「イザヤ書を学ぶ」第12回(鬼沢力男)

偶像崇拝と妥協してエホバの神を捨てる者も少なくありませんでした。バビロン捕囚は、イスラエル民族の信仰にとって大きな逆境だったと言えるでしょう。イスラエル民族には、神に選ばれた民であるという選民思想がありました。逆境にあっても、選民である自分たちを、神が助けてくれるという思想です。それが、この捕囚期に崩れてしまったのです。
 一方、祈りを信仰生活の中心とする生活の中で、霊的な純粋性が深められ、自覚的な信仰を持つ者も現れます。エホバの神が、イスラエルをバビロンという練り釜に入れて練り直されたのが、バビロン捕囚でしたが、それに気がつく者は少数でした。神は、ペルシア王キュロスを選んでイスラエルを解放し、帰還させますが、帰還に応じたのは、この少数の者たちでした。
 本日取り上げる第3イザヤは、エルサレムに帰還したイスラエルに対する預言です。61章1~3節に記されているように、預言者に対して主なる神の霊が臨み、油を注いで、福音を宣べ伝えることを委ねます。この箇所は、イエスがガリラヤ伝道を始める際に読まれ、「この聖書の言葉は、今日実現した」と述べられた箇所です(参照 ルカによる福音書4章16節~21節)。
 帰還後のエルサレムの状況を理解するためには、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記が参考資料となります。
 エズラ記によれば、紀元前538年にキュロス王の勅令が発布されて、捕囚民の帰還が認められ、奨励されました。その結果、4万2千人あまりの帰還が実現しました。そして、その翌年には、神殿の再建に着手しますが、サマリヤ人の妨害によって工事が中断してしまいます。紀元前520年になって、ダリヨス王の時代に、キュロス王の勅令が確認され、神殿の再建が認められました。神殿が完成したのは、紀元前515年です。
 バビロン捕囚の時期には、豊かな人々はバビロンに連れ去られ、貧しい人々がエルサレムに残りました。残った人々は、信仰生活の中心となる神殿を失う中で、他民族との雑婚を行い、他民族の風習とともに宗教が入り込んできていました。エズラは、こうした状況を嘆き、律法に基づいた処置として、雑婚を破棄させ、異教徒の妻と絶縁をさせました。雑婚の問題の徹底的な解決なくしては、エズラの宗教改革は表面的なものに終わってしまうからです。
 キリスト者の信仰生活においても、罪や汚れなど、一切の悪からの徹底的な分離こそ、勝利の信仰生活を続ける秘訣です。神は今もこう語っておられます。「わが民よ、この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです」(ATD)
 エズラに続いて、ペルシア帝国の献酌官であったネヘミヤが帰国し、短期間のうちに、エルサレムの城壁を再建させました。
 エズラ、ネヘミヤの行った宗教改革で重要な位置を占めるものは、律法の書であり、人々は律法の書を朗読しては祈りを捧げました。
 第3イザヤの預言は、こうしたエルサレム帰還後の人々に向けて語られたものです。神殿は再建され、城壁も築かれましたが、希望を失っていた民に語りかけた預言です。その中心は、救済の約束でした。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光は、あなたの上に輝く(60章1節)」と、神はイスラエルに語りかけたのです。


「イザヤ書を学ぶ」第12回の概要を、自動読み上げソフトによる音声で聞くことができます。細かな字が読みづらい方は、お試しください。少々ぎこちない音声で、申し訳ありません。