「ガラテヤ書の学び」第8回(松本智昌)

ここで主なる神を、私たちに財産を相続させようとする「父親」に譬え、私たちを、財産を相続する未成年の「相続人」に譬え、そして、律法を、成人するまで(つまり、主イエス・キリストへと)私たちを養育する「管理人・後見人」に譬えているのです。私たちは、そのままでは神の子とはなれません。成人として、私たちはキリストを信じることにより、義人となろうと努めずに、義を行いうるものとなるのです。