「ガラテヤ書の学び」第11回(松本智昌)

 あえて言えば、私たちは信仰を持つ前でも後でも罪人であることには変わりがありません。しかし、キリストイエスにある者は罪を許された罪人であり、罪の奴隷から解放されたイエスキリストにあって生きる者とされた罪人なのです。

 だから私たちは、自分の力や誇りに生きるのではなく、 霊の導きを祈り求めつつ生きようではないかとパウロは云っているのです。その時私たちは罪深い者でありながら霊の実を結ぶ者となります。


「ガラテヤ書の学び」第11回の概要を、自動読み上げソフトによる音声で聞くことができます。細かな字が読みづらい方は、お試しください。少々ぎこちない音声で、申し訳ありません。