旧約聖書の旅「創世記」第18回「ヤコブの誕生」(小山哲司)

「ヤコブの誕生」 旧約聖書の旅18

1999.7.25 小山 哲司

 前回のレポートでは創世記24章を取り上げて、リベカがイサクの妻となった経緯について学びました。本日は25章を取り上げますが、その前にこれまで学んできたことを振り返っておきたいと思います。

 アブラムは、神の祝福の言葉によってカルデアのウルを、そしてハランの地を後にしました。神は、アブラムの子孫が繁栄して約束の地を受け継ぐのだと語りかけます。

 ところが、飢饉を避けて下って行ったエジプトで、妻サライはファラオの宮廷に召し入れられてしまいました。神の介入によってサライを取り戻したアブラムは、エジプトからカナンの地へと戻ります。(創世記12章)

 ベテルとアイの間の所までやってくると、アブラムとロトの牧童たちの間に遊牧地を巡る争いが持ち上がってきます。アブラムは、土地を選択する権利をロトに譲ってしまいます。(13章)

 その後、東方の王たちがカナンを侵略し、ソドムの王たちを撃破してロトを奪い去りますが、アブラムの追撃に破れます。アブラムは、ここでは雄々しい戦闘指揮官として描かれています。(14章)

 これらのことの後、幻の中で「恐れるな、あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」という主の言葉がアブラムに臨みます。

 しかし、アブラムは「家の僕が跡を継ぐことになっています。」と抗議をします。主なる神は、「あなたから生まれるものが跡を継ぐ。」と具体的な回答を与え、アブラムは満天の星を見つめながら自分自身の子供が誕生して子孫が増えることを信じます。

 その後、主なる神はアブラムに牝牛と牝山羊と牡羊と山鳩とを半分に引き裂き、向かい合わせに置くように命じます。番をするうちにアブラムは深い眠りに陥りますが、夢(幻)の中で神は、アブラムの子孫の行く末について語ります。やがて、辺りが闇に包まれた頃、煙をはいた炉と燃えた松明が引き裂かれた動物の間を通ります。これは神がアブラムと契約を結ばれたしるしでした。(15章)

 こうして繰り返し臨む神の約束の言葉にも関わらず、一向に懐妊する兆しのないサライは、女奴隷ハガルによって母となろうと企てます。

 これは、当時行われていた習慣に乗っ取ったことでしたが、アブラムとサライ、そしてハガルの間に亀裂が走ります。

 身ごもったハガルは、サライの仕打ちに耐え兼ねて、また、子供を自分自身の子としたいと願って逃亡しますが、御使いの姿をとられた主にサライのもとに戻るように示され、やがて誕生する子供が繁栄するという約束を受けます。(16章)

 ハガルがイシュマエルを産んでから13年後に、主は再びアブラハムに現われます。この時、アブラハムは99歳になっておりました。

 主は、アブラムの子孫を繁栄させ、土地を所有させるという契約を繰り返し、アブラハムと改名するように命じます。彼はまだ一片の土地すらも自分の所有とはしておりませんでしたが、神はカナンの土地が永久にアブラハムとその子孫の所有地であると宣言し、約束のしるしとして一族の男子はすべて割礼を受けるように命じます。

 割礼の求めに続いて、神はイサクの誕生をアブラハムに予告します。

 アブラハムは、サラが子供を生むという神の言葉を笑いますが、神は1年後にはイサクが誕生し、それが神が契約を結ぶべきアブラハムの子孫であると宣言します。神の言葉を受け、アブラハムはその日のうちに一族の男子すべてに割礼を施します。(17章)

 イサクの誕生を予告した神は、旅人の姿をとって天幕を訪れ、アブラハムから手厚くもてなされます。その際にも、来年の今ごろサラに男の子が誕生すると予告しますがサラはそれを笑います。

 神の一行はアブラハムのもとを出立し、見送るアブラハムにソドムを滅ぼすことを示します。アブラハムは、ソドムに少しでも正しい者がいれば滅ぼさないで欲しいと懇願し、正しい者の数を50人、40人と減らしていき「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」という神の約束を取り付けます。ここには、罪なき者には罪ある者を救う力があるという思想が表われており、神とアブラハムとの交渉は緊迫したドラマを展開します。(18章)

 ソドムの町に入った二人の御使いは、ロトの家に招き入れられます。夜中に町の男たちが二人の御使いを引き渡すように迫りますが、御使いの目潰しによって難を逃れます。御使いから神がソドムを滅ぼすと聞かされたロトは、御使いに手を取られて妻と二人の娘と一緒に町の外へと連れ出されます。山へ逃げよという神の命に背いてロトはツォアルに逃げ、やがて山の中の洞穴に移り住みます。山の中では結婚相手が見つからないことに悩んだ二人の娘は父親であるロトによって子を得ます。(19章)

 アブラハムはゲラルに移動し、そこでサラを妹と偽りますが、そのお陰でゲラルの王アビメレクによってサラが召し入れられます。アビメレクは夢に現われた神に「召し入れた女の故にお前は死ぬ。・・・直ちにあの人の妻を返しなさい。彼は予言者だから、あなたのために祈って命を救ってくれるだろう。・・・もし返さなかったら、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬ」と命じられ、翌朝、アブラハムを呼びつけます。アブラハムはアビメレクに弁明し、「サラは実際に妹でもあるのです」と苦しい言い訳をしますが、異教の王によって倫理的な過ちを糾弾されたのは屈辱的な経験だった筈です。一方、過ちを犯さなかった者(アビメレク)が、過ちの原因を与えた者(アブラハム)の祈りによって救われ、そのために祈りの報酬として多額の贈り物までしなければならなかったとは、真に不可思議で興味深いこと。アブラハムは欠点が多く、倫理的、信仰的に疑問を抱かざるを得ない人物です。彼自身に価値はなくとも、神の一方的な恩恵によって諸国民に生命を与える器として選ばれたといえるでしょう。(20章)

 主なる神が約束された時期にサラに男子が誕生し、イサクと名付けられました。イサクとは「笑い」という意味。イサク誕生の喜びの笑いであると同時に、神の約束に対するサラとアブラハムの不信の笑いをも意味するものでした。やがて、サラはハガルとイシュマエルを追放することを求めます。アブラハムは少しばかりの水と食料を持たせて二人を送り出しますが、間もなく水が尽き、ハガルはイシュマエルが死ぬことを覚悟します。しかし、神の御使いが現われて「わたしはかならずあの子を大きな国民とする」と言い、ハガルは水のある井戸を発見します。このように旧約の神はイサクを約束の子として選んだ「選び」の神でありますが、たとえ選びの外側にいる者に対しても恵み豊かな神であることを忘れてはなりません。(21章)

 神はアブラハムを試みようとして「イサクを燔祭の犠牲として献げよ」と命じます。アブラハムは、従者とイサクを連れてモリヤの地へと向かいますが、途中で「小羊はどこにいるのですか?」と尋ねるイサクに対して「神が備えて下さる。」と答えます。自分が焼き尽くされる薪を背負ってモリヤの地へと歩むイサクの姿は、十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうイエスの姿を彷彿とさせます。また、心に激しい痛みを抱えながらも愛子を献げようとしたアブラハムの信仰は、イエスを地上に送った時の父なる神の痛みになぞらえることができるかもしれません。

 正にイサクを屠ろうとした時、神はアブラハムを制止して、イサクの代わりとなる雄羊を示されます。これが、神がアブラハムに現われる最後の機会となり、アブラハムは主役の座をイサクに譲り、旧約の舞台からしずかに退場していくのです。(22章)

 サラは127年の生涯を全うしてヘブロンの地でなくなり、アブラハムは埋葬のために墓地を求めてヘト人たちと交渉します。そして、ヘト人エフロンのからマクペラの洞窟と畑を購入しますが、その代価は驚くほど高額なものでした。アブラハムは一切値切ろうともしないで、エフロンの言い値のとおりに代金を支払います。武力で占拠しようと思えばいくらでもできたであろうアブラハムが、このように平和的な手段で土地を購入したという点に、アブラハムの成熟した信仰と人柄を見ることが出来ます。(23章)

 アブラハムは、イサクに妻を迎えようと僕をナホルの町に遣わします。僕は、ナホルの町外れの井戸で親切な娘リベカと出会い、彼女がイサクの妻となるべき女性であると確信します。リベカは、僕の申し出を受け入れてイサクの妻となる決心を固め、カナンへと旅立ちますが、ここには、自立した女性としてのリベカの姿が表われています。(24章)

 

 それでは本日の箇所に入って行きたいと思います。

 

 1アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。2彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。3ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。4ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。

 5アブラハムは、全財産をイサクに譲った。6側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。(25章1~6節)

 

 アブラハムの正妻はサラでしたが、サラの提案によってハガルが側女となりイシュマエルをもうけました。この25章によれば、側女はハガルばかりではなかったことになります。

 ケトラは、「再び妻をめとった」とありますので、サラが亡くなった後の後妻であったとも解釈できますが、サラが亡くなったのはアブラハムが137歳のときであり、それから6人の子どもをもうけるのは年齢的にも困難です。また、24章を取り上げた際にも言いました通り、イサクの結婚の前後にアブラハムが亡くなっている可能性がありますから、ケトラを側女に迎かえ入れたのはサラが存命中のことと理解すべきだと思います。

 さて、ケトラの子どもとして名前が挙がっているジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアは、どうやらパレスチナ地方に住んでいた種族名であり、それらを羅列したとも考えられます。

 例えば、ミディアンは、アラビア北西部からシナイ半島東部に広がっていた種族であり、旧約聖書に度々名前が登場します。

 

 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀20枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。(創世記37章28節)

 

 モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。(出エジプト記3章1節)

 

 イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを7年間、ミディアン人の手に渡された。ミディアン人の手がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用した。(士師記6章1~2節)

 

 これらの聖書の箇所から分かる通り、アブラハムの曾孫ヨセフをさらって行って、エジプトで売ったのがミディアン人であり、モーセが一時逃れていたのもミディアンの地、そして、彼の妻もミディアンの娘でした。士師の時代には、ミディアン人はイスラエルを侵略し、士師ギデオンに撃破されています。その後は歴史に登場しないので、他民族に吸収されていったものと思われます。

 シェバも、紅海沿岸で活躍したアラブ商人の部族であり、デダンも紅海沿岸で活躍した部族で、遊牧による交易に従事していたとされています。

 こうしたことや、ケトラが「香料」を意味していることから、香料を持ってアラビア半島を通過した種族をアブラハムと関係付けるために、ケトラとの再婚話が創られ、挿入されたのではないかと考える者もおります。正統としてのイサクの子孫ばかりでなく、それ以外の種族もアブラハムとの関わりがあり、それによって「あなたを大いなる国民にし」(創世記12章2節)という神の約束は成就され、また、「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」という信仰の表明が、ケトラの系図に表われていると考えるのです。

 

 7アブラハムの生涯は百七十五年であった。8アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。9息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、10その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。11アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。(25章7~11節)

 

 ここでは、アブラハムが亡くなった年齢が175歳と明記されており、年代史的な記述に几帳面なP資料に基づくと考えられています。

 

 アブラハムが亡くなった年齢については、イサクの結婚前後に亡くなったという説がありますが、ここでは、175歳死亡説を前提として、アブラハム、イサク、ヤコブの年齢的な関係を確認しておきたいと思います。

 アブラハム175歳死亡説では、イサクの結婚後も35年間生きたので、孫のエサウとヤコブを抱いたことになります。なお、アブラハムから9代前のセムは600歳まで生きたため(11章11節)、アブラハムよりも35年生きながらえ、ヤコブ、エサウが50歳のときに死んだことになります。また、イサクが180歳で死んだとき(35章28節)、ヤコブは120歳で(25章26節)、そのときヨセフは29歳前後と推定できるので(47章9節、45章11節、41章46節)、ヨセフが17歳で売られた(37章2節)ときには、イサクも生きており、孫のために悲しんだことになります。

 しかし、ヤコブとエサウの誕生後も15年間生きたとすると、二人の誕生の記事の前にアブラハムの死亡の記事が置かれているのは不自然です。P資料の年代史的な関心の強さは理解できるとしても、P資料の定めた年代には物語解釈上つじつまが合わない点が幾つも出て来ます。

 175歳死亡説に立った場合の不都合を考慮するならば、やはり140歳前後、イサクの結婚の直前に亡くなったと解釈しておくのが自然だと思われます。

 さて、アブラハムは「長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」のですが、ここには神の祝福が表われています。ただ、11章から延々と連ねられた物語の主人公の死を物語るにしては、余りにも簡略な報告でしかありません。

 これは、ヘブル人たちは高齢で安らかに死ぬことを望んではいたのですが、旧約時代の終わり近くになるまで「死後の生」という考えがなかったことと関係しているように思われます。彼らが死ぬと、遺体は先祖の亡骸のそばに葬られ、彼らの「影」は、他の全ての「影」に加えられて、しばらくは非常に弱い状態で、地下の世界、陰府にとどまるのです(ヨブ記3章13~19節、イザヤ書14章9~11節)。そして、遺体が朽ちて塵になると、この影のような存在も無くなってしまうと考えられました。イエスの復活を信じているキリスト者とは、死に対するイメージが異なるのです。

 このアブラハムの葬りは、イサクとイシュマエルが共同で行ないましたが、アブラハムの生前に両者が受け入れ合っていたのか、アブラハムの死が両者の和解をもたらしたのか、それとも、単にイシュマエルが近くに滞在していただけなのか、この点について聖書は沈黙しています。この後、両者が協力して何かを行なうという場面は出て参りませんので、余り近しい関係にはならなかったと思われます。

 

 12サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。13イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば、長男がネバヨト、次はケダル、アドベエル、ミブサム、14ミシュマ、ドマ、マサ、15ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。16以上がイシュマエルの息子たちで、村落や宿営地に従って付けられた名前である。彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。17イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。18イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。(25章12~18節)

 

 25章には、3つの系図が登場します。

 第一の系図は、ケトラから生まれた子孫の系図。第二の系図は、イシュマエルの系図。第三の系図は、次に登場するイサクの系図です。もっとも、イサクの系図は、ヤコブとエサウの誕生物語ですから、第一、第二の系図とは同列には扱えません。

 正妻から生まれた約束の子イサクの系図が最後に置かれ、聖書中にほとんど記事のないケトラの系図が最初に置かれたことで、創世記の編者の編集方針がうかがえます。傍系の系図が正統の系図に先行するのが創世記編者の方針であり、約束の子以外の者も神の約束とは無関係ではないことが示されています。しかし、約束の子(民)とそれ以外の者とには区別が設けられ、神の恵みと神の選びとが並存している点に注意を払う必要があります。

 イシュマエルの息子たちの名前は、ケトラの息子たちと同様、当時の周辺種族の名前を羅列したものであり、イスラエルと周辺の種族との関係の深さと彼らに対するイスラエルの優越を示すものであると思われます。

 ネバヨトは多くの羊に恵まれた民として、ケダルも有力な部族として聖書に登場しますが、彼らの人数がちょうど12人で、イスラエルの12部族と同じであることが興味深い点です。イシュマエル人の社会とイスラエルの社会とは似通った社会制度を持っていたのかもしれません。また、彼らの名前が村落や宿営地に由来すると明記されていることも、旧約聖書に登場する人名と地名との関係の深さを示している点で注目されます。

 

 19アブラハムの息子イサクの系図は次のとおりである。アブラハムにはイサクが生まれた。20イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。21イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。22ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。23主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」

 24月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。25先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。26その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。(25章19~26節)

 

 イサクの系図は、ケトラやイシュマエルの系図とは異なり、息子の名前の羅列ではなく、ヤコブとエサウの誕生の物語りとして語られます。

 アブラハムとサラが不妊で悩み、苦しんだように、イサクとリベカも不妊で苦しみます。結婚してから双子の誕生まで20年も待たなければなりませんでした。

 旧約聖書に登場する著名な人物の中には、両親の不妊の苦しみの後に誕生した者が何人もおります。イサク、ヤコブはもちろん、ヤコブの子ヨセフ、サムソン、サムエルらは、みな不妊の苦しみの挙句に誕生した子どもでした。新約聖書の時代に入っても、バプテスマのヨハネはやはり不妊の苦しみの後に誕生した子どもです。

 イサクは、リベカに子どもができなかったので、リベカの妊娠、出産を求めて主に祈りますが、新共同訳聖書が「妻のために主に祈った」と訳している箇所を、関根先生、月本先生は「懇願した」と訳しています。かなり強い思いを込めてイサクは主に祈ったものと思われます。これは、リベカに子がないことの恥をそそいで欲しいという願いであると同時に、約束の家系を絶やさないで欲しいという願いでありました。

 こうした願いが聞き届けられ、リベカは妊娠します。

 ところが、胎内で子どもが余りに激しく動くため、リベカは双子を身ごもっているとは知らず不安になり、主の御心を知るために礼拝の場所へと出かけます。これは、身ごもった子どもが、祈りが聞き届けられた証であること、祝福の証であることを承知しているからこそ、それと矛盾する不安をそのままにしておけなかったからだと思われます。やさしく微笑んでくれた主の笑みが、なぜ急に険しい表情になってしまったのかという不安でもあったのでしょう。

 祈り尋ねるリベカに主なる神は「胎内に二つの国民が宿り、争っている。兄が弟に仕えるようになる。」と答えます。やがて誕生する二人の男児は、長子の権利と祝福を巡って深刻な衝突をしますが、その種は、母の胎内に命が宿った時に蒔かれていたということになります。神の祝福のうちに宿ったはずの命は、祝福と同時に争いの種を宿していたのです。このように矛盾した二つの要素が共存していることに、人間の理性では解き難い神の選び、導きの不可思議さが示されています。

 ところで、神から示されたこの言葉を、リベカはイサクに伝えたのでしょうか?兄が弟に仕えるようになるという神の言葉は、夫婦二人の共通の認識になったのか、それともリベカだけの秘密としてイサクには内緒にされたのでしょうか?

 聖書は、この点については何も語っておりませんが、多分、イサクは何も知らなかったのだろうと推察されます。イサクは、あくまでもエサウが長子であり、彼に長子が受けるべき祝福を与えようとしたからです(27章)。

 重要な神の示しを夫であるイサクに内緒にしたリベカは、結婚前の気立ての良い働き者とは違った面を見せ始めているように思われます。20年の結婚生活のうちに、二人の関係には亀裂が走っていたということかもしれません。小さな秘密を作っているうちに、夫には話せないことが次第に膨らんで行ったのではないかと思われます。

 さて、神から示された言葉を反芻しているうちに月が満ち、出産の時を迎えると、リベカの胎内には正しく双子が宿っていました。

 先に出て来た兄は、体全体が赤く毛深く、後から出て来た弟は、手で兄のかかとをしっかりつかんでいました。こうした誕生時の様子から、兄はエサウ、弟はヤコブと名付けられたと説明されています。

 しかし、兄エサウの名前の由来が、体が赤かったことや、毛深かったことにあると説明するのは、こじつけです。「赤くて」のヘブライ語は「アドモーニー」であり、「毛皮の衣」は「アッデレス・セーアール」であって、エサウに近い発音ではありません。「アドモーニー」は「エドム」に、「セーアール」はエドムの別名である「セイル」に似ています。エサウの子孫であるエドム人の住んだセイル山と発音が似ているから、むしろ、こちらの語源であると考えられます。「赤い」(アドモーニー)の方は、エドム人の住んだセイル山脈の両側が赤い砂岩断層に包まれているので、こうした点と関係がありそうです。

 いずれにしても、エサウの名前の由来は、25節の説明からは、はっきりとは導き出せません。

 ヤコブの名前は、彼が兄のかかとをつかんでいたことに由来すると説明されていますが、元々は、「神が守られるように」を意味する「ヤコブ・エル」の省略形だと考えられています。多分、誕生のときに守って下さった神が、生涯守り続けて下さるようにという両親の願いの表われでしょう。一方、「かかとをつかむ」という動詞の「アカーブ」には「押し退ける」や「出し抜く」という意味もありますので、ヤコブの人間性を考える上で示唆的な言葉でもあります。

 神の選びと祝福のうちに誕生した筈の兄弟には、祝福と並行して紛争の種がまかれていたことを繰り返しておきます。

 

  27二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。28イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。(25章27~28節)

 

 同時に母の胎から生まれ出た二人は、対照的な人間に成長していきます。狩人と牧羊者は生活習慣が異なり、求められる資質も異なりますので、エサウとヤコブの違いは、行動派対思索派、大胆な人対慎重な人といった違いとなって表われていきます。こうした違いは、えてして衝突の種となりやすいものです。

 

 衝突といえば、イサクの一家は、衝突、紛争の絶えない家だと言えます。ヤコブとエサウの対立は言うまでもありませんが、イサクとリベカも長子の権利を巡って意見が分かれ、イサクとヤコブも長子の祝福を巡って紛争が起き、やがて、ヤコブはエサウの報復を恐れて逃げたラバンとも衝突します。こうした関係を図示すれば、次の様になります。 

 

 こうした対立の図式を見ると、ヤコブ・エサウの誕生は、神の祝福の表われというよりも、家族の崩壊物語の序章であったと言えなくもありません。狡猾で情け容赦なく自分の利益を貪るやくざな男と、彼を溺愛する勝ち気な母親が、人は良いけれども軽率で粗野な兄と、彼を偏愛する温厚な父をだまし、苦しめる物語と読むことが出来るのです。

 

29ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。

30エサウはヤコブに言った。

「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。31ヤコブは言った。

「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」

32「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、33ヤコブは言った。

「では、今すぐ誓ってください。」

 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。34ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。

                       (25章29~34節)

 

 この箇所を理解するためには、当時の長子の権利がどのようなものであったかについて理解しておく必要があります。

 長子権については、申命記21章が参考になります。

 

 ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。愛された妻も疎んじられた妻も彼の子を産み、疎んじられた妻の子が長子であるならば、その人が息子たちに財産を継がせるとき、その長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱うことはできない。疎んじられた妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の分け前を与えねばならない。この子が父の力の初穂であり、長子権はこの子のものだからである。(申命記21章15~17節)

 

 ここに示されているように、長子の持つ権利は、長子権として法的に認められ、保護されていました。父親が、自分の好き嫌いによっては、長子権を持つ子どもを選ぶことはできず、長子権の持ち主は、父親の財産を受け継ぐ際には、他の子どもの二倍の分け前をもらったことが分かります。

 しかし、実際には、長子権は、譲渡の対象とされることも珍しくなかったらしく、ヌジ文書によれば、貧しい者の場合には、羊三匹で長子権を売り渡したこともあったようです。

 イサクは、アブラハムから受け継いだ多くの財産を持っておりましたので、エサウの長子権にはかなりの経済的な重みがあったことと思われます。また、目の前の財産ばかりではなく、子孫の繁栄と土地の所有という将来に渡る神の約束を受け継ぐという意味で、この長子権には霊的な重みがありました。

 ヤコブが長子権を狙うようになったのは、母リベカの影響ではないかと推察されます。

 自分のお気に入りであったヤコブがやがてエサウを凌ぎ、兄が弟に使える日が来るという密かな確信を、リベカがそれとなくヤコブに話していたということは容易に想像できることです。そして、それが、アブラハムに臨んだ主の約束と結び付いたとすれば、ヤコブがカナンの地の支配者として君臨することを夢見たとしても当然のこと。リベカから神の託宣を度々聞かされていたヤコブは、エサウの持つ長子権がどのようなものであるかを熟知し、どうやってエサウからその権利を奪い取ってやろうかと、リベカと相談したことでしょう。長男の権利を奪い取ろうとする、母と次男の暗い内緒話の様子を思い描くことができます。

 そして、母子で考え出した策略が、エサウの弱点を利用し、食べ物で長子権を譲り渡させることだったと思われます。貧しい者の場合でも羊三匹の代価を支払っているというのに、ヤコブは、たった一杯のレンズ豆の煮物で長子権を奪い取ろうというのですから、かなりのワルであったと言わなければなりません。

 空腹のために我を忘れているエサウが長子権を譲り渡すことを承諾すると、すかさず誓いの言葉を述べさせていますから、現在で言えば、相手を騙して有利な条件で取引をし、気が変わらないうちに契約書にサインをさせてしまうような抜け目のないやり口です。もし、誓いを伴うような厳粛な取引でなければ破棄することもできたでしょうが、ヤコブはそうした余地を残しませんでした。

 これは、これから始まるヤコブ物語の縮図です。神に選ばれたヤコブは、腹の空いている兄をいたわろうという気持ちなど全く持ち合わせず、冷静に兄の様子を観察し、自分のチャンスが到来したと思えば、情け容赦なく自分の利益のために行動するのです。冷淡、自己中心、狡猾・・・という言葉を羅列しても足りないような人物が、神の選びのうちに誕生し、次々に紛争の種を蒔き散らしながらも生き抜いていったという点にヤコブの物語の特徴があります。

 では、ヤコブには評価できる点はないのでしょうか?

 ヤコブに評価できる点があるとすれば、それは、エサウが「今」しか見ていないのに対し、ヤコブは「未来」を見据えて生きていたということ。また、エサウは霊的なものにそれほどの価値を感じていなかったのに対し、ヤコブは霊的なものを求め続け、やがてペヌエルで神と格闘するに至ります。このとき、ヤコブは神に対して「祝福して下さるまでは離しません。」と叫びますが、あくまでも霊的な祝福にこだわり続け、それを求め続けた点にヤコブの信仰者としての姿を見ることができます。

 パウロは、ローマの信徒への手紙の中でヤコブとエサウを取り上げて次のように語っています。

 

 それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行ないにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

 では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。神はモーセに「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

              (ローマの信徒への手紙9章10~16節)

 

 ヤコブのような俗悪な人間が、どうして信仰の父祖の一人に数えられ、その物語が創世記の中で大きなウェイトを占めているのかは、謎というしかありません。パウロは、こうした謎の背景は説明しようとしてもできるものではなく、神の意志、神の計画の絶対性、優越性に求めるしか道がないことを指摘し、そして、そこに神の憐れみがあるのだとしています。

 こうした「神の選び」という観点から、ヤコブの物語を読み進めていきたいと思います。

 

<今回の参考書>

 

「創世記」(関根正雄訳 岩波文庫)/「創世記」(月本昭男訳 岩波書店)/「創世記講義」(政池仁著 聖書の日本社)/「現代聖書注解 創世記」(ブルッグマン著 日本基督教団出版局)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「新聖書注解 旧約Ⅰ」(いのちのことば社)