「ヘブライ人への手紙」第8回(萩野谷興)

「レビ系の祭司制度がありながら、メルキゼデクのような別の大祭司を立てると、詩篇に預言されているのは、どうしてなのか?」と。福音書の系図が示す通り、イエスがユダ族の出身であることは、誰もが知っていることでした。律法によれば、レビ族以外の者が祭司職を行うことは、違反とされました。しかし、レビ系の祭司制度では、私たちを神と和解させる点で無効です。律法に基づかずに大祭司となって、アブラハムを祝福したメルキゼデクのように、神によって直接立てられたイエス・キリストが、新しい大祭司として、私たちを神と和解させる希望をもたらすのです。この祭司職の変更は、祭司を通して与えられた律法の変更を意味します。それは、キリストの贖罪による救いであって、福音の約束です。この福音の約束が、神の誓いによって、一層確実なものとされているのです。新しい大祭司イエス・キリストは、日々いけにえをささげ続ける人間の祭司とは違って、ただ一度だけご自分をささげて贖いを完成させました。そして、永遠の存在であり、いつでも、どこでも私たちを救うことが出来ます。この新しい大祭司の優越性を、しっかり噛み締めたいと思います。