旧約聖書の旅「創世記」第16回「サラの死と埋葬」(小山哲司)

 ロトよりも年長であり、神から約束の言葉を頂いていたアブラムには、当然のこととして土地を選択する権利がありましたが、アブラムは選択の権利をロトに譲ってしまいます。

 アブラムは、エジプトで妻サライを裏切った経験から、心に大きな痛みを抱えていたと思われますが、痛みと正面から向き合う中で、彼は変えられていきます。そして、それがロトとの別れの場面で、選択の権利をロトに譲ることに実を結んでいったのです。苦しみと葛藤が人を成長させるという以上に、神との交わりの中でアブラムは変わって行った。そこに信仰の恩寵があったのだと思います。(13章)

 その後、東方の王たちがカナンを侵略し、ソドムの王たちを撃破してロトを奪い去りますが、アブラムの追撃に破れます。アブラムは、ここでは雄々しい戦闘指揮官として描かれています。(14章)

 これらのことの後、幻の中で「恐れるな、あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」という主の言葉がアブラムに臨みます。

 しかし、アブラムは「あなたはわたしに子孫を与えて下さいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」と抗議をします。アブラムは、子孫を繁栄させ、土地を与えるとの主の言葉を受けたにも関わらず、実子が誕生しないことに不満を抱いていたに相違ありません。

 主なる神は、「あなたから生まれるものが跡を継ぐ。」と具体的な回答を与えてアブラムの迷いを断ち切り、満天の星を見つめながらアブラムは自分自身の子供が誕生して子孫が増えることを信じます。

 その後、主なる神はアブラムに牝牛と牝山羊と牡羊と山鳩とを用意してそれらを半分に引き裂き、向かい合わせに置くように命じます。猛禽がそれを襲わない様に番をするうちにアブラムは深い眠りに陥りますが、夢(幻)の中で神は、アブラムの子孫の行く末について語ります。やがて、辺りが闇に包まれた頃、煙をはいた炉と燃えた松明が引き裂かれた動物の間を通ります。これは神がアブラムと契約を結ばれたしるしでした。(15章)

 こうして繰り返し臨む神の約束の言葉にも関わらず、一向に懐妊する兆しのないサライは、女奴隷ハガルによって母となろうと企てます。

 これは、当時行われていた習慣に乗っ取ったことでしたが、神の言葉よりも人の智恵、人の業に寄り頼んだことによって、アブラムとサライ、そしてハガルの間に亀裂が走ります。

 身ごもったハガルは、サライの仕打ちに耐え兼ねて、また、子供を自分自身の子としたいと願って逃亡しますが、御使いの姿をとられた主にサライのもとに戻るように示され、やがて誕生する子供が繁栄するという約束を受けます。

 こうして、人の思いが招いた悲劇に神は介入し、約束の実現に向けて導く神の姿が改めて鮮明に示されます。(16章)

 ハガルがイシュマエルを産んでから13年後に、主は再びアブラハムに現われます。この時、アブラハムは99歳になっておりました。

 主は、アブラムの子孫を繁栄させ、土地を所有させるという契約を繰り返し、アブラハムと改名するように命じます。彼はまだ一片の土地すらも自分の所有とはしておりませんでしたが、神はカナンの土地が永久にアブラハムとその子孫の所有地であると宣言し、約束のしるしとして一族の男子はすべて割礼を受けるように命じます。ここには割礼の習慣のないバビロンで創世記をまとめた編者の、民族と祖国の復興を信じる信仰が色濃く表われていると思われます。

 割礼の求めに続いて、神はイサクの誕生をアブラハムに予告します。

 アブラハムは、サラが子供を生むという神の言葉を笑いますが、神は1年後にはイサクが誕生し、それが神が契約を結ぶべきアブラハムの子孫であると宣言します。

 こうした神の言葉を受け、アブラハムはその日のうちに一族の男子すべてに割礼を施します。ここに、神の約束に苦笑を漏らす弱さを見せたかと思うと、神の求めを迅速に徹底して実行しようとするアブラハムの複雑な性格が表われていると思われます。(17章)

 イサクの誕生を予告した神は、旅人の姿をとって天幕を訪れ、アブラハムから手厚くもてなされます。その際にも、来年の今ごろサラに男の子が誕生すると予告しますがサラはそれを笑います。

 神の一行はアブラハムのもとを出立し、見送るアブラハムにソドムを滅ぼすつもりであることを示します。アブラハムは、ソドムに少しでも正しい者がいれば滅ぼさないで欲しいと懇願し、正しい者の数を50人、40人と減らしていき「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」という神の約束を取り付けます。ここには、罪なき者には罪ある者を救う力があるという思想が表われており、神とアブラハムとの交渉は緊迫したドラマを展開します。(18章)

 ソドムの町に入った二人の御使いは、ロトの家に招き入れられます。夜中に町の男たちがロトの家に押しかけ、二人の御使いを引き渡すように迫りますが、御使いの目潰しによって難を逃れます。御使いから神がソドムを滅ぼすと聞かされたロトは、逃げることをためらいますが御使いに手を取られて妻と二人の娘と一緒に町の外へと連れ出されます。山へ逃げよという神の命に背いてロトはツォアルに逃げることを求めますが、やがて山の中の洞穴に移り住みます。山の中では結婚相手が見つからないことに悩んだ二人の娘は父親であるロトによって子を得ますが、こうした凄惨な結末はロトの自己中心性に原因があったと思われます。(19章)

 アブラハムはゲラルに移動し、そこでサラを妹と偽りますが、そのお陰でゲラルの王アビメレクによってサラが召し入れられます。アビメレクは夢に現われた神に「召し入れた女の故にお前は死ぬ。・・・直ちにあの人の妻を返しなさい。彼は予言者だから、あなたのために祈って命を救ってくれるだろう。・・・もし返さなかったら、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬ」と命じられ、翌朝、アブラハムを呼びつけます。アブラハムはアビメレクに弁明し、「サラは実際に妹でもあるのです」と苦しい言い訳をしますが、異教の王によって倫理的な過ちを糾弾されたのは屈辱的な経験だった筈です。一方、過ちを犯さなかった者(アビメレク)が、過ちの原因を与えた者(アブラハム)の祈りによって救われ、そのために祈りの報酬として多額の贈り物までしなければならなかったとは、真に不可思議で興味深いこと。アブラハムは欠点が多く、倫理的、信仰的に疑問を抱かざるを得ない人物です。彼自身に価値はなくとも、神の一方的な恩恵によって諸国民に生命を与える器として選ばれたといえるでしょう。(20章)

 主なる神が約束された時期にサラに男子が誕生し、イサクと名付けられました。イサクとは「笑い」という意味。イサク誕生の喜びの笑いであると同時に、神の約束に対するサラとアブラハムの不信の笑いをも意味するものでした。やがて、サラはハガルとイシュマエルを追放することを求めます。アブラハムは少しばかりの水と食料を持たせて二人を送り出しますが、間もなく水が尽き、ハガルはイシュマエルが死ぬことを覚悟します。しかし、神の御使いが現われて「わたしはかならずあの子を大きな国民とする」と言い、ハガルは水のある井戸を発見します。このように旧約の神はイサクを約束の子として選んだ「選び」の神でありますが、たとえ選びの外側にいる者に対しても恵み豊かな神であることを忘れてはなりません。(21章)

 神はアブラハムを試みようとして「イサクを燔祭の犠牲として献げよ」と命じます。アブラハムは、従者とイサクを連れてモリヤの地へと向かいますが、途中で「小羊はどこにいるのですか?」と尋ねるイサクに対して「神が備えて下さる。」と答えます。自分が焼き尽くされる薪を背負ってモリヤの地へと歩むイサクの姿は、十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうイエスの姿を彷彿とさせます。また、心に激しい痛みを抱えながらも愛子を献げようとしたアブラハムの信仰は、イエスを地上に送った時の父なる神の痛みになぞらえることができるかもしれません。

 正にイサクを屠ろうとした時、神はアブラハムを制止して、イサクの代わりとなる雄羊を示されます。これが、神がアブラハムに現われる最後の機会となり、アブラハムは主役の座をイサクに譲り、旧約の舞台からしずかに退場していくのです。(22章)

 

 それでは本日の箇所に入って行きたいと思います。

 

 サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。(23章1~2節)

 

 23章は静かな章です。

 22章の緊迫したドラマが終わり、アブラハムは旧約聖書の舞台から静かに退場し始めます。23章は、イサクがリベカとの結婚という華やかな話題を提供してくれるまでの橋渡しの役割を演じてくれる章といっても差し支えありません。この章の静けさの故に、22章のドラマが一層緊迫したものとして感じられます。

 この章には、神も御使いも登場しません。サラの死も、淡々と事実のみが書かれているだけです。

 しかし、ここにはイサクの誕生と並ぶべき重要な事柄が登場します。

 

 イサクが誕生したのはゲラルの地でしたが、サラが亡くなったのはヘブロンです。イサクの誕生後もしばらくの間はゲラルの地に留まっておりましたが、22章の出来事があってからヘブロンに移りすむようになったと思われます。

 ヘブロンについては、「カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロン」と注釈が付いており、ヘブロンには、キルヤト・アルバという別名があったことになりますが、この名前の由来については2つの説があります。

 1つは、キルヤト・アルバという言葉を字義通りに解釈すると「4つの町」という意味になりますので、4つの居住区に分かれていた町だったのだという説です。

 2つ目は、ヨシュア記の次の記述を元に、人の名前が地名の由来だとする説です。

 

 ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。この地方の戦いはこうして収まった。(ヨシュア記14章15節)

 

 多分、ここに挙げられたアルバという人物が、ヘブロンの地を占拠していたものと思われます。

 

 サラは127年の生涯を全うして、このヘブロンの地で亡くなりましたが、創世記の物語においては、サラは信仰の母と賞賛されるような素晴しい人物としては描かれず、逆に、彼女の嫉妬と邪険さは、特にハガルとの関係において情け容赦なく暴かれております。

 では、サラがアブラハムにとっても悪しき妻であったかといいますと、必ずしもそうではありません。

 アブラハムは、サラのために胸を打って嘆き悲しみ、この後に出てくるように、サラを葬るために墓地を得るための面倒な手続きを厭うことなく、高額な対価をさえ支払っています。こうした態度から、サラはアブラハムにとってはかけがえのない妻であり、アブラハムは彼女のことを心から愛していたことがうかがわれます。

 多分、邪険で嫉妬深いサラの性格も、様々な試練を経る中で少しずつ変わっていき、その最晩年には若き日よりもずっと澄みきった信仰の境地へと達したのではないでしょうか?聖書はこの点については何も語ってはおりませんが、語っていないからといって、サラが人生の最後に至るまで邪険で嫉妬深いままであったというのは、余りにも冷たい解釈であると思われます。

 

 「人生の最晩年に澄みきった信仰の境地にいたり着いた女性」と書いて、「100歳の高校教師」として知られている桝本楳子先生のことが脳裏に浮かびました。

 桝本楳子先生のことは、皆さんも良くご存じことと思います。基督教独立学園(山形県小国町)の教頭であった桝本忠雄先生の母に当たる方です。桝本忠雄先生が、新治村(茨城県)での開拓生活に区切りを付け、独立学園の教師として勤め始めるのに伴い、楳子先生も小国町に転居されます。楳子先生が59歳(1951年)のときのことでした。

 楳子先生は優れた書道の教師として知られております。「100歳の高校教師」が担当した教科は書道でした。テレビのドキュメント番組で放送された楳子先生の教える姿は実に魅力的であり、大勢の視聴者の感動を誘いましたが、番組を担当したプロデューサーは楳子先生のことについて、次のように語っております。

 

「うめ子先生の魅力の本当の秘密を、私なりにあえて申し上げるならば、それはまさに、゛謙虚さの美学゛であると思う。心の底から謙虚でありえた人だけが持つ、にじみ出るような人間の美しさを、うめ子先生は生涯持ち続けられた。

 それではなぜ、うめ子先生は謙虚たりえたか?

 それは、今こそ私が、わが゛取材十年゛をかけて証言する。

 

 うめ子先生は

 自分を捨てた

 本当の愛と勇気を

 持っておられたから・・・。」

 

  (「うめ子先生 100歳の高校教師」 佐々木征夫著 日本テレビ)

 

 このように素晴しい信仰の人として描かれた楳子先生ですが、先生の心にも大きな痛み、苦しみがありました。この点については、「一世紀はドラマ」(藤尾正人著 燦葉出版社)から引用します。

 

「あたくしは、1945年(昭和20)八月十五日の日本の敗戦を、疎開先の京都府船井郡の八木で迎えました。大日本帝国が崩壊した日でございます。

 しかし、あたくしは、その疎開先で、あたくし自身の心の崩壊を体験いたしました。

 それは日本が戦争に負けて落胆したからではございません。

 また、なにもかも財産を失ったという悲しみから来る崩れでもございません。

 あたくし自身の心の崩れは、長男・誠一の嫁の芳子さんとの間で体験いたしました。

 そうでございます。いま一○○歳ちかいばばになって振り返りますと、あたくしが、日本一のいいお姑になろう、お手本になろうと努力したことが、芳子さんを苦しめ、芳子さんの心に深い傷を刻んでいたのでございます。

 (中  略)

 それ以来、あたくしは芳子さんにお目にかかっておりません。そうでございます。数十年も心の扉を閉じてしまわれたのでございます。もちろん忠雄の葬儀にもお見えになりませんでした。

 この嫁と姑の仲は、もろ刃の剣でございました。芳子さんも深く傷つき、あたくしも痛手を負いました。はじめてお話しする、あたくしの心の古傷でございます。それに悲しいことですが、軍隊にいる間に、誠一はすっかり信仰から離れてしまいました。」(P147~152)

 

 こうして長男の妻との取り替えしのつかない軋轢が、楳子先生の心にはいつまでも残る傷となりましたが、心の痛みはそればかりではありませんでした。

 

「あたくしは、なにごともきちん、きちんとしないではおられません。

 (中  略)

 そこで、この何事もちゃん、ちゃんとやるうめ子流と、華子さん(忠雄先生の妻)との間に、すこしずつぎくしゃくすることが出てまいりました。たいていのいかさい事がそうでありますように、それは小さい事から始まります。しかも善意で始まるのですが、知らずに相手の心を傷つけます。

 (中  略)

 あたくしは、いろいろと気が付くことを、すぐれた能力と思っておりました。ところが、華子さんは、あたくしが気にするようなことを、あまり気になさいません。それで華子さんが気になさらないことが、気になって仕方がなかったのでございます。

 お客様へのご接待にしましても、意見が分かれます。しかも古い明治の女でございますから、姑として嫁に対する思いが、この平成の時代と違います。

 「出て行きなさい」

という言葉が、あたくしの口から出たのはそのころでございます。

 すると、中学生の安子がすかさず、「おばあちゃん、ここはお父さんとお母さんのお家だよ。おばあちゃんと、私たちは居候だよ」と申しました。

 「負うた子に教えられ」とはこのことでございます。

 翌朝、正座してぴたりと畳に手をついて、「おゆるしください」と華子さんに謝りました。

 しかも、こういうことは、一度や二度ではありません。

 あとでうかがいますと、なんと華子さんは、小さい子をおぶって、本当に死のうと思い詰め、川のほうへ行かれたそうです。その時、ただならない華子さんの気配に気付いた安子が後を追い、ふと華子さんが振り向くと、両手を握り締め、目をいっぱい見開いた安子の姿に、心くずおれて帰って来られたと聞きました。

 ああ、あたくしは、なんと罪深い女でございましょう。長男の嫁の芳子さんとの失敗にもこりず、次男の嫁の華子さんまで、こんなにお苦しめしたとは。」(P205~209)

 

 こうした心の痛み・苦しみに加えて、楳子先生には、このあとも次男の忠雄先生の死という試練が襲いかかります。

 人間関係に苦しみ、わが子の死を経験した楳子先生の心は、しかし、いつしか変えられて参ります。

 

「忠雄の学園葬の後、四月二十八日(一九八○年)に、NHKが『土と祈りの青春』という、学園紹介のドキュメンタリー番組をテレビで放映いたしました。もちろん、忠雄も登場し、画面に『桝本忠雄先生は、三月二八日に死去されました』との文字が流れました。

 あたくし、うめ子八十八歳の春でございました。

 そして、このように忠雄が病み、天に召されたころから、あたくしは変ったのでございます。信仰も、心も、書さえも、柔らかく変えていただきました。

 あたくしは、これまでの人生で三度大きな決心を致しました。最初は主人をなくしたあと、キリスト信仰で立とうと決めたときです。次はつくばの開拓地へ入る時、最後は独立学園に来た時です。そしてこの三つとも、聖書のみ言葉通り、神様が共にいて下さり、失敗や挫折も含め、すべてのことが最善に変えて頂くご教育でございました。おかげで、りんとして、しっかりしていたあたくし自身が、ふんわりとしたうめ子に変えていただいたのでございます。

 長いお話しをあなたにして参りましたが、神様は人間を変えてくださること、生涯私どもと共にいて歩いてくださること、この二つをあなた様にお話ししたかったのでございます。」(P236)

 

 サラの死と葬りから話がそれて、桝本楳子先生のことについて長く引用させていただきました。

 サラと楳子先生は、国も時代も事情も違います。同列の立場として取り上げるのは適切ではないかもしれません。しかし、人間的な弱さ、醜さを身に負うた人間でも、神と共に歩むなかで次第次第に変えられていき、人生の最晩年に澄みきった信仰の境地にたどり着くということは、楳子先生の人生から私たちが学び取るべき糧であります。信仰の父アブラハムが生涯を通して愛したサラの晩年も、或いは、楳子先生が経験したような、ふんわりと柔らかな境地であったのかもしれません。

 

 アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。

 「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」(23章3~4節)

 

 アブラハムが頼んだ相手であるヘト人とは、どんな人々だったのでしょうか?ヘト人の素性については2つの説があります。

 1つは、ヘト人とはヒッタイト人のことであるという説。

 ヒッタイト人は今のトルコ東部に起源を持つ民族であり、その勢力を南に伸ばし、紀元前1600~1200年頃にヒッタイト帝国を作っています。

しかし、ヒッタイト帝国の範囲は、パレスチナまでは到達していなかったようです。

 もう一つは、ヘト人とはフルリ人であるという説。

 これは、ヒッタイト帝国がパレスチナまで勢力を伸ばしていなかったことから、ヒッタイト人と考えることには無理があるという立場です。フルリ人とはミタンニ王国を築いた民族で、ノアの子ハムの子孫として創世記10章に登場しております。

 いずれが正しいのかははっきりいたしませんが、ヘトの人々と結んだ売買の取り決めにはヒッタイトの法慣習が現われているとされます。或いは、交易のためにカナンに来ていたヒッタイト人が、その地に定住したのかもしれません。

 さて、アブラハムはヘトの人々の所に出かけて行って、サラを葬ることのできる墓地を譲ってくれるように頼みます。アブラハムの一族は繁栄してはおりましたが、あくまでも一時的に滞在する寄留者に過ぎずません。たとえ数年に渡る長期間の滞在であったとしてもその土地の住民としての権利を持ってはおりませんでした。土地に関していえば、事実上の占有はしていても、土地の所有に関する法的な権利は全く持っていなかったのです。それ故、アブラハムは礼を尽くして丁重に頼みます。

 

 ヘトの人々はアブラハムに答えた。「どうか、御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」(23章5~6節)

 

 ヘト人たちはアブラハムの頼みを受け入れましたが、その際に「あなたは、私どもの中で神に選ばれた方です。」と呼びかけております。これは、アブラハムの富を知るだけではなく、アブラハムにまつわる不可思議な神の働きかけを耳にしていたためでしょうか。それゆえ、アブラハムの申し出を受け入れることにしたのかもしれません。

 ただ、アブラハムが「譲ってください」と頼んだことを聞き流し、ヘトの人々は「貸して下さい」という意味に受け取ったのだとする者もおります。

 

 アブラハムは改めて国の民であるヘトの人々に挨拶をし、頼んだ。「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、是非、わたしの願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。」(23章7~9節)

 

 アブラハムがどうしてマクペラの洞穴を選んだのかはについては、聖書は何も語っておりません。

 これは想像に過ぎませんが、老齢に達したアブラハムとサラは、死後の葬りについて話し合うことがあり、そうした話題の中で具体的な墓地の選定もしていたのではないでしょうか。マクペラの洞穴を墓地に選んだのは、先に死期の迫っていたサラかもしれませんし、或いは、サラのために立派な埋葬をしてやろうとアブラハムがその洞穴に目を付けていたのかもしれません。

 イスラエル初期の墓地の発掘調査から、当時は、地を掘ったり、岩をくり抜いた墓の中に、頭を東に向け、体を南に向けて死者を葬ることが一般的でした。また、墓には家屋型、或いは、壺型の遺骨壺が置かれて、遺体が腐敗した後に骨を納めるために使われたようです。このように、当時の墓地は、一般的に地面や岩を掘抜いて作られておりましたので、洞穴は墓地にするためには正に打ってつけの場所であったのです。

 ここでヘトの人々に対して土地の譲渡を求めているアブラハムの態度は極めて丁寧なものです。これは、アブラハムが、土地に関しては全く何の権利も持たない「一時滞在する寄留者」であるのに対して、相手であるヘトの人々は「国の民」であり、法的な権利を持った土地の住人であったからです。こうした両者の立場の違いは、23章の随所に登場いたします。

 そして、アブラハムの依頼は具体性を増し、「十分な銀」を支払うつもりだとヘトの人々に伝えます。これは、どうしてもこのマクペラの洞穴が欲しいという決意を述べたものに相違ありません。

 

 エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門の広場に集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところで、アブラハムに答えた。

 「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください。」

 アブラハムは国の民の前で挨拶をし、国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ。

「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。」

 エフロンはアブラハムに答えた。「どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」

 アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。(23章10~16節)

 

 エフロンが答えた町の門の広場は、町の集会の場であり、共同体としての町の問題が公に扱われる場所でありました。アブラハムの依頼を受けたエフロンは、集会所である町の門の所に住民を集めて、アブラハムに公式の返答をしたのです。

 ここでの両者のやり取りは、少々分かりづらい点があります。

 それは、十分な銀を支払うといっているアブラハムに対して、エフロンは「畑を差し上げます」と答えている点です。「畑を差し上げます」とは、無償で提供しますという意味に理解されてしまいますが、これはどうやら「売って差し上げます」を婉曲に表現したもののようです。そうだとすると、「畑の端にある洞穴を譲って欲しい」と頼んでいるアブラハムに対して、エフロンは「畑も売って差し上げるし、洞穴も売って差し上げる」と答えていることになります。これは「洞穴だけでは売りたくない、畑も一緒でなければ売りたくない」という意味になり、丁寧そうな言葉の背後に隠されたエフロンのしたたかな計算が読み取れます。

 アブラハムはこうしたエフロンの思惑を十分承知の上で、「どうか、畑の代金を払わせてください」と答えます。金額を聞く前に代金を支払う旨を約束しているのですから、どれほどの金額であろうとも支払う覚悟を固めていたことがうかがわれます。

 エフロンは、アブラハムの申込を受けて、金額を明らかにしますが、それは銀400シェケルでありました。この額は「あなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう」、つまり「金持ちのあなたと貧しい私の間の取り引きとしては問題とならないほどの少額です」と、大した金額ではないかのようです。当時の貨幣価値は今となっては厳密には分かりかねますが、当時の土地の売買記録を参照すると400シェケルはかなりの高額であったようです。族長時代の土地の売買記録によれば、北アラムのいくつかの村を売買した代価が100シェケルから1000シェケルでしたので、一区画の畑と洞穴の代価としては、相場の何十倍にも相当する金額であったと推察されます。

 旧約聖書上に登場する土地の売買記録としては、列王記やエレミヤ書に例がありますので、そちらも参照してみます。

 

 ユダの王アサの治世第三十一年に、オムリがイスラエルの王となり、12年間王位にあった。彼は六年間ティルツァで国を治めた後、シェメルからサマリアの土地を銀2キカル(6000シェケル)で買い取り、その山に町を築いた。彼はその築いた町の名を、山の所有者であったシェメルの名にちなんでサマリアと名付けた。(列王記上16章23~24節)

 

 さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに望んだ。見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルがおまえのところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」

 主の言葉どおりいとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。

 わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀17シェケルを量って支払った。(エレミヤ書32章6~9節)

 

 列王記上には、北イスラエルの首都となるサマリアの山全体を購入した代価として銀2キカル(6000シェケル)を支払ったとあります。首都全体の代価が一区画の畑の代金の15倍であるとは考え難いことです。エレミヤ書では、畑の代金として銀17シェケルを支払ったとありますので、むしろこちらの方が妥当な金額であったと思われます。

 さて、銀400シェケルを請求されたアブラハムは、エフロンの言い値の通り、全く値切ろうともしないで支払いをします。当時の売買においては、値段の交渉は当然のことでありましたので、アブラハムも値切ろうと思えば値切れたことでしょう。しかし、寄留者であるという自分の立場を考えたのか、一切値切らずに言い値で購入したのです。

 

 

 

 支払いは、銀でしましたが、「商人の通用銀の重さで量り」とあるのは、貨幣が鋳造される以前の慣習にならって、銀貨ではなく銀自体を重さで量って支払ったという意味です。

 

 こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、そこの周囲の境界内に生えている木を含め町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。

                       (23章17~18節)

 

 17~18節は、そのまま売買契約書となるような細かな内容を含んでおります。

 まず、売買の目的物がどこにあるかという所在が明示されます。マムレの前のマクペラにあるという所在を明示した後、前の所有者エフロンの名前が記され、売買の対象・範囲が、畑、洞穴ばかりでなく、境界内に生えている木もアブラハムの所有に属する旨が明記されます。

 このように、境界内に生えている樹木の所有権に関しても言及することは、ヒッタイトの土地取り引きの特徴であり、当時の法慣習に則ったものであることがうかがわれます。取り引きの場にいたヘトの人々は、取り引きの重要な証人でありました。

 

 その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。

                       (23章19~20節)

 

 18節において、「アブラハムの所有となった」旨が述べられているにもかかわらず、20節においても「墓地として所有することになった」と、所有権がアブラハムのものになったことが繰り返し述べられています。

 これは、サラを埋葬すること、つまり、土地を実際に使用することが、土地の所有権移転の最終的な証印であることを示しているからだと思われます。現在の土地取り引きにおいても、その土地が自分のものであることを主張するためには、代金の支払いに加え、法務局に出向いて所有権が移転した旨を登記しなければなりません。登記制度がなかった当時としては、代金の支払いはもちろんのこと、土地の事実上の占有(使用)が所有権移転の大きな要素となっていたものと思われます。

 このマクペラの墓地には、サラばかりではなく、後にアブラハムが、そして、息子のイサク、イサクの妻のリベカ、ヤコブの妻レア、ヤコブが埋葬され、アブラハム一族の墓地となっていくのです。

 

 さて、これまでのアブラハム物語と比べて、23章は、簡単にサラの死が述べられた後は淡々と土地の取り引きの様子が事務的に述べられているばかりです。緊迫したドラマもなく、面白みが感じられないかもしれません。

 しかし、ここには大きな意味が隠されております。

 それは、子孫の繁栄と土地の所有という、神の二つの約束のうちの「土地」の問題がここで成就し始めているからです。

 創世記12章で、神は次のような約束をなさいました。

 

 アブラハムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。

 主はアブラハムに現われて、言われた。

 「あなたの子孫にこの土地を与える」

 アブラハムは、彼に現われた主のために、そこに祭壇を築いた。

                         (12章6~7節)

 

 子孫の繁栄については、イシュマエル、イサクという二人の実子が誕生したことで成就の兆しが現われました。一方、土地に関しては、マクペラの洞穴を墓地として購入することによって、まことにささやかではありますけれども、全地がアブラハムの子孫の所有地となる兆しが与えられたのです。

 アブラハムが得たマクペラの土地は、決して武力で奪い取った土地ではありませんでした。死者の埋葬の必要に迫られて、相手の言い値で平和的に購入した土地でした。武力で占拠しようと思えばいくらでもできたであろうアブラハムが、このような仕方で土地を入手したという点に、彼の成熟した信仰を見ることができます。同時に、この小さな土地は、来るべき事柄の先駆けとしての意味を示しているのです。

 

 

<今回の参考書>「創世記」(関根正雄訳 岩波文庫)/「創世記」(月本昭男訳 岩波書店)/「創世記講義」(政池仁著 聖書の日本社)/「現代聖書注解 創世記」(ブルッグマン著 日本基督教団出版局)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「新聖書注解 旧約Ⅰ」(いのちのことば社)/「うめ子先生 100歳の高校教師」(佐々木征夫著 日本テレビ)/「一世紀はドラマ」(藤尾正人著 燦葉出版社)/「旧約時代の日常生活」(ショラキ著 山本書店)