「イエスの復活 第3回 わたしを愛していますか」(小山哲司)

イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに言います。あなたは、若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところへ連れて行きます。」イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい」(新改訳)

 

 ヨハネによる福音書では、復活後のイエスは、その日に、まず、マグダラのマリアに現れ、続いて、その日の夕方に、トマス以外の弟子たちに現れました。そして、その一週間後には、イエスの復活を信じようとしないトマスの前にも姿を現され、手と脇腹の傷を見せながら、トマスの疑いを解かれます。トマスは、傷跡に手を差し入れることなく、イエスの呼びかけに応えて、イエスを「わたしの主、わたしの神よ」と告白します。もっとも疑い深かった弟子であるトマスも、イエスの復活を信じ、神であると信仰告白を行ったことで、ヨハネの記す復活の物語は、区切りが付けられます。

 本日取り上げる21章では、場所がエルサレムからガリラヤに移されています。ルカによる福音書は、復活されたイエスは、エルサレム周辺でしか姿を現しません。しかし、マタイ、マルコでは、イエスは、自分の十字架と復活について預言した際に、「わたしは復活した後、あなた方よりも先にガリラヤに行く」と語り、墓にいた天使も、「あなた方よりも先にガリラヤに行かれます」「そこでお会いできます」と告げ知らせています。そして、マタイは、弟子たちは、ガリラヤに行って、山の上でイエスを礼拝したと記しています。

 イエスの預言や天使の告知に従って、弟子たちは、イエスの復活後に、エルサレムからガリラヤに移動したのだと思います。イエスが処刑された直後のエルサレムは緊迫しており、弟子たちの身に危険が及ぶことが考えられました。そうした点からも、弟子たちをガリラヤに移動させる理由はあったのです。

 ガリラヤに戻った弟子たちは、ペテロの誘いに乗って、ティベリア湖に漁に出かけます。ペテロは、イエスに付き従う前は漁師をしており、ヨハネやヤコブも漁師仲間でした。魚が取れる時間帯も、場所も、彼らは良く知っていました。

 ところが、夜通し漁を続けても、何も獲れません。明け方近くになった頃、湖畔に人影が見えました。その人影が「獲物はあるのか」と呼びかけるので、「ありません」と答えると、「船の右側に網を打ちなさい」とアドバイスが返って来ます。船からは見えない魚影が、岸辺からは見えることがあるので、その言葉通りに網を打つと、おびただしい数の魚がかかりました。ティベリア湖は、魚が豊富な湖ですが、特に良く獲れるのは、ティラピアです。育つと、大きさが50センチを超えるサイズになる魚ですが、そうした大きな魚が153匹も網にかかったと記されています。

 岸辺に立つ人影がイエスであることに気づいたのは、ヨハネでした。彼が「あの人影は、主だ」と言ったのを聞くと、ペテロは裸に近い状態だったので、上着を着て湖に飛び込み、岸辺に向かって泳ぎ始めます。当時は、人に挨拶をする時は、服を着ていなければならないとされていました。イエスの前に、裸同然で現れるわけにはいかないと思ったのです。

 岸辺に着くと、イエスは、炭火を起こして魚を焼き、パンを用意して待っていました。弟子たちが獲った魚も焼いて、朝食を食べるように勧めます。イエスを中心にして、弟子たちが座り、イエスが配られたパンと魚を受け取って、朝食が始まりました。最初に気がついたのはヨハネでしたが、他の弟子たちも、パンと魚を配っている人が、イエスであることが分かっていました。復活したイエスが、男の弟子たちに姿を現したのは、これが3回目、マグダラのマリアから数えれば、4回目になります。

 イエスは、最初に姿を現した時は、恐れ慄き、信じようとしない弟子たちに、自分が復活したことを信じさせようとしていましたが、ガリラヤでは、弟子たちとの関わり方が変わって来ています。

 湖での漁という日常生活の場面が選ばれ、イエスが朝食の用意をして弟子たちに振る舞うことで、復活のイエスと弟子たちの関係が深まったことが示されています。福音書では、重要な場面で、イエスは、食事を振る舞う主人として描かれています。

 食事が終わったとき、イエスは、シモン・ペテロに言われます。「ヨハネの子、シモン、あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか?」と。

 舞台のスポットライトは、イエスとペテロの2人に当てられ、他の弟子たちは、暗くなった舞台で、2人の背後に沈みます。

 ペテロは、イエスの呼びかけを聞いて、心が騒ぎました。イエスは、ペテロに対して「ヨハネの子、シモン」と呼びかけたのです。ペテロは、初めてイエスに出会ったとき、イエスから「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます」と言われたのです(ペテロとは岩という意味)。それ以来、イエスは、ペテロと呼んで来ました。それが、「ヨハネの子、シモン」に戻ってしまったのです。

 更に、「この人たちがわたしを愛する以上に、わたしを愛していますか?」という問いが、ペテロを悩ませました。

 ペテロは、衝動的に話したり、行動したりするところがありました。かつて、イエスと一緒に高い山に登ったときのことです。イエスの姿が変わり、そこにエリヤとモーセが現れたとき、それを見たペテロは、「幕屋を三つ作りましょう」と言いましたが、マルコは、「ペテロは何を言ったら良いのか分からなかった」と記しています(マルコ9章2~8節)。良く考えずにものを言い、先ほどのティベリア湖での漁の場面のように、咄嗟に上着を着たまま湖に飛び込んだりもするのです。

 イエスが祭司長たちによって捕らえられる前にも、そのようなことがありました。イエスがご自分の死と復活を預言し、弟子たちに「あなたがたは、皆つまずきます」と語ったときのことでした。ペテロは、「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません」と、きっぱりと言ったのです。イエスが、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と告げても、「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と言い張ったのです(マルコ14章27~31節)。しかし、イエスの預言通り、ペテロは、イエスを三度否みました。

 ペテロは、イエスの問いかけを聞いたとき、この時のことが思い出されました。ペテロが三度否んだ時、捕えられたイエスが振り向いてペテロを見つめられた、その眼差しを。そして、イエスに見つめられ、我に帰った自分が、激しく泣いたことを(ルカ22章61~62節)。

 「この人たちがわたしを愛する以上に、わたしを愛していますか?」と問われたとき、ペテロは、即答しませんでした。出来なかったのです。 他の弟子たちが、息を凝らしてじっと見つめる中で、沈黙が続きました。

 「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」これが、ペテロの答えでした。自分の弱さ、罪深さを全て承知しているイエスの前で、自分の愛を誇らしげに語ることは、もはやペテロには出来ません。イエスに委ねつつ答えるしかありませんでした。イエスを否んだ体験によって、ペテロは打ち砕かれたのだと思います。

 「わたしの子羊を飼いなさい」と、イエスは、ペテロに命じました。

   暫く間をおいて、イエスは、同じ問いかけをし、ペテロも、同じ答えを返します。自分は、信頼されていないと、ペテロは思った筈です。

 また暫くして、イエスは、三度目の問いかけをします。この時、ペテロは、「心を痛めた」と書かれています。この痛みは、少し痛い、何となく痛いということではありません。大切な人と死別した時に味わうような、絶望的な心の痛み、悲しみです。かつての2人の関係は失われ、もう決して回復しないという痛みであり、悲しみだったのでしょう。

 ペテロは、悲痛な声で答えました。

 「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます」と。

 イエスは、ペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と命じました。

   ここで、イエスは、「わたしの羊を飼いなさい」と繰り返し命じています。イエスは、自分に付き従う者を世話することを、羊飼いの仕事になぞらえ、「わたしは良い羊飼いです」と語っていました。

 イエスを愛してはいたものの、衝動的で、軽々しい面のあったペテロは、イエスを裏切った心の傷を抱え、自分の弱さを知りました。また、復活したイエスから、何度も問い質されることを通して、大きく変わりました。ペテロは、絶望的な悲しみを味わいましたが、その悲しみの中で悲痛な告白を行い、イエスとの関係は、以前とは違った次元へと回復したのだと思います。良い羊飼いとなる資格が与えられたと言って良いでしょう。

 そして、良い羊飼いは、「羊たちのために、いのちを捨てます。」(ヨハネ10章11節)

 イエスは、ペテロの将来について「年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます」と預言しています。その上で、「わたしに従いなさい」と命じました。

 ヨハネが福音書を書いた頃、既にペテロは亡くなっていました。ペテロの死について、聖書には詳しい記録がありませんが、新約聖書外典の「ペテロ行伝」には、初代教会の伝承が記されています。ノーベル賞作家のシェンケビチは、この伝承をもとに、「クオ・ヴァディス」という作品を書いています。

 伝承によると、ペテロは、61年ごろにローマへ行き、皇帝ネロの時代に迫害に遭いました。当時の為政者から命を狙われたことを心配した友人たちが、ローマから脱出することを勧めて、ペテロは、それに従います。

 やがて、ローマから脱出して歩いていると、ペテロは自分の方に向かって来るイエスと出会います。「主よ、どちらにお出でになるのですか?」とペテロが尋ねると、イエスは「ローマへ行くのです」「あなたが、私の民を捨てて逃げるのを見たので、あなたの代わりに十字架にかかるのです」と答えました。これを聞いたペテロは、踵を返してローマに戻り、十字架で殉教の死を遂げたと伝えています。

 

 以上で、本日の私の話を終わります。