持って出発します。薪、火打ち石、刃物、そして犠牲としてささげるイサクを。

 薪はイサクが背負いました。ここから、犠牲をささげる際に使う大量の薪を背負えるほど成長したイサクの姿を思い浮かべることが出来ます。もはや赤子でも幼児でもなく、立派な少年、或いは青年に成長したイサクが、老いた父アブラハムの後に従って歩いていく姿が目に浮かびます。自分がその上で焼かれる薪を背負って歩むイサクの姿は、ゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩むイエスの姿を重ね合せることが出来るかのようです。

 「二人は一緒に歩いて行った。」この言葉は、6節と8節に繰り返し出て参ります。二人が、若者とろばから別れて神に命じられた場所へと黙々と歩んで行ったことがうかがわれ、重苦しい雰囲気が伝わって来ます。

 この沈黙を破ってイサクがアブラハムに語りかけます。

 「わたしのお父さん」というイサクの呼びかけに、アブラハムは「ここにいる。わたしの子よ」と答えますが、「ここにいる」というヘブル語は、神の呼びかけに答えた「はい」と同じ言葉が用いられています。

 先ほど、この「ヒネーニ(見よ、わたしはここに)」は22章で3度繰り返され、そこに意味があると申し上げましたが、それはこの言葉に注目することによって22章の中心点が明確になるという解釈です。

 この立場では、22章は、呼びかけと応答によって進行している章だと考えます。

 最初の呼びかけと応答は1~2節で、

 神の呼びかけ→アブラハムの応答→神の言葉 となっています。

 この点は、3番目の11~12節も同様です。

 一方、2番目の7~8節だけは、

 イサクの呼びかけ→アブラハムの応答→イサクの問い→アブラハムの答え

とやり取りの回数が1回多くなっており、22章の中心をなすのはこの部分だと判断されます。特に、「イサクの問い」に対する「アブラハムの答え」が文章の組み立てからも一番のポイントになっていると思われます。

 こうしたサンドイッチ状の組み立てを整理すると次のようになります。

 

 神の呼びかけ→アブラハムの応答→神の言葉

           ↓

 イサクの呼びかけ→アブラハムの応答→イサクの問い→アブラハムの答え

           ↓

 神の呼びかけ→アブラハムの応答→神の言葉

 

 ベエル・シェバを出発した時点から、イサクには焼き付くす犠牲の子羊がいないことが心に懸かっていたでしょうが、アブラハムには質問を許さない雰囲気が漂っていたに違いありません。二人きりになった今、心に懸かっていた疑問を尋ねる勇気を奮い起こして「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」と尋ね、アブラハムの答えを待ちます。アブラハムは「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えて下さる。」とのみ答えて、イサクを犠牲としてささげるとは言いません。これは、この言葉通りに神の救いを信じたというよりも、単に答えを曖昧にぼかしたに過ぎないと思われます。イサクは、これ以上のことを父親から聞き出すことは無理だと直感して、黙って従ったのでしょう。

 アブラハムの答えは、人身犠牲を求めない神の性格を明らかにするばかりでなく、本人が自覚しないうちに新約聖書のイエス・キリストの姿を彷彿とさせる言葉となりました。

 そして、再び二人は黙って一緒に歩いて行きます。

 

 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。    (22章9~10節)

 

 これまでは、アブラハムを中心に読んで参りましたが、イサクを焼き尽くす献げ物としてささげるためには、イサクの同意がなければ実行できないことに留意すべきです。献げ物に用いる薪を背負えるほどに成長したイサクが、100歳をはるかに超えた老人アブラハムに縛られたということは、イサクの従順を前提としなければあり得ないことです。

 祭壇を築き、薪を並べ終えた時点で、アブラハムはイサク自身が焼き尽くす献げ物であることを話したと思われます。神の言葉が下った経緯をも話して聞かせたのかもしれません。

 イサクは約束の子であり、イサクを通して自分の子孫は満天の星のごとくに数が増えるということを、幼い時から話して来たアブラハムには、イサクを献げ物としなければならない理由を説明することは困難であった筈。神の言葉が下った、ということを拠り所として語るしか方法がなかったと推察されます。

 ヘブライ人への手紙の著者は、アブラハムはイサクの復活を信じていたのだとして次のように言います。

 

 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束受けていた者が、独り子をささげようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれるものが、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

              (ヘブライ人への手紙11章17~19節)

 

 果たして、ヘブライ人への手紙の著者の言うように、イサクが復活するとアブラハムは信じていたのでしょうか?復活という言葉自体が旧約聖書にはほとんど登場しませんし、死者が復活するという考え方が登場するのはダビデ王以降のことであるようです。ヘブライ人への手紙の著者が言うようにイサクが復活するとアブラハムが考えたとは断定できません。

 さて、祭壇前にしての二人のやり取りは、他者の入り込む余地のない緊迫したものであったに相違ありません。そして、献げ物として殺される覚悟を決めたイサクを前に刃物を取ったアブラハムは、一撃のもとに殺せるように高だかと手をふり上げました。

 

 その時、天からの主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角を取られていた。アブラハムは行ってその雄羊をつかまえ、息子の代わりに焼き付くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。

                       (22章11~14節)

 

 ここでは、22章で三度目の「ヒネーニ(見よ、わたしはここに)」が登場します。アブラハムに呼びかけたのは御使いであるとされていますが、神御自身と御使いの区別ははっきりしません。御使いの言葉でありながらも、あたかも神御自身が語っておられるようです。

 神の与えた「イサクを焼き尽くす献げ物とせよ」という命令が、実はアブラハムの信仰を試すためのものであったことが、ここで明らかにされます。アブラハムが最愛の独り子であるイサクの命を奪うぎりぎりのところまで来て、神はアブラハムへの試みに終止符を打ったのです。

 ここで御使いが語る言葉からは、ヨハネによる福音書3章16節が連想されます。

 

 神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

               (ヨハネによる福音書3章16~17節)

 

 アブラハムの味わった悩み、苦しみ-心の痛み-は、取りも直さず、神御自身の痛み、苦しみを具現化しているとも言えるでしょう。逆に言えば、最愛の独り子を与えた神ご自身と同じ高みにまで、アブラハムの信仰は成長していったと言えるのです。

 神の言葉を聞いて刃物を収めると、後ろの木の茂みのところに一匹の雄羊が角を取られているのが見えました。この箇所については、角を引っかけた雄羊は最初からそこにいたのだけれども、疲れて静かにしていたのでアブラハムは気が付かなかった。やがて、雄羊がやぶから逃れようとして再び動き始めたため、アブラハムの目に留まったのだろうと想像する学者もおります。突然無から有が生まれると解釈するのも不自然ですから、多分こうした状況であったのだと思います。

 また、「ヤーウェ・イルエ(主は備えて下さる)」、「主の山に備えあり(イエラエ)」という二つの地名の説明は、主がアブラハムに御自身を示した場所として、ここが特別な聖所であることを強調するためだと思われます。イルエとイエラエは、発音は若干違うものの同じ意味とされています。

 

 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 

 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民は全て、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

 アブラハムは若者のいる所へ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。       (22章15~19節)

 

 22章の緊迫したドラマはそのピークを過ぎ、エンディングに向かっていきます。

 ここで御使いが述べていることは、創世記12章から繰り返しアブラハムに臨んだ神の言葉の集大成となりますが、この章に特有の表現が幾つか含まれております。 

 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。」という箇所は、関根訳では「主は宣う、わたしは自らにかけて誓う」と訳されておりますが、「主は宣う」という部分も「わたしは自らにかけて誓う」という部分も、族長物語では他に使われていません。また、「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る」すなわち敵を征服するという箇所も族長物語には他に出てきません。

 こうした新しい要素が盛り込まれて、アブラハムへの約束は最終的なものとされたのです。そして、これが、神がアブラハムに語る最後の機会となりました。

 

 これらのことの後で、アブラハムに知らせが届いた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルとの間に子供を生みました。長男はウツ、その弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、それからケセド、ハゾ、ピルダシュ、イドラフ、ベトエルです。」ベトエルはリベカの父となった。ミルカは、アブラハムの兄弟ナホルとの間にこれら八人の子供を産んだ。ナホルの側女で、レウマという女性もまた、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを生んだ。

                       (22章20~24節)

 

 イサクを献げ物とする物語が述べられた後、唐突な形でナホルの子孫について記されています。それも、単なる系図としてではなく、ナホルに付いてのニュースが届いたという形で述べられているのはどうしてでしょうか?

 考えられるのは、アブラハムにイサクが誕生したという知らせがナホルの元に届き、それに対してナホルが自分の近況を旅人、或いは隊商に託して伝言してきたということです。

 創世記11章27節によれば、ナホルはアブラハムの弟であり、一番下の弟ハランの娘、ナホルから見れば姪に当たるミルカと結婚しています。テラとアブラハムの一行がウルを出発し、カナン地方に向かうと記されている箇所(11章31節)には、ナホルとミルカの名前が含まれておりませんので、ナホルが何処に住んでいたのかははっきりしません。24章10節に、ナホルの町としてアラム・ナハライムが挙げられておりますが、これは、ユーフラテス河以東の広大な土地を指します。そこには、ハランもマリも含まれますので、ナホルの住む町を定める決め手にはなりません。

 ナホルの家のその後について注目すべきことは、ナホルの子供はミルカによって8人、側女のレウマによって4人、合計12人であったということです。12という数はイスラエルにおいては完全数であり、ナホルの家が順調に営まれていたことを暗示しています。

 さらに注目すべきことは、23節に「ベトエルはリベカの父となった。」という小さな記述があることです。このようにさりげなく記すことによって、リベカをイサクの妻として迎える24章の準備がなされているのです。

 

 

<今回の参考書>「創世記」(関根正雄訳 岩波文庫)/「創世記」(月本昭男訳 岩波書店)/「創世記講義」(政池仁著 聖書の日本社)/「現代聖書注解 創世記」(ブルッグマン著 日本基督教団出版局)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「新聖書注解 旧約Ⅰ」(いのちのことば社)/「最新・古代イスラエル史」(ミルトス)