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感話会/「証し」

親しみが持てるようになりました。
 ある時、雨漏りがするというので、私と息子とで、M姉のご自宅の屋根を修理したことを覚えています。土瓦の屋根をトタン屋根に直す作業です。そうしましたら、雨漏り用のタライが幾つも、幾つも出て来たので、思わず笑ってしまいました。

 M姉が、ある日、つぶやいてこう言いました。「劣等感に苦しんでいる。」

 私の心のやみを照らす一言でした。M姉が劣等感に苦しんでいたなんて想像もしていなかった無知。彼女の弱さの上にあぐらをかいていたかのような己の傲慢。今も私の心に残る、刻まれた一言です。
 M姉が亡くなられたのは、ステージ4のすい臓がんが原因です。発見されてから1ヶ月、入院されてから5日目で天に召されました。
 このM姉のことを思う時、昇地三郎さんのことが思い出されます。昇地三郎さんは、福岡県にある、しいのみ学園という障害児施設を創設された方です。障害のあるお子さんが生まれたのですが、第2時世界大戦が終わって間がない時代でしたので、お子さんたちのことで医者を訪ねても埒があかず、それならば自分で作ってしまおうと施設を創設されたのです。

 ある日、長男の有道さんが「名刺を作ってください」と園長に言ってきました。肩書きは「しいのみ学園 小使」でした。車椅子に乗って学園の鐘を鳴らすのが、その務めでした。

 この方には、コスモスを詠った有名な短歌があります。

 

小さきは小さきままに

   折れたるは折れたるままに

      コスモスの咲く

 

 

 この短歌を読むと、障害をお持ちになりながら生きてこられたM姉の姿と重なって来るのです。」