「家庭礼拝の手がかり/ペテロの癒し」(小山哲司)

そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。(新改訳)

 

 五旬節の日に、使徒たちの上に聖霊が降り、旧約聖書で預言された終わりの日が到来したことが明らかになりました。この聖霊は、イエスが約束されていたものであり、父なる神の右に座しているイエスが、父なる神からお受けになって、地に送られたものです。

 ペテロを中心とする使徒たちは、聖霊の力を受け、聖霊が導くままに、ユダヤ人たちが十字架につけて処刑したイエスが救い主であり、復活されたことを証しします。それとともに、イエスを十字架につけたイスラエルの責任、罪を厳しく指摘して、悔い改めを迫りました。それに応えて、イエス・キリストの名によるバプテスマを受ける者が大勢現れて、ここに霊的な共同体が誕生します。

 彼らは、使徒たちの教えを守り、交わりを行い、パンを裂き、祈りを行なって過ごしました。ガリラヤ出身の使徒たちは、財産も仕事も捨ててイエスに従ったので、全くの無一文でしたし、彼らの仲間に加わった者の多くも、貧しい生活を送っていました。彼らは、自発的に財産を持ち寄り、それを共有し、必要に応じて分配して暮らしました。愛に基づく共産主義が、一時的に成立したのです。

 そうした生活を送っていたある日のこと、ペテロとヨハネは、祈りを行うために宮に出向きました。当時の敬虔なユダヤ人は、一日に三回、祈りの時間を持っていました。祈りの場所は、特に定めがあった訳ではありませんが、宮に行ける場合には、宮で行うことが良いとされていました。午後3時の祈りは、その日の最期の祈りの時間です。

 このことで分かる通り、誕生したばかりの霊的な共同体は、まだユダヤ教の伝統を守っていました。彼らは、宮の一角を集合場所とし、そこで教え、祈り、交わりを行なっていたのです。

 しかし、ユダヤ人たちが処刑したイエスが、復活し、救い主として再び来られるとする彼らの信仰は、ユダヤ教の内に留まらない新しさを持っていました。

 ペテロとヨハネが、宮の「美しの門」と呼ばれる門に差し掛かった時のことです。この門は、はっきりとはしませんが、宮の外庭である異邦人の庭と、内庭である婦人の庭を繋ぐ門であったろうと言われています。そうだとすると、この門を通れるのは、ユダヤ人だけだったということになります。

 そこに、生まれつき足の不自由な男性が運ばれて来ました。多分、祈りの時間になると、敬虔なユダヤ人が大勢集まるので、施しを乞うのに都合が良いのでしょう。宮の中には賽銭箱があり、人々は、そこに投ずるお金を予め用意していたので、そのおこぼれに与ることができました。宮に出入りする人たちには、顔馴染みの存在でした。

 この男性は、後で明らかにされますが、生まれつきの障害者で、年齢は40歳を越えていました。生まれた時から歩けないまま、40年以上も過ごして来たのです。

 人間の筋肉は、使わなければ衰えます。健康な人でも、数カ月間、寝た切りの生活を送ると、歩くことが困難になりますが、この男性は40年以上も歩けない状態でしたから、足の筋肉は殆どなく、痩せ細った状態だったと思われます。本人も諦めていたでしょうし、周囲の者も、歩けるようになるなどとは、思いもつかなかった筈です。

 この男性は、ペテロたちを見て、施しを求めました。これまで、数限りなく繰り返して来たフレーズを唱えたのです。

 ペテロとヨハネは、その男性を見つめて、「私たちを見なさい」と声をかけます。男性は、何をもらえるのだろうかと期待しつつ、二人をじっと見つめます。しばらく、互いにじっと見つめ合ったのでしょう。

 この時、ペテロは、意外な言葉を口に出します。「金銀は私にはない。」つまり、施しは出来ない。これが、ペテロたちが置かれた現実でした。何の経済的基盤もなく、少し余裕のある仲間が持ち寄ったものを、分かち合いながら、その日、その日を過ごしていたのです。障害のあるなしの違いはあっても、足の不自由な男性と、経済的には大差のない状況でした。「しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」といって、ペテロは、彼の右手を取って立たせました。

 これが、ペテロが行った癒しの奇跡です。

 バプテスマのヨハネは、「悔い改めなさい。天の御国は近づいた。」と宣言し、イエスも、同じ言葉をもって宣教を始めましたが、イエスは、宣教の当初から、バプテスマのヨハネが行うことの出来なかった癒しの奇跡を行いました。

 この癒しの奇跡は、終わりの日の到来を告げ知らせるしるしと考えられていました。イザヤ書35章3節~6節には、終わりの日の情景が預言されています。

 

弱った手を強め、

よろめくひざをしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。

「強くあれ、恐れるな。

見よ、あなたがたの神を。

復讐が、神の報いが来る。

神は来て、あなたがたを救われる。」

そのとき、目の見えない者の目は開き、

耳の聞こえない者の耳はあく。

そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、

口のきけない者の舌は喜び歌う。

荒野に水が湧き出し、

荒地に川が流れるからだ。(新改訳)

 

 イザヤの預言の通りに、イエス自身も、歩けない者の癒しを行いました。ルカによる福音書5章には、中風で歩けない人を癒した奇跡が記されています。

 この中風の人は、仲間に連れられて来ましたが、イエスの周囲に大勢の人がいたため、屋根に穴を開けて、イエスの前に寝床ごと釣り降ろされたのです。イエスは、この人に向かって、「起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい」と言いました。すると彼はすぐに立ち上がり、寝ていた床を担いで家に帰って行きました。

 イエスが癒しの奇跡を行なっていると知ったバプテスマのヨハネは、イエスの元に弟子を派遣して、「おいでになるはずの方、つまり、救い主は、あなたですか?」と尋ねさせましたが、これに対して、イエスは、次のように答えています。

 

「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。」(ルカによる福音書7章22節  新改訳)

 

 イエスがこの世に来た目的は、病人を癒すことではありませんでしたが、終わりの日が到来したしるしとして、病める者の癒しが行われたのです。

 イエスの癒しには、特徴がありました。それは、信仰と癒しが結びついていたことです。イエスに対する信仰のないところでは、癒しの奇跡は行われていません。マルコによる福音書6章には、イエスの郷里であるナザレの人々は、イエスはもちろん、家族のことも良く知っていましたが、知っているが故に、イエスを信じようとしなかったと記されています。

 

それで、何人かの病人に手を置いて癒されたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。(マルコによる福音書6章5~6節  新改訳)

 

 イエスの癒しの奇跡の、もう1つの特徴は、病める者との一対一の人格的な交わりの中で行われているということです。ルカによる福音書8章には、長血を患った女性を癒されたことが記されています。

 この女性は、12年間も女性特有の病気で苦しんで、治療のために財産を全て使い切ってしまいましたが、それでも治りませんでした。イエスに触れば治ると信じて、イエスの後ろから衣の房に触れたところ、癒されたのです。イエスは、自分から力が出ていくのを感じて、「わたしにさわったのは、だれですか?」と言われました。女性は、イエスの前にひれ伏し、イエスにさわった理由と、ただちに癒された次第を、全ての民の前で話しました。イエスとの一対一の人格的な交わりの中へと、導かれたのです。

 イエスは、女性に対して、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」と告げました。

 このようにして、イエスの癒しは、病める者との一対一の関係の中で行われ、信仰を伴うものであったことが分かります。

 美しの門で、ペテロが行った癒しも、イエスの癒しと似た性格を帯びていました。というよりも、ペテロは、「ナザレのイエス・キリストの名によって」と言って癒しているのですから、同じ性格だったと言って良いでしょう。名前は、その人の力と権威を表すものと考えられていました。

 40年もの長い年月、足の障害を抱えて暮らして来た男性のうちに宿っていた、癒しに対する切実な思いと、信仰に対する心の渇きを、ペテロは感じ取ったのだろうと思います。どうやって、それが感じ取れたのかは書かれておりません。聖霊の導きによるものとしておきます。

 さて、病気や障害は、慢性化して、闘病する期間が長くなればなるほど、回復への期待が薄れ、次第に諦めるようになって行くものです。様々な治療を試し、失敗し、失望し、気を取り直して、また試しては、挫折するということを繰り返します。そのうち、失望や挫折が嫌なので、治ろう、治そうという気持ちを持つこと自体が、無くなっていきます。これを、学習性無気力と言います。何度行っても駄目だから、次も駄目だろうと先回りをするようになるのです。やがて、医者も見放し、まともに相手をしようとはしなくなり、「様子を見ましょう」と言って誤魔化したり、「治りません」と冷たい宣言を下したりするようになります。最初の頃は、心配して連絡して来た友人たちも、次第に疎遠になり、途方に暮れた家族だけが取り残されるようになります。私も、そうした経験があり、孤独な闘病を何年も続けました。健常者と自分の間には、分厚いガラスの壁があり、そこに閉じ込められたかのように感じていました。

 しかし、医者が見放し、友人・親戚が寄り付かなくなり、家族が途方に暮れたとしても、イエスは、信じる者を見捨てることはありません。ヨブがそうであったように、絶望し、神に悪態をついたとしても、神に呼ばわる者に対して、神が背を向けることはありません。人間の死も病も、神に背いた罪に根源がありますが、イエスは、その罪の問題に命がけで取り組み、勝利された方だからです。

 「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言われた男性は、言われるままに立ち上がりました。彼の足とくるぶしには、筋肉が生じて強くなり、躍り上って立ち、歩くばかりか、飛び跳ねることもできるようになりました。そして、神を賛美しつつペテロたちと行動を共にします。彼もまた、イエスに対する信仰へと導かれ、霊的共同体の一員となったのです。

 宮にいた人々は、歩き回り、飛び跳ねたりしている男性が、美しの門の前に座って施しを求めていた男性だと気がついて驚きました。こうして、自分たちの周りに集まってきた群衆に対して、ペテロは、新たな説教を行う機会を得たのです。 

 

  以上で、本日の私の話を終わります。