「家庭礼拝の手がかり/ペテロの捕縛」(小山哲司)

 ペテロは、人々の視線を、自分たちではなく、イエスに向けさせました。

 彼らユダヤ人たちが十字架につけさせたイエスは、神が選ばれたしもべであり、イザヤ書に預言されているように、自分たちの担うべき苦難を担われた方である。神は、イエスを死からよみ返らせ、このイエスの力によって、生まれつき歩けなかった男の足は、癒されたのだとします。

 人々が、無知の故にイエスを十字架にかけてしまったことは仕方がないことだったが、救い主を十字架にかけた罪は消えることはない。だから、悔い改めて神にたち返りなさい。そうすれば、罪が帳消しになるばかりか、神は、イエスを、再びこの世に送って下さると言って、人々に悔い改めを求めました。

 五旬節に行った第1の説教は、人々に悔い改めを強く迫ることで結ばれていますが、第2の説教では、イエスの再臨に触れるなど、人々の目を過去から未来に向けさせており、申命記からモーセの言葉を引用しています。

 モーセは、神との対話の中で、度々、契約という言葉を聞かされました。イスラエルの人々が、エジプトで奴隷として扱われている姿を見て、神は、アブラハムと結ばれた契約を思い出したというのです。この契約は、カナンの全土をイスラエルに与えると約束するものでした。

 神は、イスラエルを選んで契約を結び、律法を与え、預言者を起こして導いて行きますが、モーセに匹敵し、それを凌駕するほどの預言者は、これまで現れて来ませんでした。ペテロは、それがイエスであり、神がモーセに対して、やがて起こすと約束した預言者であるとします。

 また、 ペテロは、ダビデを王として擁立したサムエルら預言者たちは、その預言を通して、終わりの日の到来と、救い主イエスについて語っているとします。

 ペテロは、最後にアブラハムの名前を挙げて、神がイスラエルの父祖と結ばれた契約を人々に思い起こさせています。

 この契約は、アブラハムに、まだイサクが誕生していなかった時に結ばれたもので、「わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17章8節  新改訳)というものでした。アブラハムが神の命令に従って、約束の子であるイサクを屠ろうとした際に更新され、「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創世記22章18節  新改訳)と、イスラエルを通して、祝福が周辺の国々にまで及ぶものとされたのです。

 ペテロは、すべての国々、民族に祝福をもたらすのは、「あなたの子孫によって」であるとし、この子孫がイエスであることを暗示しています。

 救い主イエスは、苦難を担うしもべの姿をとってイスラエルに遣わされましたが、それは、神に選ばれたイスラエルの人々が、まず、救いにあずかり、神の祝福を受けるためなのだと言って、ペテロは、第2の説教を結んでいます。

 ペテロたちが陣取った「ソロモンの回廊」には、おびただしい数の人々があつまり、40年以上も歩けなかった男が、何事もなかったかのように歩き回る姿を見ては驚き、ペテロの説教に一心に耳を傾けていました。

 そこに、祭司、宮の守衛長、サドカイ人らがやって来ます。分けて書かれてはいますが、祭司、守衛長も、サドカイ派に属する人々でした。

 当時のユダヤ教は、大きく3つの派に分かれていました。主流をなすのは、サドカイ派とパリサイ派で、その他にエッセネ派がありました。また、バプテスマのヨハネのグループも活動していました。

 ペテロを代表とするイエスの弟子たちは、死から復活したイエスが救い主であるとする点で、彼らとは立場を異にしていましたが、旧約聖書を自分たちの聖書とし、律法を守り、宮での儀式に参加するなど、自分たちをユダヤ教徒だと考えていました。まだキリスト者、キリスト教という言葉は、使われてはいませんでした。

 ユダヤ教徒としての自覚があるため、宮を自分たちの活動の拠点とし、「ソロモンの回廊」に集まっては、祈り、賛美をし、また、イエスが救い主であると教えていたのです。弟子たちが、自分たちのグループ内で、大人しく活動している分には、迫害も弾圧もなかった筈です。

 問題は、十字架につけられたイエスが復活し、救い主であると宣べ伝えたことから始まりました。自分たちのグループ内で、少数の仲間を相手にしているうちは、弾圧の対象にはならなかったでしょうが、対外的に、広く伝道するに連れて、問題視されるようになったのです。

 それは、サドカイ派との関係において顕著でした。なぜかと言うと、サドカイ派の人々は、死者の復活を認めていなかったからです。彼らにとって、死者の復活など、愚か者の戯言でしかありませんでした。

 サドカイ派の人々は、経済的に豊かであり、祭司の大半を占め、宮や議会を牛耳っていました。また、政治との結びつきも強く、ローマ総督と協力する姿勢を示していました。ただ、紀元70年にエルサレムが崩壊し、宮も破壊されてしまったため、サドカイ派も消滅し、彼らに関する資料は、全て失われてしまいます。そうしたこともあって、新約聖書に度々出て来ますが、謎めいた存在です。

 サドカイ人について、新約聖書が詳しく示しているのは、使徒行伝23章の記述です。

 

パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は、死者の復活という望みのことで、裁きを受けているのです。」パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。(使徒行伝23章6~8節 新改訳)

 

 この23章の記述からは、サドカイ人が、霊的な事柄に否定的な現実主義者であることが窺われます。彼らは、宮での儀式を司り、神と人との間に立つ立場ですから、霊的な事柄に最も敏感である筈ですが、実際は、逆なのです。儀式を重視し、強調することによって、意識がそこに集中すると、神との真の交わりは、逆に稀薄になるということなのでしょうか?多分、そうでしょう。その典型は、宗教改革の時代に、カトリック教会が発行していた贖宥状だと思います。お金を出すだけで、罪の償いを免れることに対する疑問から、ルターの宗教改革は始まりました。

 無教会は、贖宥状は勿論のこと、教会堂を持ちませんし、洗礼も、聖餐式もありません。集会の在りようも、賛美歌、祈祷と聖書講解が中心で、実に簡素です。注目すべき儀式がありませんので、参加する私たちの意識は、自ずから神に向かわざるを得なくなります。その意味において、簡素なるが故に、逆に、霊的、神秘的な要素が強いと言えるかもしれません。

 さて、サドカイ派とパリサイ派は、福音書では、どちらもイエスに敵対するグループとして描かれていますが、扱い方が微妙に異なります。

 マルコによる福音書12章18節以下で、イエスは、復活がないとするサドカイ人からの質問に対しては、次のように答えています。

 

死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあります。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。(マルコによる福音書12章26~27節  新改訳)

 

 イエスは、サドカイ人の誤りを一方的に指摘していることが分かります。その直後に、今度は、律法学者が、「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」と尋ねました。イエスは、第一の戒めは「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」であり、第二の戒めは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」であると答えます。律法学者は、イエスの答えを聞いて感心し、「先生、そのとおりです。」と応じましたが、イエスは、その律法学者に対して「あなたは神の国から遠くない」と語っています。

 サドカイ派も、パリサイ派も、イエスに敵対してはいましたが、パリサイ派は、イエスと議論が噛み合う余地があったと思われます。

 ヨハネによる福音書3章には、パリサイ人であったニコデモが、イエスのもとを訪ねる場面が描かれています。ニコデモは、イエスの言葉を理解できないまま去って行きましたが、彼は質問に先立って、「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」(3章2節) と述べています。

 ニコデモは、イエスの背後に神の存在を認めています。「私たちは」という言葉から、ニコデモに限らず、パリサイ派の中には、イエスを、神がともにおられる敬虔な教師と認める者が、他にもいたことが示されています。

 このパリサイ人であるニコデモは、有力な議員であったアリマタヤのヨセフと協力して、十字架上で息絶えたイエスの亡骸を引き取り、埋葬しています。これは、イエスの弟子であることを明らかにする、勇気ある行為であり、その後のことは聖書には書かれてはいませんが、イエスを信じて、ペテロたちと行動を共にしたことが窺われます。

 また、サドカイ派とパリサイ派の違いを際立たせるのは、イスカリオテのユダの行動です。ルカによる福音書22章には、次のように記されています。

 

ところで、十二弟子の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。ユダは行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した。彼らは喜んで、ユダに金を与える約束をした。ユダは承知し、群衆がいない時にイエスを彼らに引き渡そうと機会を狙っていた。(ルカによる福音書12章3~6節) 

 

 この記事から、イスカリオテのユダが、イエスを裏切る相談を行った相手は、サドカイ派だったことが分かります。イエスを敵視し、正面から対立していたのはサドカイ派であり、彼らがイスカリオテのユダと連携して、イエスを亡き者にしようと画策したのです。

 ペテロが、大勢の人々を前にして説教をしているところに、サドカイ派の人々がやってきたのは、単なる偶然ではありません。

 サドカイ派が中心となって、十字架につけたイエスが、復活された。そして、救い主だと説教をしているペテロたちは、彼らにとっては許しがたい存在で、放置する訳にはいかなかったのです。

 時は既に夕方で、宮の門は、午後4時には閉められてしまいます。ペテロたちの処遇を決定するため、議会を招集する時間がありません。ペテロたちが一晩留置されることになったのには、こうした事情がありました。

 こうして、ペテロたちは、サドカイ派の人々によって捕縛されてしまいましたが、40年以上も歩けなかった男が癒された奇跡を目の当たりにし、ペテロの力強い説教に心打たれた人々が悔い改め、男だけで五千人もの人々が、仲間になりました。

 ヨハネによる福音書14章12節には、イエスを信じる者の行うわざの大きさが次のように述べられています。

 

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。(新改訳)

 

 約3年間の公生涯で、イエスに付き従ったのは、12人の弟子たちを中心とした、ごく少数の者にしか過ぎませんでした。イエスの使命は、十字架と復活を土台とするものであり、十字架も、復活もない状態で、それを理解することは、非常に困難だったのです。

 十字架と復活を経験した今、ペテロたちは、聖霊に導かれつつ、伝道の実りという点では、イエスのなし得なかったわざを行うようになりました。

 しかし、伝道の実りは、弾圧と迫害の引き金ともなります。サドカイ派によって留置されたペテロたちは、翌日、議会で、ユダヤ教の指導者たちと対決しなければなりませんでした。

 

 以上で、本日の私の話を終わります。