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感話会/「バプテスマのヨハネについて」(星野光利)

イエスのように神の国の接近は説かなかったのだろうと考えられ、この点に二人の違いがあります。イエスが、バプテスマのヨハネのグループから出たということは、人々に知られており、イエスの弟子たちも、バプテスマのヨハネのことを常に意識していたと思われます。そして、ヨハネのことを預言者だとする見方が、次第に確立して行ったのではないでしょうか。

 ここで、2つ目の疑問が出て来ます。それは、バプテスマのヨハネは預言者だとされていますが、旧約聖書の預言者とバプテスマのヨハネは、どのような関係にあるのかということです。

 旧約聖書の預言書の時代的な変遷を整理しておきましょう。「第1神殿時代」(紀元前10世紀~前6世紀)→「「バビロニア捕囚時代」(紀元前598~紀元前539)→「ペルシャ時代」(紀元前539~紀元前332年)→「ヘレニズム時代」(紀元前332~紀元前152)→「ユダヤ独立時代」(紀元前163~紀元前63)→「ローマ時代」(紀元前63~)→「バプテスマのヨハネの時代」の7つに区分できます。

 「第1神殿時代」には、神はエルサレムの神殿に住むと考えられました。エリヤ、エリシャ、ホセア、アモス、イザヤらの時代です。「バビロニア捕囚時代」には、神殿が失われ、神がエルサレムに住むとは期待できなくなりました。エレミヤ、エゼキエル、第2イザヤらが、慰めと希望を語った時代です。「ペルシャ時代」は、捕囚民が帰還して、神殿の再建を行った時代です。ハガイ、ゼカリヤ、エズラ、ネヘミヤが活躍しました。「ヘレニズム時代」には、ギリシャ文化が浸透して、政治的・社会的に混乱が生じ、ダニエル書のような黙示文学が登場しました。「ユダヤ独立時代」には、ヘレニズム文化に対する反動から、律法を重視するファリサイ派やエッセネ派が台頭しました。そして、「ローマ時代」を経て「バプテスマのヨハネの時代」に、エッセネ派と思われるクムラン宗団からバプテスマのヨハネが登場します。

 黙示思想下に立つバプテスマのヨハネの姿が差し示すものは、バビロン捕囚以前の預言者が期待した、この世的・政治的なメシヤではなく、新しい神の時(アイオーン)を来たらせる審判をもたらす終末的なメシヤでした。ヨハネから洗礼を受けたイエスも、この黙示的終末論のメシヤを期待するヨハネの考えの影響を受けたと思われます。

 最後に、バプテスマのヨハネが授けた洗礼の意味は、どのようなものだったかという疑問を考えたいと思います。

 バプテスマのヨハネの授けた洗礼には、「水の中に沈めて、溺れさせる」「溺れて死ぬ」という意味があり、更に、終末を意識した「罪の悔い改め」が前面に押し出されています。洗礼を、単なる浄めの沐浴ではなく、生涯に一度だけ受けるものとしたのです。これは、罪の贖いが神殿での祭儀と結びついたユダヤ教の伝統の中では、大きなインパクトを持っていました。一方、イエスは、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けましたが、ご自分では、それを授けることがありませんでした。すでに到来している「神の支配」の恵みの中では、もはや必要がないと確信していたからだと思われます。

 以上で、本日の私の話を終わります。