旧約聖書の旅「創世記」第19回「イサクのゲラル滞在」(小山哲司)

「イサクのゲラル滞在」 旧約聖書の旅19

1999.9.25 小山 哲司

 前回のレポートでは創世記25章を取り上げて、アブラハムの死と埋葬及びエサウとヤコブの誕生の経緯について学びました。本日は26章を取り上げますが、その前にこれまで学んできたことを振り返っておきたいと思います。

 アブラムは、神の祝福の言葉によってカルデアのウルを、そしてハランの地を後にしました。神は、アブラムの子孫が繁栄して約束の地を受け継ぐのだと語りかけます。

 ところが、飢饉を避けて下って行ったエジプトで、妻サライはファラオの宮廷に召し入れられてしまいました。神の介入によってサライを取り戻したアブラムは、エジプトからカナンの地へと戻ります。(創世記12章)

 ベテルとアイの間の所までやってくると、アブラムとロトの牧童たちの間に遊牧地を巡る争いが持ち上がってきます。アブラムは、土地を選択する権利をロトに譲ってしまいます。(13章)

 その後、東方の王たちがカナンを侵略し、ソドムの王たちを撃破してロトを奪い去りますが、アブラムの追撃に破れます。アブラムは、ここでは雄々しい戦闘指揮官として描かれています。(14章)

 これらのことの後、幻の中で「恐れるな、あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」という主の言葉がアブラムに臨みます。

 しかし、アブラムは「家の僕が跡を継ぐことになっています。」と抗議をします。主なる神は、「あなたから生まれるものが跡を継ぐ。」と具体的な回答を与え、アブラムは満天の星を見つめながら自分自身の子供が誕生して子孫が増えることを信じます。

 その後、主なる神はアブラムに牝牛と牝山羊と牡羊と山鳩とを半分に引き裂き、向かい合わせに置くように命じます。番をするうちにアブラムは深い眠りに陥りますが、夢(幻)の中で神は、アブラムの子孫の行く末について語ります。やがて、辺りが闇に包まれた頃、煙をはいた炉と燃えた松明が引き裂かれた動物の間を通ります。これは神がアブラムと契約を結ばれたしるしでした。(15章)

 こうして繰り返し臨む神の約束の言葉にも関わらず、一向に懐妊する兆しのないサライは、女奴隷ハガルによって母となろうと企てます。

 これは、当時行われていた習慣に乗っ取ったことでしたが、アブラムとサライ、そしてハガルの間に亀裂が走ります。

 身ごもったハガルは、サライの仕打ちに耐え兼ねて、また、子供を自分自身の子としたいと願って逃亡しますが、御使いの姿をとられた主にサライのもとに戻るように示され、やがて誕生する子供が繁栄するという約束を受けます。(16章)

 ハガルがイシュマエルを産んでから13年後に、主は再びアブラハムに現われます。この時、アブラハムは99歳になっておりました。

 主は、アブラムの子孫を繁栄させ、土地を所有させるという契約を繰り返し、アブラハムと改名するように命じます。彼はまだ一片の土地すらも自分の所有とはしておりませんでしたが、神はカナンの土地が永久にアブラハムとその子孫の所有地であると宣言し、約束のしるしとして一族の男子はすべて割礼を受けるように命じます。

 割礼の求めに続いて、神はイサクの誕生をアブラハムに予告します。

 アブラハムは、サラが子供を生むという神の言葉を笑いますが、神は1年後にはイサクが誕生し、それが神が契約を結ぶべきアブラハムの子孫であると宣言します。神の言葉を受け、アブラハムはその日のうちに一族の男子すべてに割礼を施します。(17章)

 イサクの誕生を予告した神は、旅人の姿をとって天幕を訪れ、アブラハムから手厚くもてなされます。その際にも、来年の今ごろサラに男の子が誕生すると予告しますがサラはそれを笑います。

 神の一行はアブラハムのもとを出立し、見送るアブラハムにソドムを滅ぼすことを示します。アブラハムは、ソドムに少しでも正しい者がいれば滅ぼさないで欲しいと懇願し、正しい者の数を50人、40人と減らしていき「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」という神の約束を取り付けます。ここには、罪なき者には罪ある者を救う力があるという思想が表われており、神とアブラハムとの交渉は緊迫したドラマを展開します。(18章)

 ソドムの町に入った二人の御使いは、ロトの家に招き入れられます。夜中に町の男たちが二人の御使いを引き渡すように迫りますが、御使いの目潰しによって難を逃れます。御使いから神がソドムを滅ぼすと聞かされたロトは、御使いに手を取られて妻と二人の娘と一緒に町の外へと連れ出されます。山へ逃げよという神の命に背いてロトはツォアルに逃げ、やがて山の中の洞穴に移り住みます。山の中では結婚相手が見つからないことに悩んだ二人の娘は父親であるロトによって子を得ます。(19章)

 アブラハムはゲラルに移動し、そこでサラを妹と偽りますが、そのお陰でゲラルの王アビメレクによってサラが召し入れられます。アビメレクは夢に現われた神に「召し入れた女の故にお前は死ぬ。・・・直ちにあの人の妻を返しなさい。彼は予言者だから、あなたのために祈って命を救ってくれるだろう。・・・もし返さなかったら、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬ」と命じられ、翌朝、アブラハムを呼びつけます。アブラハムはアビメレクに弁明し、「サラは実際に妹でもあるのです」と苦しい言い訳をしますが、異教の王によって倫理的な過ちを糾弾されたのは屈辱的な経験だった筈です。一方、過ちを犯さなかった者(アビメレク)が、過ちの原因を与えた者(アブラハム)の祈りによって救われ、そのために祈りの報酬として多額の贈り物までしなければならなかったとは、真に不可思議で興味深いこと。アブラハムは欠点が多く、倫理的、信仰的に疑問を抱かざるを得ない人物です。彼自身に価値はなくとも、神の一方的な恩恵によって諸国民に生命を与える器として選ばれたといえるでしょう。(20章)

 主なる神が約束された時期にサラに男子が誕生し、イサクと名付けられました。イサクとは「笑い」という意味。イサク誕生の喜びの笑いであると同時に、神の約束に対するサラとアブラハムの不信の笑いをも意味するものでした。やがて、サラはハガルとイシュマエルを追放することを求めます。アブラハムは少しばかりの水と食料を持たせて二人を送り出しますが、間もなく水が尽き、ハガルはイシュマエルが死ぬことを覚悟します。しかし、神の御使いが現われて「わたしはかならずあの子を大きな国民とする」と言い、ハガルは水のある井戸を発見します。このように旧約の神はイサクを約束の子として選んだ「選び」の神でありますが、たとえ選びの外側にいる者に対しても恵み豊かな神であることを忘れてはなりません。(21章)

 神はアブラハムを試みようとして「イサクを燔祭の犠牲として献げよ」と命じます。アブラハムは、従者とイサクを連れてモリヤの地へと向かいますが、途中で「小羊はどこにいるのですか?」と尋ねるイサクに対して「神が備えて下さる。」と答えます。自分が焼き尽くされる薪を背負ってモリヤの地へと歩むイサクの姿は、十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かうイエスの姿を彷彿とさせます。また、心に激しい痛みを抱えながらも愛子を献げようとしたアブラハムの信仰は、イエスを地上に送った時の父なる神の痛みになぞらえることができるかもしれません。

 正にイサクを屠ろうとした時、神はアブラハムを制止して、イサクの代わりとなる雄羊を示されます。これが、神がアブラハムに現われる最後の機会となり、アブラハムは主役の座をイサクに譲り、旧約の舞台からしずかに退場していくのです。(22章)

 サラは127年の生涯を全うしてヘブロンの地でなくなり、アブラハムは埋葬のために墓地を求めてヘト人たちと交渉します。そして、ヘト人エフロンのからマクペラの洞窟と畑を購入しますが、その代価は驚くほど高額なものでした。アブラハムは一切値切ろうともしないで、エフロンの言い値のとおりに代金を支払います。武力で占拠しようと思えばいくらでもできたであろうアブラハムが、このように平和的な手段で土地を購入したという点に、アブラハムの成熟した信仰と人柄を見ることが出来ます。(23章)

 アブラハムは、イサクに妻を迎えようと僕をナホルの町に遣わします。僕は、ナホルの町外れの井戸で親切な娘リベカと出会い、彼女がイサクの妻となるべき女性であると確信します。リベカは、僕の申し出を受け入れてイサクの妻となる決心を固め、カナンへと旅立ちますが、ここには、自立した女性としてのリベカの姿が表われています。(24章)

 アブラハムにはケトラを通しても多くの子孫が誕生しましたが、その子孫の名前は周辺種族の名前と一致し、また、ハガルから誕生したイシュマエルの子孫の名前も周辺種族の名前と一致します。これは、イスラエルと周辺の種族との関係の深さを示すものであると思われます。一方、イサクを通して誕生したエサウとヤコブの兄弟には行動派対思索派、大胆な人対慎重な人といった性格の違いがあり、ヤコブは、エサウの長子権を一杯のレンズ豆の煮物と引き換えに奪ってしまいます。(25章)

 

 それでは本日の箇所に入って行きたいと思います。

 

 1アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。2そのとき、主がイサクに現れて言われた。「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。3あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。4わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。5アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」

 6そこで、イサクはゲラルに住んだ。(26章1~6節)

 

 26章は、イサクが主人公として貫かれた唯一の章です。

 アブラハムとヤコブに挟まれ、イサクはエピソードに乏しく影の薄い存在ですが、26章だけは違います。ここではイサクに焦点が当てられ、彼の性格が浮き彫りになっていると言えましょう。

 イサクは、100年ほど前にアブラハムが経験したと同じような飢饉に遭遇し、これを避けるためにゲラルに移動します。それ以前は、ネゲブ地方に居住していたものと思われます。

 イサクの活動範囲はアブラハムと比べれば狭く、ネゲブ地方北部、特にベエル・シェバやベエル・ラハイ・ロイのオアシスと結び付いており、アブラハムが拠点としていたヘブロンよりは、やや南方に位置します。

 イサクの活動の中心がネゲブであったということ、そして、飢饉を避けるためにペリシテ人の王アビメレクのところへ行ったということから、イサクの活動した年代について、興味深い問題が生じます。

 考古学的発掘調査の結果、ネゲブ地方に人が住み始めたのは、早くとも紀元前13世紀後半以後だと言われております。ベエル・シェバでは神殿と結び付いた深い井戸が発掘されましたが、その年代はそれとほぼ同時期のこととされています。一方、20章ではゲラルの王とされたアビメレクが、26章ではペリシテ人の王として登場しますが、ペリシテ人がパレスチナで勢力を伸ばしたのは、紀元前12世紀以降のことだとされています。

 以上の二つのことから判断すると、イサクがネゲブに居住していたのは、紀元前13世紀以前ではなかったことになります。

 しかし、この結論では、創世記や出エジプト記の年代とつじつまが合いません。考古学者たちによれば、出エジプトが行われた時期は、紀元前1250年頃のことだという点で異論はないからです。出エジプトの年代とイサクが活躍した年代が逆転しては、イサクの孫であるヨセフの子孫が出エジプトを行ったという物語が成り立たなくなります。

 伝承史という分析方法を唱える学者の中には、ヘブロンを中心としたアブラハム、ネゲブを中心としたイサク、ベテルやシケムとの結び付きの強いヤコブという族長の伝承がそれぞれ別に成立し、そうした小さな伝承が血族関係を持った形に編集されたのだ主張する者(ノート)もおりますが、伝承は、まず大枠から先に成立するという説が有力であり、アブラハム、イサク、ヤコブ の親子関係は、かなり古い時代に固まっていたものと考えられます。

 説はあくまでも仮説ですからはっきりこうだとは言えませんが、ネゲブ以外の地(多分、もっと北方)で活躍していたイサクが、後の時代-ネゲブがユダの領土となった時代-になって、ネゲブとの結び付きを持つ族長だと考えられるようになったのではないかという仮説を紹介して、この問題には一応の結論を与えておきます。

 さて、イサクがゲラルにいるアビメレクの所に行ったのは、エジプトに下って飢饉を避けるためであったと思われます。当時の交易路についてはよく存じませんが、ネゲブから直接エジプトに下るよりは、ゲラルを経由した方が便利だったのかもしれません。イサクの念頭にエジプトがあったことは、2節の主の言葉からも推察出来ます。

 主は2節で、エジプトに下らないようにとイサクに命じ、カナンの地に滞在するならば祝福を与え、アブラハムと結んだ土地の所有と子孫の繁栄という契約をイサクに対しても適応すると語りかけます。アブラハムが、カルデアのウルを出発し、ハランからゲラルを経由してエジプトに下ったことと比べると、イサクは、その生涯をカナン地方で過ごしており、約束の地カナンを受け継ぐ人物としてのイメージが強く打ち出されていると言えます。

 この神の祝福の言葉は、単に目前の飢饉から守られることを遥かに超え、「天の星の数のように」子孫を増やし、「これらの土地をすべて」イサクの子孫に与えるというスケールの大きなもの。主がアブラハムと結ばれた契約が、ここでイサクと更新されたのです。こうした契約の更新は、イサクの子ヤコブとの間でも行われます。

 

 神は、また彼(ヤコブ)に言われた。

「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから

 一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり

 あなたの腰から王たちが出る。

 わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。

 また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」(35章11~12節)

 

 契約の更新が、イサク、ヤコブに対して行われたのは、複数の子どもの中で彼らが選ばれたということと関わりがあり、契約更新の対象とならなかった兄弟に対しては、イサク、ヤコブを通して神の祝福が及んでいきます。

 イサクは、神の語りかけた通り、肥沃なエジプトの地には下らずにゲラルを居住地と定めますが、飢饉の最中にどのようにして過ごしたかについては、聖書は何も語りません。

 イサクがエジプトに下らなかったという箇所から、政池仁は、次のように独立伝道者の、そして、クリスチャンの生き方について語っております。

 

「カナンの地は、アブラハムに与えた地である。あなたは、継ぐべきものとして、この地を受けたのである、石にかじりついても、ここを去るな、と神はいわれる。

 この声は、ひとりイサクだけでなく、すべて神に選ばれた者の等しく聞くところである。特に、独立伝道の生涯に入ったものはそうである。この生涯に入ったものは、しばしば飢饉に遭遇する。しかも、彼らのエジプトは身近にある。職を変えて、月給取りになればよいのである。一生月給取りにならなくても、暫時でよい。少し豊かになったら、また伝道を始めればよいという誘惑は、まことに力強い。しかし、一たんエジプトに行った以上は、ぬるま湯に入った場合と同じく、なかなか出ることはできぬ。人は、自分の生活をしていくだけで手一杯である。数年間の伝道資金をためることなど全く不可能である。もし非常にもうけたとしても、しばらく伝道界から退いた者が、再びこれを始めることは至難である。伝道に限らない。人は、神から与えられた天職を、一瞬たりとも離れてはならぬ。芸術家は、芸術に生き、芸術に死すべきである。詩人は、作詞をもって一生の道とせねばならぬ。経済上の困難は、決して彼を死なしめない。むしろ、彼の腕をみがくに役立つ。

 ある天職を持ったものが一時的にその職から離れることは必ずしも罪でない。しかし、クリスチャンにはどんな職業でも、信仰生活を続けていると、しばしば飢饉が来る。そのとき人は、一瞬間だけ身を悪魔に渡して、悪い手段をとって危機を逃れようとする。しかし、そのとき神は、『エジプトへ下ってはならない。わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福する』とささやかれる。だが、この声は余りにもささやかである。この声には何らの強制力はない。これを踏みにじっても、誰も罰するものはいない。しかし、この時思いきってカナンにとどまる者は、不思議にも神に恵まれて、飢えず、死なず、かえって栄えるのである。」(「創世記講義」政池仁著 P413~4)

 

 ゲラルでのイサクの生活は、不思議にも神に恵まれて、飢えず、死なず、かえって栄えていきます。

 

 7その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、「わたしの妹です」と答えた。リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである。8イサクは長く滞在していたが、あるとき、ペリシテ人の王アビメレクが窓から下を眺めると、イサクが妻のリベカと戯れていた。9アビメレクは早速イサクを呼びつけて言った。「あの女は、本当はあなたの妻ではないか。それなのになぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。」「彼女のゆえにわたしは死ぬことになるかもしれないと思ったからです」とイサクは答えると、10アビメレクは言った。「あなたは何ということをしたのだ。民のだれかがあなたの妻と寝たら、あなたは我々を罪に陥れるところであった。」

11アビメレクはすべての民に命令を下した。「この人、またはその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる。」(26章7~11節)

 

 ゲラルに入ったイサクは、妻リベカを妹と偽り、同じゲラルの地で父アブラハムが犯したのと同じ過ちを犯します。

 

 父アブラハムが犯した過ちを記した20章と本日の26章の対照表を作成しましたので、ご覧ください。

 各物語の相違点を検討する前に、物語間の関係について触れておきますが、12章を含めて3つの物語をどう捉えるかで、立場が分かれます。

 文書資料説の立場に立てば、12章はJ資料、20章はE資料、26章はJ資料とされます。元の事実は一つであって、それがエジプトを舞台とした12章の物語、ゲラルを舞台とした20章、26章の物語に反映していると考えることになります。

 これに対して、一人の人間が同じ過ちを繰り返すことはあり得ることで、また、父が犯した過ちを子どもが繰り返すことも、過ちの内容を知っているだけにかえって起きやすいとする立場があり、随所に見られる違いが別個の出来事が起きた証拠であるとするのです。

 上記2つの説は、あくまでも仮説であるので結論は分かりません。

 20章と26章の2つの物語の相違点を下記の6点にまとめました。

 

1 20章でゲラルの王とされたアビメレクが、26章ではペリシテ人の王とされている。

2 20章では、アビメレクがサラを召し入れているが、26章ではリベカは召し入れられていない。

3 20章では、神がアビメレクの夢に現われ、二人の関係を告げ知らせるが、26章ではアビメレク自身が二人の関係に気付いた。

4 20章では、サラが妹でもあると弁解しているが、26章では、そうした弁解はない。

5 20章では、アビメレクがアブラハムに多くの贈り物をし、好きな所に住んでよいと居住の自由を認めているが、26章では、贈り物や居住の自由を認めてはいない。

6 20章では、アブラハムは預言者としてアビメレクのために祈るが、26章ではそうした記述がない。

 

 自分の身の安全のために妻を妹と偽り、その土地の指導者から詰問されて偽りが露見していくという点では物語の大枠は同じものですが、細かな違いに二つの物語の個性を見ることが出来ます。

 20章では、妻を妹と偽り、罪の原因を作ったにもかかわらず、アブラハムの祈りによってアビメレクの命は救われ、アブラハムは多くの贈り物を受け取り、居住の自由を獲得しています。アブラハムの存在の大きさがクローズアップされていると言えます。また、神の大胆な介入が行われたという点で、12章と共通する要素が見られます。こうした劇的な要素も、20章の特徴であり、その分、細かく描かれています。

 26章では、アビメレクの側にイニシアチブがあり、イサクの偽りを見抜き、ゲラルの民が罪を犯さないように配慮する倫理的感覚の鋭い王として描かれています。イサクは、アブラハムの様な存在感を主張することなく、終始受け身に回っていると言って良いでしょう。12章や20章のような贈り物もなく、権利を認められることがなかったのも当然のことです。

 このように、アブラハムとイサクの違いが2つの物語に反映していることに気付かされます。

 

12イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクが主の祝福を受けて、13豊かになり、ますます富み栄えて、14多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった。(26章12~14節)

 

 ゲラルに住み始めたイサクは、農業を始めますが、これは、遊牧民であることを止めたことにはなりません。新共同訳聖書で「百倍もの収穫があった」と訳されている部分は、新改訳聖書では「百倍の収穫を見た」と訳されています。「得た」「見た」に相当する「マーツァー」というヘブライ語は、「発見する」とい意味を持っていますので、種を撒いた後は、収穫の時に行って結果を見る程度の農業形態を反映しているのかもしれません。季節によってある地域に定住し、移動する前に穀物を収穫することは、決して特異なことではなかったようです。

 ここで「百倍もの収穫」と、収穫量の多さが強調されているのは、主なる神の恵みを表現するためであると考えられます。現代でこそ百倍の収穫は当然ですが、当時の収穫量は、精々が十倍から三十倍程度であり、百倍の収穫を得たということには、主なる神の働きかけを認めざるを得ません。

 豊かな国エジプトに下らず、主の命ずるままにゲラルに留まったことにより、約束通りに神の恵みがイサクに及び、富み栄えていきますが、これは紛争の種が芽を出すことでもありました。

 イサクは「多くの羊や牛の群れ、召し使いを持つように」なりました。この召し使いの中には、当然のことながら、ゲラルのペリシテ人が含まれていた筈。新参で、かつ、災いの原因すら与えそうになった者に雇われることの屈辱感が、ゲラルの人々の心に湧き上がったとして不思議ではありません。そうした屈折した感情に支配されたゲラルの人々は、次第にイサクと敵対するようになります。

 

 15ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。16アビメレクはイサクに言った。「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」17イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。18そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。19イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、20ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。21イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。22イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。(26章15~22節)

 

 アブラハムが掘った井戸については、その時点でアビメレクとの間に正式な契約が結ばれています(21章22~33節)。アブラハムの子であるイサクには、当然のこととしてそれらの井戸を使用する権利がありました。

 しかし、ゲラルのペリシテ人たちの妬みは、そうした契約を無視し、イサクの生活を支える井戸を埋めるという行動へと彼らを駆り立てていきます。

 パレスチナにおける飲み水の問題は、水の豊富な日本では考えられないほど重要でした。パレスチナにはナイル川やチグリス川、ユーフラテス川のような大河がありません。狭い渓谷を流れるヨルダン川のほとりは、町を建てるには適しておりませんし、降水量はエルサレムで年間500ミリ程度、東京の約3分の1に過ぎません。ですから、生活する上でまず問題になるのは、飲料水の確保でした。

 飲料水を確保する方法の一つが井戸を掘ることでしたが、現代のような機械・技術の進歩していない時代のことですから、井戸を掘り当てるのは困難を極め、掘り当てることが出来るのは僥倖であるとされました。当時の人々の井戸掘り歌が民数記に記されています。

 

 彼らはそこからベエル(井戸)に行った。これは、主がモーセに「民を集めよ、彼らに水を与えよう」と言われた井戸である。そのことがあったとき、イスラエルはこの歌を歌った。

 井戸よ、湧き上がれ

 井戸に向かって歌え。

 笏と杖とをもって 

 司たちが井戸を掘り

 民の高貴な人がそれを深く掘った。   (民数記21章16~18節)

 

 この歌からは、井戸掘りは、井戸掘り人足ばかりではなく、司など高貴な立場にいる者も総出で行ったことが分かります。生活を支える井戸掘りは、それだけ重要な事業であったのでしょう。

 生活の拠点となる井戸、正式な契約を結んだ井戸をことごとくふさぎ、土で埋めてしまったという点に、ペリシテ人たちのイサクに対する妬み、敵意が感じられます。

 ペリシテの人々の思いを代弁して、アビメレクがイサクに出て行くように告げますが、祝福を受けた者の繁栄は、祝福に与らぬ者にとっては脅威以外の何物でもなかったのでしょうか?

 イサクは、アビメレクの言葉通りそこを去り、ゲラルの谷に移動します。「谷」と訳されているのは所謂「ワディ」であり、乾期には水の枯れた川床ですが、夏の雨期には激流が流れる水路になる谷のこと。そこでは、比較的地下水が得やすいとされます。

 ここで注目すべきことは、富みを増し加え、多くの配下を擁したイサクが、アビメレクと争うことなく、交渉すらもせずにその場を立ち去ったことです。これは、イサクの側に戦闘能力がなかったからではありません。アビメレクが「あまりに強くなった」と言ったことからも、イサク一族の存在の大きさがうかがえます。

 イサクは、移住先のゲラルの谷でアブラハムが掘った井戸を掘り返し、更に、新たに井戸を掘り当てると、新しく掘られた井戸の所有を巡ってゲラルの羊飼いとの間に紛争が生じます。紛争が生じる度にイサクは別の所に井戸を掘り、とうとう争いが起こらなくなるまで掘り続けます。一つの井戸を掘るだけでも大変な事業であるのに、掘った井戸を次々と人手に渡しながら井戸を掘り続ける根気は相当なものです。

 エセク(争い)やシトナ(敵意)と名付けられた井戸の後、争いの起こらない井戸を掘り当てたイサクは、それをレホボト(広い場所)と名付けますが、これは「やっと邪魔されずに天幕を張ることの出来る広い場所が与えられた」という安堵の思いを込めたものと思われます。

 主が更新した土地に関する約束は、井戸という明確な祝福において見事に具体化します。

 

 23イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。24その夜、主が現れて言われた。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。

 恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。

 わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす

 わが僕アブラハムのゆえに。」

 25イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。(26章23~25節)

 

 イサクが掘り当てた井戸を次々にペリシテ人たちに渡していったことは、2~5節に示されている主の約束の成就とは裏腹のことのように思われます。生活の拠点となる井戸がなければ、自分たちがその土地で生活することは出来なくなるのですから。

 しかし、次々に撤退して行ったイサクに対して主の言葉が再び臨み、主はイサクと共にあり、祝福の故に子孫が繁栄すると語りかけます。

 これは、イサクがペリシテ人と敢えて闘争せず、平和的に問題を解決しようとした姿勢を、主が是認したことを意味しています。

 ここで、「わたしはあなたと共にいる。」と、主はご自身の臨在を告げておりますが、主の臨在はこの章を貫くキーワードでもあります。3節の「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し」という箇所、そしてこの24節、28節のアビメレクの言葉「主があなたと共におられることがよく分かったから」の3ヵ所に見られます。

 一見して臆病とも思われるイサクの態度を主は是認し、共にいて祝福して下さったということは、非常に大切なことです。

 主の言葉を受けたイサクは、祭壇を築いて主を礼拝しますが、族長たちの築く祭壇のほとんどは、語った下さった神への応答を表わすものでありました。

 

 26アビメレクが参謀のアフザトと軍隊の長のピコルと共に、ゲラルからイサクのところに来た。27イサクは彼らに尋ねた。「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか。」28彼らは答えた。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。29以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」30そこで、イサクは彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした。31次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去って行った。32その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、「水が出ました」と報告した。

(26章26~33節)

 

 掘り当てた井戸を次々にペリシテ人に渡し、何の抵抗もしなかったイサクのもとをアビメレクが軍隊の長ピコルと共に訪ねます。

 この二人は、21章22節でアブラハムを訪ねた二人と同じ名称ですが、アブラハムの時代とイサクの時代とでは、数十年を経過していますので、同じ人物であったかどうかは定かではありません。アビメレクやピコルは地位を表わす名称であった可能性もあります。

 イサクは彼らに対して「あなたたちは、わたしを憎んで追い出した」と嫌味を言いますが、この言葉の裏には「自分は、憎んでいなかったのに、一方的に憎まれた」という思いが込められています。これに対してアビメレクは「むしろあなたのためになるよう計り、あなたを送り出しました。」と答えますが、問題を解釈の相違にしてしまうあたりに、外交交渉に長けた老獪な人物像が描かれます。

 アビメレクがイサクの元を訪ねたのは、飢饉の中にあっても繁栄し、困難な井戸掘りを次々と成功させるイサクに潜在的な脅威を感じたからだと思われます。ゲラルから追い出しただけでは心配なので、不戦協定を結んでおこうということでしょう。

 イサクはこの申し出を受け入れ、祝宴を開いて共に飲み食いをし、契約の誓いを宣べあってアビメレクを送り出しますが、その日に、新しい井戸から水が出たという知らせが届きます。これは、イサクの結んだ不戦の契約を主が是認したしるしでありました。

 

 さて、本日の箇所、創世記26章に描かれるイサクの終始無抵抗な態度は、無教会の先達によって平和の礎と捉えられております。

 矢内原忠雄は、イサクの態度について聖書講義「創世記」の中で下記のように語ります。この「創世記」が、1941年の「嘉信」に掲載されていることに留意してください。太平洋戦争が始まったのは同年12月であり、戦争が目前に迫ったこの時期に、イサクの物語を皮切りとして「創世記」の執筆が始まっています。

 

「人は或ひは言ふであろう、原始社会たるイサクの時代には土地広く、国家なく、随意に新しい井を掘ることができたが、今日においては然らず、イサクの態度は個人の生涯に於ける教訓としてはともかく、国家の政策としては現代的意義を有たないと。然り、全地が国家間に分割し尽くされた現代において「井」についての紛争解決の道はイサクの時代に於けるが如く簡単ではない。それにも拘わらず一事は明白である。即ち「祝福」はペリシテ人的態度に来らず、イサク的態度に来たのである。之はすべての時代を通じる原理であって、若し自ら神の祝福を受け、且つ自己によりて天下万民に祝福あらしめようと欲するならば、宜しく柔和の原則の上に紛争解決の実際的方法を発見するよう努力すべきである。この態度を取るならば、現代には必ず現代に適するその方法が見い出されるに違いない。方法がないのではない。ただ人が十分に柔和でないから、ペリシテ人的方法以外に福祉を得る道なしと想像するだけの事である。而して、その方法によりて真に福祉の得られた例はないに拘わらず、人の不信仰は同じ失敗を繰り返してやまない。」

      (聖書講義Ⅴ「創世記」矢内原忠雄著 岩波書店 P169)

 

 太平洋戦争(第二次世界大戦)が集結した後、矢内原は日本の再軍備をテーマとして、次の「モリヤの山」という短文を「嘉信」(第13巻第9号)に発表しています。1950年9月のことでした。この年の7月には、自衛隊の前身となる警察予備隊が創設されています。

 

「日本が再軍備せず、外国の軍隊の保護をも求めず、平和国家の理想に忠実に生きるとして、もしその為めに他国の軍隊の侵略を蒙り、国の独立を失ふとすればどうであらうか。私は米国旅行中この問題を深く考へた。而して平和の理想を守るために日本が他国の軍事的侵略を被り、それによって国の独立が滅びるとするならば、私は愛する日本を燔祭として神の祭壇にささげようと心をきめた。日本が平和の道に殉じて国家の独立を失ふことが仮にあるとしても、日本民族は永く存続して、平和の理想を世界に輝かすであらう。日本は自らの国家の滅亡といふ絶大の犠牲によって、世界に平和を維持する役割を果たすであらう。個人の生命がその肉的生存にあるのでなくて、永遠の生命にあるとするならば、国民の生命も亦地上国家の繁栄にあるのでなく、霊的真理の歴史的把握者たる点になければならない。

 アブラハムはモリヤの山の祭壇の上に独子イサクを燔祭としてささげることによって、信仰の絶対性を人類の前に明らかにした。この信仰の絶対性に従ってイサクをささげた時、彼は復活を信ずる者の如くであった。

 私は日本に帰る。而して神がそれを欲し給ふならば、私は自ら平和のために死ぬだけでなく、私の愛する国をも平和のために燔祭として神にささげる。ここまでつきつめられて、私は神を信じた。而して始めて私の胸の波は静まった。」(「モリヤの山」)

 

 矢内原は、警察予備隊から、早くも日本が再軍備の方向に向かうことを感じ取ったようです。太平洋戦争の勃発直前にイサクの柔和さを取り上げ、国際紛争を武力以外の方法で解決することを示した矢内原は、警察予備隊の創設に際してはこれを否定し、日本を燔祭の犠牲としてささげる覚悟で武力によらない平和の道を歩む決意を示しました。

 1999年は、日米防衛協力の指針(いわゆるガイドライン)関連法案(周辺事態措置法、自衛隊法の改正、日米物品役務相互提供協定の改定が衆参両議院で可決され、日本が戦争参加の道へと一歩歩み出た年です。もし、矢内原が存命ならば、このイサクの物語をもとに我々に何を語るのでしょうか?

 

(参 考)日米防衛指針関連法の骨子

 ◇周辺事態の定義◇

  放置すれば日本への直接の武力攻撃に至る恐れのある事態など日本周辺地域で日本の平和と安全に重大な影響を与える事態

 ◇後方地域支援◇

  周辺事態の際、自衛隊は後方地域(日本領域と、現に戦闘行為が行われておらず、活動期間中戦闘行為が行われないと認められる日本周辺の公海と上空)で、武器・弾薬の輸送、給油・給水、医療、通信機器の提供など米軍を支援

 ◇後方地域捜索救助◇

  自衛隊は後方地域で遭難兵を捜索、救助、輸送する

 ◇自治体・民間協力◇

  政府は自治体に港湾使用などの協力を求め、民間に物品輸送などの協力を依頼できる

 ◇国会承認◇

  対米支援の基本計画のうち自衛隊の後方地域支援と後方地域捜索救助に限定し、国会の原則事前、緊急時事後承認とする

 

<今回の参考書>

 

「創世記」(関根正雄訳 岩波文庫)/「創世記」(月本昭男訳 岩波書店)/「創世記講義」(政池仁著 聖書の日本社)/「現代聖書注解 創世記」(ブルッグマン著 日本基督教団出版局)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「新聖書注解 旧約Ⅰ」(いのちのことば社)/「最新・古代イスラエル史」(マッカッター・ジュニア他著 ミルトス)/「キリスト者の信仰Ⅴ 民族と平和」(矢内原忠雄著 岩波書店)/「聖書講義Ⅴ」(矢内原忠雄著 岩波書店)/毎日新聞(1999年5月25日付朝刊)