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感話会「N牧師の葬儀に参列して」(菊池京子)

 葬儀の際に紹介されたN牧師の略歴をご紹介します。1940年3月に栃木県で生まれたことになっていますが、実際に生まれたのは、1月だったそうです。1952年に栃木県で小学校を卒業し、父親の意向で働くことになられたようです。その後、静岡県に転居され、18歳の頃に信仰に導かれました。27歳の頃に、定時制高校に入学され、卒業後に東京神学大学に入学されました。大学院修士課程を卒業後、阿佐ヶ谷教会に赴任。その後、現在の教会の牧師として赴任されました。1983年に、ストレスの中で糖尿病にかかられ、それからは、ずっと病気との戦いが続きました。
 2000年頃から、伝道のビジョンを描く様になられました。ビジョンをテレビに映そうとするが、うまくいかないという夢をご覧になり、教会を建てるというビジョンを描いて、実行する様になられました。そして、近隣の市で開拓伝道を始め、伝道所を建てられました。
 2005年ごろから、週3回の人工透析を受けるようになりましたが、1回の透析を受けると、フルマラソンを走ったのと同じくらい疲れるそうです。こうして、入退院を繰り返しながら、伝道に取り組んでこられましたが、昨年、転倒して足を骨折し、骨折した部分が接合しない状態になってしまいました。年末に、要介護の状態で退院され、1月に使徒言行録9章32~43節に基づく説教をなさいました。とても感動的な説教だったそうです。1月8日の午後8時に亡くなられ、急性心筋梗塞という診断でした。ご遺体は、翌日、献体のために医大に搬送されました。1月13日のご葬儀には、200名近い方々が参列し、N牧師との別れを惜しみました。
 N牧師は、これまでに3名の牧師を世に送り出されました。一人はすでに引退され、二人は、昨年11月、按手礼を受けられました。N牧師は、厳しい健康状態でしたが、ご家族が、車椅子で乗れる車を購入し、奥様の運転で埼玉県まで出向いて、按手礼に参加されたそうです。按手礼を受けられた若い牧師は、N牧師追悼特集の中で、「N先生は、早く天国に行きたかったでしょうに、自分が按手を受けるまで、この世で頑張って下さった。本当に感謝しています。」と述べられました。
 N牧師は、病気と闘い、十数年間も人工透析を続けながら、二つの教会を建て、3名の牧師を育てて、忍耐強く伝道をなさいました。亡くなられてとても残念です。
 出席者からは、菊池姉の報告に対して様々な思いが述べられましたが、故大森孝夫兄が、「結婚式に出席するよりも、葬儀に出席した方が学びになります」と話していたことに触れた方が、数名おりました。N牧師の信仰者としての生き様に、心が打たれたためでしょうか。
 私たちは、神様に立てられた伝道者が、ご自身の葬儀を通して示された証しを、尊いものとして受け止めたいと思います。N牧師のご冥福とご遺族への慰めを心からお祈り申し上げます。