旧約聖書の旅「創世記」第30回「再びベテルへ」(小山哲司)

「再びベテルへ」 旧約聖書の旅30

2000.11.5 小山 哲司

 前回のレポートでは創世記33章18節~34章31節を取り上げ、ヤコブの娘ディナの物語ついて学びました。本日は35章1節~22節を取り上げますが、その前にこれまで学んできたことを振り返っておきたいと思います。

 アブラムは、神の言葉に促されてカルデアのウル、そしてハランを後にしました。神は、彼の子孫が繁栄して約束の地を受け継ぐと語りかけますが、エジプトで、妻サライは宮廷に召し入れられます。神の介入によってサライを取り戻したアブラムは、カナンの地へと戻ります。(創世記12章)

 ベテルとアイの間の所までやってくると、アブラムとロトの牧童たちの間に遊牧地を巡る争いが持ち上がってきます。アブラムは、土地を選択する権利をロトに譲ってしまいます。(13章)

 その後、東方の王たちがカナンを侵略し、ソドムの王たちを撃破してロトを奪い去りますが、アブラムの追撃に破れます。(14章)

 「あなたの受ける報いは非常に大きい」という主の言葉がアブラムに臨み、アブラムはそれを信じます。やがて、炉と松明が引き裂かれた動物の間を通りますが、これは神とアブラムとの契約のしるしでした。(15章)

 サライは、女奴隷ハガルによって母となろうとします。ハガルは、サライの仕打ちに耐え兼ね、また、誕生する子を自分の子としたいと願って逃亡しますが、主に戻るように示され、子供の繁栄を約束されます。(16章)

 イシュマエルの誕生から13年後、主なる神は再びアブラハムに現われ、アブラハムと改名するように、また、一族の男子はすべて割礼を受けるようにと命じ、それに続いて、イサクの誕生を予告します。アブラハムは、サラが子供を生むという主の言葉を笑いますが、主は1年後に誕生するイサクが、神が契約を結ぶべきアブラハムの子孫であると宣言します。(17章)

 イサクの誕生を予告した神は、旅人の姿をとって天幕を訪れ、来年の今ごろサラに男の子が誕生すると予告しますが、サラはそれを笑います。

 神の一行は、見送るアブラハムにソドムを滅ぼすことを示します。アブラハムは神に懇願し、「10人の正しい者がいれば滅ぼさない」という約束を取り付けます。ここには、罪なき者には罪ある者を救う力があるという思想が表われており、両者の交渉は緊迫したドラマを展開します。(18章)

 ソドムに入った御使いは、ロトの家に招き入れられます。神がソドムを滅ぼすと聞かされたロトは、妻と二人の娘と共に町の外へと連れ出されます。山へ逃げよという神の命に背いてロトはツォアルに逃げ、やがて山の中の洞穴に移り住みます。二人の娘は、ロトによって子を得ます。(19章)

 アブラハムは、サラを妹と偽ったお陰で、ゲラルの王アビメレクによってサラを召し入れられてしまいます。王は夢に現われた神に「召し入れた女を返さなかったら、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬ」と命じられ、翌朝、アブラハムを呼びつけます。アブラハムは「サラは実際に妹でもあるのです」と弁明しますが、異教の王によって倫理的な過ちを糾弾されたのは屈辱的な経験でした。アブラハム自身に価値はなくとも、神の恩恵によって諸国民に生命を与える器として選ばれたといえるでしょう。(20章)

 主の約束通り、サラに男子が誕生し、イサクと名付けられます。サラは、ハガルとイシュマエルの追放を求め、アブラハムは水と食料を持たせて二人を送り出します。間もなく水が尽き、ハガルはイシュマエルの死を覚悟します。しかし、神の御使いが現われて「わたしはかならずあの子を大きな国民とする」と言い、ハガルは井戸を発見します。旧約の神は「選び」の神でありますが、選びの外側にいる者に対しても恵み豊かな神でした。(21章)

 神はアブラハムを試みようと「イサクを燔祭の犠牲として献げよ」と命じます。アブラハムは、イサクを連れてモリヤの地へと向かいますが、薪を背負うイサクの姿は、十字架を背負うイエスの姿を彷彿とさせます。正にイサクを屠ろうとした時、神は身代わりの雄羊を示されます。(22章)

 サラは127年の生涯を全うしてヘブロンの地で亡くなり、アブラハムは墓地を求めてヘト人エフロンからマクペラの洞窟と畑を購入します。その代価は驚くほど高額なものでしたが、アブラハムは言い値の通りに代金を支払います。武力で占拠できたであろうアブラハムが、平和的な手段で土地を購入した点に、彼の成熟した信仰と人柄を見ることが出来ます。(23章)

 アブラハムは、イサクに妻を迎えようと僕をナホルの町に遣わします。僕は、ナホルの町外れの井戸で親切な娘リベカと出会い、彼女がイサクの妻となるべき女性であると確信します。リベカは、僕の申し出を受け入れてカナンへと旅立ちますが、ここには、自立した女性としてのリベカの姿が表われています。(24章)

 アブラハムにはケトラを通しても多くの子孫が誕生しましたが、その子孫の名前は周辺種族の名前と一致し、また、ハガルから誕生したイシュマエルの子孫の名前も周辺種族の名前と一致します。これは、イスラエルと周辺の種族との関係の深さを示すものです。一方、イサクを通して誕生したエサウとヤコブの兄弟は性格が異なり、ヤコブは、エサウの長子権を一杯のレンズ豆の煮物と引き換えに奪ってしまいます。(25章)

 飢饉を避けるためエジプトに下ろうとしたイサクに神の言葉が臨み、主がアブラハムと結ばれた契約がイサクと更新されました。イサクはリベカを妹だと偽りますが、王アビメレクに夫婦であることを気付かれてしまいます。富み栄えたイサクはアビメレクによって追い出され、ゲラルの谷に移動しますが、そこでは井戸を巡る争いが生じます。争うことなく次々に井戸を掘り当てるイサクをアビメレクが訪れ、二人は契約を結びます。(26章)

 臨終の床に就いたイサクは、長子の祝福を与えようとエサウを呼びます。イサクは、祝福の前に料理を食べたいと言い、エサウは獲物を獲りに出かけます。リベカにそそのかされたヤコブは、声色を真似、毛皮を腕に巻き付けてイサクを騙し、エサウの受けるべき祝福を受けます。その直後にやってきたエサウは、悲痛な声をあげて祝福を求めますが、イサクが彼に与えたのは、祝福という言葉からはほど遠いものでした。(27章1~40節)

 エサウの怒りから逃れるため、そして、叔父ラバンの娘の中から結婚相手を選ぶために、ヤコブはハランに向けて旅立ちます。旅の途中で、彼は天から下る階段を天使が昇り降りする夢を見ます。夢に現れた主は、アブラハム、イサクと結んだ約束をヤコブと更新し、何処に行こうともヤコブと共にいると語りかけます。夢から覚めたヤコブは、枕石を記念碑として立て、その地をベテル(神の家)と名付けます。(27章41~28章22節)

 ヤコブは、ハラン近くの井戸でラケルと出会います。1ヵ月後、ラバンに労働の報酬を尋ねられたヤコブは、ラケルを妻とするために7年間働くと申し出ますが、ラバンによってレアとの結婚を余儀なくされ、ラケルを妻とするためには14年間も働かなければならなくなります。無理やり結婚させられてしまったレアから、イスラエルの祭司職につながるレビ、そして、ダビデ王からキリストにつながるユダが生まれます。(29章1~30節)

 レアから男子が誕生するのを見て、ラケルは召使ビルハによって母になろうと企てます。レアも召使ジルパによって子を得ます。やがて、二人は恋なすびを巡って取り引きをし、レアがヤコブと寝る権利を得て男子を生みます。不妊であったラケルも、最後には神の顧みによってヨセフを生みます。(29章31節~30章24節)

 ラケルとの結婚に必要な7年の労働が終わった頃、ヤコブは、「妻子と共に故郷に帰らせて欲しい」とラバンに求めます。ラバンは、ヤコブに報酬を示すように言いますが、ヤコブが求めたのはぶちやまだらの山羊、黒みがかった羊であり、とるに足りないものでした。ラバンの警戒をよそに、ヤコブは黒い山羊、白い羊から呪術的な方法でぶちやまだらの山羊、そして黒みがかった羊を増やしていきます。(30章25~43節)

 ラバンとその息子たちは、ヤコブを中傷するようになり、彼に対する態度も変わっていきました。その時、故郷に帰れという主の言葉がヤコブに臨み、彼はラケルとレアに帰郷の計画を打ち明けます。二人が彼の計画に賛成したことを受けて、ヤコブは、ラバンたちが忙しい時期を見計らい、全財産を携え、家族を引き連れてカナンへと出発します。(31章1~22節)

 ハランから旅立ったヤコブは、ギレアドの山中でラバンに追い付かれます。武力による衝突は、神の介入によって回避され、ラバンとヤコブの言葉による応酬が行われます。「非難するな」との神の命令にも関わらず、ラバンはヤコブを非難してテラフィムを探し出そうとしますが、ラケルの狡智によって見つけ出すことが出来ません。ヤコブはその機に乗じて一気に優位に立ち、逆にラバンを非難します。ラバンは、ヤコブと契約を結ぶことを提案し、記念の石を立て、また、石塚を築かせてから、ハランの地へと戻って行きます。(31章22~32章1節)

 カナンを目前にしたヤコブの前に、神の御使いの2つの陣営が姿を現わします。ヤコブは、再会に備えてエサウへ使いを派遣しますが、400人の供を連れてエサウがこちらに向かっていると聞いて怖れおののき、主に救いを求めて祈ります。ヤコブは、おびただしい数の家畜を9つのグループに分け、エサウへの贈り物として先に送り出し、家族にヤボクの渡しを渡らせます。その晩、何者かがヤコブのもとを訪れて夜明けまで格闘しますが、ヤコブを負かすことが出来ず、ヤコブにイスラエルと改名するように命じ、祝福を与えて立ち去ります。(32章2~33節)

 ヤコブは、エサウとの和解に全力を傾け、礼を尽くしてエサウの前に進み出ました。その姿を見た時、エサウは、「走って来てヤコブを迎え,抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣」きます。その姿は、「放蕩息子のたとえ」に登場する父親の姿を彷彿とさせますが、ヤコブは、ペヌエルで神から受けた祝福を、エサウとの和解の中で実感したに違いありません。

 その後、エサウは、ヤコブをセイルの地へと誘いますが、ヤコブは丁重にこれを断わり、スコトに家を建てて暮らし始めます。和解の喜びに涙しながらも、ヤコブの心は、冷静にエサウとの間合いをはかっていたのです。(33章1~17節)

 一人で町に出かけたディナは、シケムに乱暴されてしまいます。シケムと彼の父ハモルは、ヤコブにディナとの結婚の申し入れをしますが、ヤコブの息子たちは、結婚を認める代わりにシケムの町の人々全員が割礼を受けることを求めます。やがて、割礼の傷の痛みに苦しんでいる人々を、シメオンとレビが殺し、ディナを連れ戻します。(33章18節~34章31節)

 

 それでは、本日の箇所に入っていきたいと思います。

 

 1神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

 2ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。3さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」4人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。5こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。6ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、7そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。(35章1~7節)

 

 シケムでの殺戮と略奪の後、ヤコブの一族はその地を去ってベテルへと移動します。直接の理由としては、神の御言葉によって示されたためですが、殺戮と略奪の結果、シケム周辺の人々の怒りをかい、その地に居づらくなったものと思われます。

 ベテルは、ヤコブにとっては思いで深い土地であり、彼の神体験の原点となる土地でした。長い放浪生活の後に、原点となる土地に戻って行くことはヤコブにとって感慨の深いものであったことと思います。

 このベテルにおいて、ヤコブは初めて神の言葉に接し、神の御使いが天から降る階段を昇り降りしている幻を見たのです。その時、ヤコブに臨んだ主は、アブラハム、イサクと結んだ契約をヤコブと更新し、「見よ。わたしはあなたと共に居る。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地へ連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。(28章15節)」と語りかけました。この言葉の通り、ヤコブは、神の導きのうちに約束の地ベテルに戻って来たのです。

 このベテルは、ヤコブ以前の時代から、宗教的に重要な地であったようです。創世記においても、アブラハムがベテルの近くに祭壇を築いたことが示されています。

 

 アブラハムは、そこからベテルの東の山に移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラハムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。(12章7節)

 

 時代が下ると、ソロモンの死に続いて起こった王国の分裂に際して、ヤロブアムはベテルを北イスラエル王国の中心聖所の一つとします。

 

 ヤロブアムはエフライム山地のシケムを築き直し、そこに住んだ。更に、そこを出てペヌエルを築き直した。ヤロブアムは心に思った。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」

 彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。(列王記上12章25節~29節)

 

 ヤロブアムが行ったのは、政治的な思惑から出た偶像崇拝の推奨であり、ヤコブが主なる神と出会ったベテルを、偶像崇拝の場とすることでした。こうして、ベテルは、偽りの宗教の聖所として預言者たちから痛烈に攻撃される場所となります。

 ベテルがこのように偽りの宗教-偶像崇拝-の聖所となったことには、ヤコブ以前の宗教的な背景があるように思われます。「ベテル」は、「ベト・エル」(神の家)という意味の地名でしたが、単に地名であるだけではなく、その土地神の名前でもあったようです。エレミヤ書では、「そのとき、イスラエルの家が、頼みにしていたベテルによって恥を受けたように、モアブはケモシュによって恥を受ける。(48章13節)」とし、ベテルを神の名前として用いています。多少の曖昧さがありますが、創世記31章でもベテルを神の名前として扱っているように思われます。

 

 わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに請願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。(創世記31章13節)

 

 こうして、ベテルの変遷を辿ってみると、ヤコブ以前の時代から信仰されていたベテルの神が、主なる神ヤハウェと同一視されていき、しかし、後には、かつての信仰の名残からヤハウェに敵対する神として、違う衣装のもとに蘇ったように思われます。

 さて、ヤコブ自身は、ベテルで出会った神が「父祖アブラハムの神、イサクの神、主」であると信じ、唯一なる神への信仰の立場に立ってベテルへ移動しますが、これは、一種の宗教改革として捉えることができます。

 ヤコブは、移動に際し、家族や一緒にいる全ての人々に対して、次のように命じます。

 

(1)身に付けている外国の神々を取り去ること。

(2)身を清めること。

(3)衣服を着替えること。

 

 34章のシケムでの事件は、ディナが汚されたことを発端として起こりました。ディナの汚れが、シケムの町での虐殺、略奪という大きな汚れへと展開していった直後に置かれたこの記事は、そうした汚れの原因が、異国の神々への信仰にあるという反省を踏まえているのではないかと思います。そもそも、ヤコブの一族は、ヤコブ以外の全員がハランの出身であり、自分たちの故郷の神々の像を持ってきていたに相違ありません。ヤコブの愛妻ラケルも、父ラバンのもとから家の守り神(テラフィム)の像を盗んできたと創世記は記しています(31章19節)。こうした神々の像を全て取り去ることが、ヤコブの宗教改革運動の中心であったと思われます。

 (2)の清めが、どのような清め方を意味していたかは示されておりませんが、ほとんどの宗教で水を清めの手段として用いていることを考えると、体を水で洗い清めることを意味していただろうと推察されます。レビ記においても、犠牲の動物(1章9節)、器(6章21節)、衣服(15章17節)、体(15章5節)は水で洗うことによって清められるという規定があります。こうした清めの水としての働きが、やがて新約の時代には水による洗礼へとつながっていきます。

(3)の着替えについては、「古い衣服」を脱ぎ捨て、「新しい衣服」を身に付けるという一連の動作が、象徴的な意味を持っていたと考えられます。レビ記やエゼキエル書においては、具体的な祭儀の規定として着替えが登場しますが、新約のエフェソの信徒への手紙では、古い生き方を新しい生き方に変えることの象徴として着替えが用いられています。

 

 アロンは臨在の幕屋に戻り、至聖所に入るときに身に着けていた亜麻布の衣服を脱いでそこに置き、聖域で身を洗い、自分の衣服に着替え、外に出て自分の焼き尽くす献げ物と民の焼き尽くす献げ物をささげ、自分と民のために贖いの儀式を行う。(レビ記16章23~24節)

 

 祭司たちが聖所に入ったときは、聖所からそのまま外庭へ出てはならない。務めの時に身に着けた衣服はそこに置く。なぜなら、それは神聖だからである。彼らは別の衣服に着替えて、民のいる所に近づかねばならない。

                    (エゼキエル書42章14節)

 

 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。(エフェソの信徒への手紙4章22~23節)

 

 ヤコブは、人々から差し出された神々の像や耳飾りを樫の木の下に埋めました。古代の近東で用いられた耳飾りは、その多くが三日月の形をしており、月の神の礼拝と結び付いていたとされます。神々の像に加えて、異教の信仰に関わるものは全てを捨て去って、ベテルに赴いた訳です。

 ヤコブが最初にベテルで主なる神と出会ったとき、彼は無一物の逃亡者でしたが、今度は、「一族の者すべてと共に」ベテルで祭壇を築き、神を礼拝したのです。そして、その場所をエル・ベテルと名付けましたが、これは「ベテルの神」という意味でした。

 かつては、無一物で逃げ回っていた自分が、大勢の家族を引き連れて再びベテルに戻って来られた・・・・と、祭壇を前にしたヤコブは感慨に浸ったに相違ありません。このベテルで祭壇を築いた時期は、ヤコブの人生における絶頂期であったと言って良いと思います。

 

 8リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。そこで、その名はアロン・バクト(嘆きの樫の木)と呼ばれるようになった。(35章8節)

 

 ここで、唐突に乳母デボラの死が報じられます。

 この乳母は、ハランからリベカに同行した女性であり、24章59節に同行の記事がありますが、デボラという名前は記されておりません。リベカに仕えていた筈の乳母が、どうしてヤコブのもとで暮らすようになったのかについても、何も分かりません。ヤコブが逃亡した際に、ヤコブを心配したリベカが乳母に後を追わせたのか、それとも、ヤコブがハランから戻った際に、イサクのもとから移住したのか、ともあれ、何らかの事情があって同居するようになったのです。彼女が、ヤコブの家で敬愛されていたことは、彼女が葬られた樫の木が、アロン・バクト(嘆きの樫の木)と呼ばれたことからも分かります。

 デボラという名前については、士師記に登場する女預言者デボラが、ベテル近辺で活動していたことと関係があるのかもしれません。

 

 ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。(士師記4章4~5節)

 

 デボラのなつめやしの木と、リベカの乳母の嘆きの樫の木が長い年月の間に混同され、女預言者デボラの名前が乳母の名前として用いられる様になったと考える者もおります。

 生まれたときから自分を愛してくれた乳母の死は、人生の絶頂を迎えていたヤコブに離別の悲しみを味わわせ、やがて来るラケルの死への伏線となっています。このデボラの死を契機として、ヤコブの物語は、悲哀に満ちた後半生へと移っていきます。

 

 9ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。10神は彼に言われた。

 「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」

 神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。

 11神は、また彼に言われた。

 「わたしは全能の神である。

 産めよ、増えよ。

 あなたから

   一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり

 あなたの腰から王たちが出る。

 12わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を

 あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」

 13神はヤコブと語られた場所を離れて昇って行かれた。14ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。15そしてヤコブは、神が自分と語られた場所をベテルと名付けた。(35章9~15節)

 

 9節から15節にかけての記事は、1~8節とはスムーズにつながりません。パダン・アラムとは、ヤコブが20年余りを過ごしたハランの一帯を指す地名ですが、それを導入として始まるこの記事は、1~8節までの部分とは別個の記事が編集されたものと容易に想像が付きます。資料説の立場では、1~8節の大部分はE資料、9~15節の大部分はP資料として区別されています。多分、15節にベテルの地名の由来が説明されているため、ヤコブがベテルに移動したことを記す1~8節の後に置かれたものと思われます。

 1~8節を前提として9~15節を読んだ場合には、ヤコブが異国の神々を取り除き、主を礼拝する祭壇を築いたことへの応答として、主なる神が現れたと理解できます。28章での出会いは、怖れと不信に苛まれているヤコブにアブラハム、イサクと結んだ約束を更新し、励ましを与えるものでありました。ここでは、カナンの地に連れ帰ってくれた神に感謝するヤコブを、祝福する神として登場しています。

 神は、ヤコブに対して二つのことを告げます。

 一つは、「ヤコブはイスラエルと改名する」ということです。

 ヤコブが「イスラエル」という改名するように告げられたのは、ペヌエルで神と格闘した際でした(32章28~29節)。そうした記事がなかったかのようにして、ここで改名が告げられるのはどうしてでしょうか?

 こうした場合には、元になる資料が異なると考えるのが説明として説得力を持ちます。資料説の立場では、32章28~29節はJ資料、35章10節はP資料であり、元になる資料が違うために、改名の宣言が二重になってしまったと説明することになります。

 それでは、単なる無意味な繰り返しに過ぎないのかといえば、各々に独自の意味を読み取ることが出来ます。矢内原忠雄先生は、この点について次のように述べています。

 

 ヤコブが「イスラエル」といふ名を貰ったのは、Jの資料によればヤボクにて(32章28節)、Pによればベテルに於てである(35章10節)。ヤボクは、ヤコブの自我が挫かれて神への絶対信仰が始まったときであり、ベテルは彼がその信仰を以て正式に神を祭り、帰還の報告を為した時である。ヤコブが「イスラエル」となった自覚は、ヤボクに始まり、ベテルにおいて確立したのであらう。即ち、ヤボクに於いては、それは彼一人の秘かなる個人的経験であり、ベテルにては、それが公的に確認されたものと考へて差し支えないであらう。(「聖書講義Ⅴ 創世記」P187 岩波書店)

 

 神がヤコブに告げた二つ目の事柄は、土地と子孫の約束の更新でした。

 35章11~12節で述べられている約束の内容は、17章4~8節をコンパクトにまとめたものと考えて良いでしょう。前半が子孫の繁栄であり、後半が土地の所有であるという構成も良く似ています。

 アブラハムが17章でこの約束の言葉を受けたとき、彼には子どもがおりませんでしたし、まだ少しの土地すらも所有してはおりませんでした。一方、ヤコブは、12人の男子と4人の妻を抱え、その他にも大勢の家の者を従えた一族の長となり、争えば、一つの町を滅ぼすだけの勢力を持つに至っていたのです。既に土地も手に入れておりますので、神の約束の言葉は、具体性と信憑性の度合を強めつつヤコブに臨んだ筈です。

 宗教改革によって、主なる神への信仰を純化させ、祭壇を築いて礼拝を行ったヤコブとその一族は、神から新しい名イスラエルで呼ばれ、主なる神への信仰を中核とする霊的な共同体として、その歩みを始めたと考えることが出来ると思われます。この霊的な共同体に対して、父祖たちと結んだ契約の更新が宣言されたと読むべきではないでしょうか。

 13節から15節までで興味深いことは、「神がヤコブと語られた場所」といった表現が三回も繰り返されることです。この繰り返しによって、神がヤコブに直々に語りかけたことが強調されていますが、その背後には、伝承の核となるような神体験があったものと推察されます。

 

 16一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるときに、ラケルが産気づいたが、難産であった。17ラケルが産みの苦しみをしているとき、助産婦は彼女に、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言った。18ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。

 19ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。20ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てた。それは、ラケルの葬りの碑として今でも残っている。21イスラエルは更に旅を続け、ミグダル・エデルを過ぎた所に天幕を張った。22イスラエルがそこに滞在していたとき、ルベンは父の側女ビルハのところへ入って寝た。このことはイスラエルの耳にも入った。(35章16~22節)

 

 乳母デボラの死がラケルの死の伏線となったということを、先ほど申しましたが、宗教改革運動を成功させ、新たに築いたベテルの祭壇で神体験をしたヤコブは、この人生の絶頂の時期に愛する者との死別の悲しみを味わい、また、長子ルベンによって別の苦しみを味わわされ、悲哀に満ちた後半生へと移っていきます。

 さて、ベテルでの滞在は、永住的なものではなかったらしく、ヤコブの一行はそこを去ってヘブロンに向かいます。ラケルが産気づいたエフラタは「穀物の実り豊かな地域」という意味で、創世記ではベツレヘムの古名とされています(19節)。ベツレヘムは、エルサレムの南方に位置する町ですが、エフラタの位置は、エルサレムの北方にあったラマの近辺(ベニヤミン族の領地)であるとも言われており、何らかの誤解、或いは事情があったものと思われます。

 ラケルは難産で苦しみ、出産後に息を引き取りますが、苦しい息の下から「ベン・オニ(私の苦しみの子)」と名付けて事切れます。ヤコブは、この子をベン・オニとは呼ばず、ベニヤミンと名付けますが、それは直訳すれば「右手の子」という意味であり、右手が力を象徴することから「幸いの子」と意訳されている訳です。

 ヤコブは、エフラタにラケルを葬り、そこに石の柱を立てて記念碑としました。

 愛妻ラケルの死は、ヤコブにとっては大きな衝撃であった筈ですが、創世記はヤコブの受けたショックについて、何も記していません。アブラハムの場合には、「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。(23章2節)」と、サラを失った悲しみを率直に記しているのに、ヤコブの場合には、淡々とベニヤミンの命名とラケルの葬りについて記すだけです。悲しみと衝撃の余り、涙も出なかったということでしょうか。

 もっとも、死を目前としたヤコブは、自分の生涯を振り返りながら、次のように語っています。

 

 わたしはパダンから帰る途中、ラケルに死なれてしまった。あれはカナン地方で、エフラタまで行くには、まだかなりの道のりがある途中でのことだった。わたしは、ラケルを、エフラト、つまり今のベツレヘムへ向かう道のほとりに葬った。(48章7節)

 

 人生の最期の時まで、ヤコブがラケルの死を悲しんでいたことが分かります。時の経過が癒すことの出来ない悲しみを抱えつつ、ヤコブは、数十年に渡る後半生を過ごさなければならなかったのです。彼の人生の絶頂の時は短く、労苦と悲哀が占める部分は大きかったのでしょう。

 ヤコブは、次のようにも告白しています。

 

 ヤコブはファラオに答えた。「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」(47章9節)

 

 彼の労苦を増したのは、実は彼の身近にいた者たちかもしれません。叔父ラバンのもとで味わった労苦がありました。ラケルとレアの間に挟まれて味わった労苦もあったことでしょう。また、イメオンとレビによるシケムでの殺戮はヤコブの胆を潰す事件でした。しかし、ヤコブにとって更に衝撃的だったのは、長子ルベンによってビルハが犯されたことでした。

 ルベンはレアの息子ですから直接の血の繋がりこそないものの、父の妻であるビルハは、ルベンにとっても義理の母に当たります。それを犯した訳ですから、これは一種の近親相姦に当たります。また、ビルハはラケルの召使でもありましたから、ラケル亡き今、ラケルの分身のごときビルハを犯されたことで、ヤコブの憤りは大きなものであったと思われます。

 ルベンの行為は、勿論、性道徳の腐敗として考えることが出来ますが、多分、それ以上の意味を持っていたと思われます。サムエル記下16章には、次のような記事があります。

 

 アブサロムはアヒトフェルに、「どのようにすべきか、お前たちで策を練ってくれ」と命じた。アヒトフェルはアブサロムに言った。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう。」アブサロムのために屋上に天幕が張られ、全イスラエルの注目の中で、アブサロムは父の側女たちのところに入った。そのころ、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていた。ダビデにとっても、アブサロムにとっても、アヒトフェルの提案はそのようなものであった。

                 (サムエル記下16章20~23節)

 

 ここで、アブサロムは、政治的な意図を持って父王の側女を犯します。父親の側女を寝取るということが、父親から権力を奪い、父親が無力な存在であることを宣言することに他ならないからです。ルベンの場合にも、父ヤコブとの間に何らかの確執があり、両者の権力闘争が行われていたのではないかと思われます。実際、ルベンは、この事件がもとで、長子としての権利を剥奪されてしまいます(49章4節)。

 

 ルベンよ、お前はわたしの長子

 わたしの勢い、命の力の初穂。

 気位が高く、力も強い。

 お前は水のように奔放で

 長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。

 あのとき、わたしの寝台に上り

 それを汚した。                (49章3~4節)

 

 ヤコブの後半生は、愛する者との死別があり、また、血を分けた息子との争いがあり、安らかな日々とはほど遠い生活でした。兄エサウを騙し、父イサクを欺き、家族の間にくさびを打ち込んだヤコブは、神の一方的な選びによって信仰の父祖となりますが、今度は、逆に子供たちによって辛苦をなめることになるのです。

 最後に、矢内原先生の文章を引用して、本日の結びの言葉に代えさせていただきます。

 

 ヤコブは、ヤボクの渡で回心を経験し、神に祝福せられる者となった。併しながら、人は回心して信仰の祝福を受けたればとて、その性格が忽ち一変して聖人君子となるものではなく、又必ずしも家庭や境遇の幸福を受けない。回心前のヤコブは他人の為に苦しめられた。回心後のヤコブは、己が子らの為に泣かされた。前にはデナ、シメオン、レビの過失あり、今又ルベンの悪行があって、子供の為に彼の苦労は絶えなかったのである。加ふるにデボラ死に、ラケルも死んで、死別の悲哀が彼の家庭を襲った。之らすべての事件に会って、ヤコブは多く語らず、或ひは全く語らない(34章5節、35章22節参照)。彼は沈黙の中にひとり泣き、憤り、祈ったのであらう。巧智術策のヤコブは失せて、今は全き忍耐と信仰のヤコブとなったのである。彼は呟かずしてすべての人生の苦難に堪へ、神の約束を信じて動かなかった。この不動の信仰こそヤコブに与へられた最大の祝福であり、この信仰によって彼は多くの国民の父となったのである。

(「聖書講義Ⅴ 創世記」P190 岩波書店)

 

 

<今回の参考書>

 

「創世記」(関根正雄訳 岩波文庫)/「創世記」(月本昭男訳 岩波書店)/「ヘブライ語聖書対訳シリーズ 創世記Ⅱ」(ミルトス)/「創世記講義」(政池仁著 聖書の日本社)/「現代聖書注解 創世記」(ブルッグマン著 日本基督教団出版局)/「ケンブリッジ旧約聖書注解 創世記」(デヴィッドソン著 新教出版社)/「新聖書注解 旧約Ⅰ」(いのちのことば社)