「イエスの復活 第2回 さわって、よく見なさい」(小山哲司)

 イエスの弟子達は、生前のイエスが、自分は殺されて、三日目に甦ると教えておられたことを、全く理解していませんでした。しかし、これとは反対に、祭司長や長老、パリサイ派の人々は、イエスの教えを覚えており、いずれ弟子達が、イエスの復活を言い始めるだろうと予想していました。そのため、先手を打って、ピラトに要請し、弟子達によって亡骸が盗まれないように、イエスの墓は大きな石で封印され、番兵が置かれたのです。ユダヤ教の指導者たちは、ローマの為政者と連携して、イエスの復活信仰を阻止するために、強力な態勢で臨みました(マタイによる福音書27章62節~66節)。

 マタイによれば、十字架上でイエスが亡くなられた翌々日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、イエスの墓を見に行ったところ、大きな地震が起こって、墓の入り口を塞いでいた石が傍に転がり、中に入ることが出来ました。これは、雪のように白い衣を着た天使によってなされたことで、見張りの番兵たちも、その有様を目撃したと記されています。墓の中には、イエスの亡骸はなく、マリア達は、天使によって、イエスが復活されたと告げ知らされます(28章1節~10節)。

 番兵は、すぐさまエルサレムに帰り、事の次第を祭司長たちに報告します。祭司長と長老たちは、対応策を協議し、「夜中に、イエスの弟子たちが亡骸を盗んで行った」ということにし、口裏合わせのために、番兵たちに多額の金を与えました(28章11節~15節)。

 こうして、イエスの亡骸は、弟子たちによって盗み出されたことにされました。やがて、イエスの弟子たちは、公然とイエスの復活を証ししますが、ユダヤ教の指導者は、弟子たちによる作り話だとして、これを否定します。

 4つの福音書は、揃って、この作り話説に反論しています。週の初めの日の明け方、最初に墓に出向いたのは、マグダラのマリアたち女性であったのです。番兵が見ている前で、女性たちに石を取り除けることができる筈はありません。番兵が見守り、大きな石で封印されている墓から、亡骸が消えてしまったというのは、正にミステリーでした。

 さて、マリアたちは弟子たちのもとに戻り、イエスの亡骸が消え、天使からイエスの復活を告げ知らされたと報告します。その日の午後、その場に居合わせた二人の弟子が、エルサレムからエマオという村に向かって歩き始めました。弟子の一人は、クレオパといいました。エマオの正確な場所は分かりませんが、エルサレムから11キロほど離れた村でした。

 二人の弟子は、歩きながら話をしました。話題は、勿論、イエスの十字架と、イエスの亡骸が消えてしまった事です。すると、彼らの後ろから、見知らぬ男が仲間に加わりました。見知らぬ男は、弟子たちが話し合っている話題を尋ねて説明を受けると、「ああ、愚かな者たち」と叱るような口調で語り始めます。

 彼は、旧約聖書を引用しながら、キリストが受けるべき苦難と栄光を解き明かします。旧約聖書の何処を引用したかは書かれておりませんが、キリストの苦難としては、イザヤ書の53章、世を統べ治める王としての栄光については、詩篇の2篇などが引用されたのかもしれません。見知らぬ男の解き明かしを聞くうちに、二人の弟子の心は、熱く燃えていきました。

 やがて、日が暮れ始めた頃、エマオまで辿り着いたので、二人の弟子は、見知らぬ男に一緒に泊まるように勧めて、家に入りました。食事の時間となり、三人が食卓に着くと、見知らぬ男が、食卓のパンを取って神をほめたたえ、パンを裂いて二人の弟子に渡しました。二人の弟子は、その様子を見て、何処かで見た光景であることに気がつきます。それは、ガリラヤ湖畔のベツサイダでの光景でした。五千人の人々に、五つのパンと二匹の魚が配られた時、配った方がパンを裂いた手つき。また、つい数日前、過越の晩の食事の際に、パンを裂いて弟子たちに配られた手つきでした。その時、二人の弟子の目に、見知らぬ男の姿が、はっきりとイエスの輪郭を取って飛び込んできたのです。驚いた二人が、声をかけようとした瞬間、イエスの姿は、そこにありませんでした。

 既に日は暮れていましたが、二人は立ち上がり、夜道をエルサレムに急ぎました。仲間に、イエスの復活を知らせるためです。

 数時間かけてエルサレムに着くと、十一人の弟子と、その他の仲間たちが集まり、イエスの復活について話し合っていました。イエスが、ペテロに姿を現されたというのです。

 エマオから戻った二人が、自分たちの体験を話していると、突然、彼らの中心にイエスが立ち、「平安があなたがたにあるように」と言葉をかけます。ところが、弟子たちは、怯えて震え上がり、幽霊を見ているのだと思います。

 ここで、幽霊を見ていると言いましたが、イエスの復活を否定して、弟子たちが見たのは、復活したイエスではなく、イエスの幽霊だったと説明する立場があります。幽霊というよりは、霊といった方が良いかもしれません。この立場では、十字架に架かる前のイエスも、本当の意味での肉体は持っていなかったとします。神聖な神が、汚れた肉体を持つことは、あり得ないと考えるからです。

 これに対して、福音書は、イエスは、「聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれた」として、神でありながら、完全な人としての肉体を持っていたと主張します。そして、復活後のイエスも、具体的な体を持って復活したとするのです。ただ、二人の弟子の前から、忽然と消えてしまったり、厳重に戸締りがしてある部屋の真ん中に突然現れたりするように、通常の肉体ではありません。パウロは、「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです(コリント人への第一の手紙 15章44章)。」と言い表しています。

 怯えている弟子たちに向かってイエスは、言います。「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」と。

 イエスが見せられた手と足には、十字架に打ち付けられた時の傷跡がありました。それでも、弟子たちが、まだ不可解な表情を浮かべているのをご覧になって、イエスは、焼き魚を食べてみせます。体を持たない霊ならば、物を食べることなど、あり得ないからです。

 ルカは、弟子たちは、イエスによって心の目が開かれて復活を受け入れ、イエスの祝福を受けて、礼拝したと記しています。イエスは、簡単には信じようとしない弟子たちに、ご自分の体を晒し、強烈な甦りのリアリティーを与えられたのです。弟子たちの信仰は、この復活の事実に基づいています。明け方に、亡骸のない墓を見てから、深夜に至るまでの、復活の日一日の出来事でした。

 ところで、ルカは、福音書の続編ともいうべき使徒言行録では、これとは少し違った説明をしています。

「イエスは、苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示され、四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた」(使徒言行録1章3節)のです。

 ここで四十という数字が使われています。旧約聖書で四十という数字は、モーセに率いられたイスラエルが、エジプトを脱出した後、荒野で過ごした年月を表す数です。また、新約聖書では、イエスが荒野でサタンの試みにあわれた時の日数でもあります。四十という数字は、試みや訓練を象徴する数字だと言えます。

 復活後のイエスが、四十日にわたって使徒たちに現れたということは、モーセがイスラエルに十戒を示して、彼らを訓練したように、新しい戒めを与えて、使徒たちを訓練したという意味が込められています。

 では、それは、どのようなものだったのでしょうか?それは、イエスの十字架による罪の贖いと復活を信じた者は、神の子とされて神の国の市民となり、イエスが山上の垂訓で示されたような愛の戒めに則って、互いに愛し合うということだったと思います。

 この後、彼らの上に聖霊が下り、聖霊に導かれるままに、彼らは、諸々の国々へ福音を携えて足を踏み出して行くのです。

 

 以上で、本日の私の話を終わります。