「家庭礼拝の手がかり/ペテロの第2の説教(前半)」(小山哲司)

私たちはそのことの証人です。このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。

さて、兄弟たち、あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。(新改訳)

 

 ペテロとヨハネは、午後3時の祈りのために宮に出向き、美しの門のところに座っていた、生まれつき足の不自由な男を癒しました。

 ペテロが、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って立たせると、男の足は強くなり、躍り上って立ち、飛び跳ねたりもしながら、ペテロとヨハネについて歩くようになったのです。

 40年以上も歩けなかった男が、何事もなかったかのように歩いている姿を見て、人々はものも言えないほど驚きました。

 ペテロたちは、美しの門から、ソロモンの回廊と呼ばれる場所に移動します。ここは、神殿をぐるっと取り囲むように設けられた回廊の東側の部分で、売店が立ち並び、宮に参拝に来た人たちが喋ったり、集まりを持ったりするエリアでした。日本の大きな寺や神社にも、そうした、人々が交流できるような一角がありますが、ペテロたちは、このソロモンの回廊を集合場所として利用していました。

 宮に出入りする人々は、美しの門のところで、施しを求めて暮らしていた男のことを、皆よく知っていました。ですから、全く歩けなかった男が歩けるようになったという噂は、あっという間に広まり、その姿を一目見ようと、ペテロたちの所に押しかけてきました。宣教を行うチャンスの到来です。

 ペテロがメッセージを語る相手は、宮に集まって来た敬虔なユダヤ人ですが、その一方で、イエスを十字架にかけることを求めた人々でもあります。40年以上に渡る障害から解放され、神を讃美している男の傍で、ペテロは、彼らに向かって力強く語り始めました。

 ペテロは、「イスラエルの皆さん」と呼びかけ、自分たちの力や敬虔さによって癒しの奇跡が起きたのではないと、訴えます。

 この当時は、病は、悪霊によってもたらされるものだと考えられていました。悪い霊が離れれば、その人は癒されるのです。ですから、重い病や障害の背後には、強力な悪霊の存在があると考えられたのです。病の癒しとは、悪霊との戦いであり、エクソシストが悪霊を払うようにして、ペテロとヨハネが癒しを行ったと、人々は理解しました。

 福音書には、イエス自身も、病気は悪霊によるものだとしている箇所が沢山出てきます。マタイによる福音書17章14節~21節には、悪霊につかれた少年の癒しが記されています。そこでは、最初に弟子たちが癒しを行おうとして失敗し、イエスがその子を叱ると、悪霊が出て行き、その子は癒されたとされています。

 このようにして、悪霊を追い払うためには、それ以上の力を持った霊が必要であり、ペテロたちの周りに集まった人々は、そうした力をペテロとヨハネが持っていると思ったのです。

 ペテロは、それを打ち消して、自分たちに注がれている人々の視線を、イエスに向けさせます。

 ペテロは、イエスが、どのような方であったかについて語り出します。イエスは、神のしもべであり、聖なる正しい方であって、いのちの君であるとします。この神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち自分たちユダヤ人の父祖の神です。

 イエスが、十字架にかけられ、死んだ後、復活されたという点は、第1の説教と同じですが、イエスがどのような救い主であるかについては、第1の説教ではあまり触れられていませんでした。ここに違いがあります。

 ここで、まず注目したいのは、イエスが「しもべ」であるということです。この「しもべ」という言葉は、元々は奴隷を指しましたが、神の前でへり下って自分を指す言葉として使われることもありました。やがて、神から特別な使命を与えられた者を、「しもべ」と呼ぶという使い方が現れてきます。

 マタイによる福音書12章には、イエスが、自分のことを「しもべ」と捉えていたことが示されています。

 

イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると大勢の群衆がついて来たので、彼らをみな癒された。そして、ご自分のことを人々に知らせないように、彼らを戒められた。これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。

「見よ。わたしが選んだわたしのしもべ、

わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者。

わたしは彼の上にわたしの霊を授け、

彼は異邦人にさばきを告げる。

彼は言い争わず、叫ばず、

通りでその声を聞く者もない。

傷んだ足を折ることもなく、

くすぶる燈芯を消すこともない。

さばきを勝利に導くまで。

異邦人は彼の名に望みをかける。」

(マタイによる福音書12章15~21節 新改訳2017)

 

 ここで引用されているイザヤ書は、42章1節から4節です。この神に選ばれた「しもべ」は、やがて52章13節から、人々の身代わりとなって苦難を担う「苦難のしもべ」の姿へと展開して行きますが、イエスは、ご自分が、この「苦難のしもべ」であると理解していたことを、マタイは示しています。その箇所を見ておきましょう。

 

夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れてきた。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒された。これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。

「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」

(マタイによる福音書8章16~17節  新改訳2017)

 

 マタイが引用しているイザヤ書は、53章4節の前半部分ですが、4節の後半には、次のように記されています。

 

だが、私たちは思った。

彼は、罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

(イザヤ書53章4節後半 新改訳)

 

 神に選ばれ、私たちの苦難を担い、それなのに、あたかも神に罰せられたかのような最期を遂げるしもべの姿が、そこには示されています。

 これは、当時のユダヤ人たちが思いも付かない救い主の姿でした。彼らが思い描いていたのは、ダビデ王のような政治的なリーダーであり、ローマ帝国からイスラエルを解放してくれる救い主だったのです。

 ですから、イエスが捕縛され、ピラトのもとに引き出された惨めな姿を見て、これが救い主だと思う者はいなかったのです。人々は、イエスに失望し、祭司長らが扇動するままに、イエスを十字架につけ、人殺しだったバラバの釈放を求めました。

 ペテロは、このことを指摘して、「あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺したのです」と訴えました。

 「聖なる」と「正しい」は、ともに神の性質を表し、イエスが神であることを示しています。「いのちの君」とは、いのちの源であり、創始者であるという意味です。私たちの病を、苦難を、そして、罪を担い、いのちをもたらそうとしたイエスが十字架につけられ、人殺しのバラバが釈放されるという倒錯した状況が、強いコントラストをつけて述べられています。

 しかし、イエスは、いのちの君であり、神は、このイエスをよみがえらせました。ペテロの語気が最も荒くなるのは、イエスの復活を宣べ伝える時です。なぜかといえば、復活されたイエスと40日に渡って、寝食を共にして過ごしたからです。使徒たちの宣教は、この復活の事実の上に成り立っていました。

 ペテロは、イエスは昇天されて、その姿を見ることはできないけれども、イエスの力は今も働いて、イエスの名を信じる信仰が、癒しの奇跡をもたらしたのだとします。癒された男が傍に立っているのですから、非常に説得力があったことでしょう。

 そして、ペテロは、五旬節の日に行なった説教の時のように、人々に悔い改めを迫ります。

 無知であるが故に、イエスを十字架に付けてしまったことは仕方がないことだった。また、イエスが十字架で苦難をお受けになることは、神の計画でもあったことだが、救い主を殺した罪に変わりはない。だから、悔い改めて神に立ち返りなさい、と。そうすれば、罪はぬぐい去られるのだとします。ぬぐい去られるとは、帳消しになる、完全に消え去るという意味です。

 五旬節の日の説教との違いは、イエス・キリストの名によるバプテスマを求めていないという点です。そして、その代わりに、イエスの再臨が示されています。

 ここで注目したいのは、悔い改めと再臨の関係です。

 イエスが再び来られる時は、回復の時(20節)、万物が改まる時(21節)であるとされています。回復の時とは、イエスが再臨されるまでの猶予の時を指し、万物が改まる時とは、この地上が神の御国に変えられる時を指しますが、悔い改めとは、どのような関係になるのでしょうか?

 この問題を考える上で参考になるのは、バプテスマのヨハネです。先ほど、当時の救い主のイメージは、政治的なリーダーだと説明しましたが、バプテスマのヨハネの説く救い主のイメージは、それとは違いました。彼の描く救い主は、むしろ倫理的・霊的なイメージであり、「聖霊と火でバプテスマを授ける」方でした。この救い主が到来し、神の御国が地に実現する備えとして、悔い改めとバプテスマを宣べ伝えたのです。彼は、人々がこぞって悔い改め、バプテスマを受けることで、救い主の到来が早まると考えていたようです。

 ペテロの説教には、このバプテスマのヨハネの発想が感じられます。新改訳よりも、塚本虎二訳の方が、はっきり分かりますので、19節から20節までを引用します。

 

だから今すぐ悔い改めて、心を入れかえて主に帰りなさい。そうすればあなた達の罪が拭い去られる。これはまた主の御前から休息の時が来て、主があなた達のため救世主(キリスト)として選ばれたイエスをお遣わしになるためです。(塚本訳)

 

 塚本訳の20節の訳が、「イエスをお遣わしになるためです」と、目的を表す表現になっていることに注目したいと思います。悔い改めが、罪を拭い去ることと同時に、イエスの再臨をもたらすことになると読めるのです。

 ペテロは、自分が書いた手紙の中でも、このことについて触れています。ペテロによる第二の手紙3章10節~12節前半です。

 

しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。(新改訳)

 

 聖なる敬虔な生き方は、悔い改めて神に立ち返ることが前提となります。悔い改めて、心と行動を180度転換して神に立ち返ることが、神の日の到来を早めることになるというのです。イエスの再臨が何時になるかは、父なる神しかご存知ありませんが、私は、ここに、イエスに再び会いたい、早く会いたいという、ペテロの強い思いが現れているように思えてなりません。

 復活のイエスを体験した弟子たちの合言葉は、「マラナ・タ」、つまり「主よ、来て下さい」でした。迫害を受け、弾圧され、殉教者を出す緊迫した状況の中でも、彼らは、イエスの再臨を信じて、耐え続けました。自分たちを取り巻く状況が、どんなに悪く、酷いものであっても、イエスが再び来られて、自分たちを救って下さると信じたのです。

 十字架、復活と並んで、イエスの再臨が、私たちの信仰の中核に宿る時、イエスの弟子たちの信仰を、確かに受け継ぐことになるのではないでしょうか?

 

 以上で、本日の私の話を終わります。