「家庭礼拝の手がかり/ペテロ釈放される」(小山哲司)

このしるしによって癒やされた人は、四十歳を過ぎていた。(新改訳)

 

 ペテロとヨハネは、宮に出向いた時、生まれつき歩けない男を癒し、それを見て驚いた大勢の人々を前にして、ペテロは、第2の説教を行いました。

 そこに、祭司、宮の守衛長、サドカイ人らがやって来ます。ペテロとヨハネたちは、イエスと同じように、宮を支配するサドカイ派の人々に捕縛され、留置されることになりました。

 さて、一夜が明けて、サンへドリンと呼ばれる最高法院が開かれました。その構成メンバーは、71名からなり、民の指導者、長老、律法学者のほか、大祭司とその一族が含まれていました。議長を務めるのは、大祭司カヤパです。

 カヤパらは、ペテロたちが行った癒しの行為を問題として取り上げました。「何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と。

 聖霊に満たされたペテロは、皮肉を交えながら、切り返すようにして答えます。

「『病人に対する良いわざ』のために、取り調べをするのか?」と。これは、癒しという良いわざを対象として取り調べを行うなど、不条理だという皮肉であり反論です。

 それに次いで、今度は、尋問を受けているペテロたちが、糾弾するかのように訴えます。

「その人が何によって癒されたのかということなら、答えてやろう。あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることだ。」と。

 ペテロは、旧約聖書から詩編118編を引用し、最高法院の指導者たちがキリスト(救い主)であるイエスを捨てたことの罪を指摘し、最後に、「この方以外には、だれによっても救いはありません」と述べ、イエスの名は、病の癒しに留まることなく、人々を救いへと導く力があることを述べて、答弁を締めくくっています。

 最高法院の議員たちは、ペテロの答弁を聞き、彼らがイエスと一緒にいた者であることに気がつき、学校での教育を受けていない、普通の人、つまり、庶民であることに驚きました。

 大胆に語るペテロの側には、足の障害を癒された男が立っており、この状況が持つ意味を理解し始めた彼らは、ペテロたちを退出させた上で、この問題の処理策を協議し始めます。

 彼らは、これまで何十年も「美しの門」の前に座って、人々の施しを受けて暮らしてきた男が、自分の足で立って歩いている姿を目の当たりにしました。これは、否定しようのない事実であり、既に民衆の間に広まっています。癒される可能性などあり得ない男が癒されたことが、何を意味するのか、彼らはよく知っていました。イザヤ書35章に、次のような預言が記されています。

 

弱った手を強め、

よろめくひざをしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。

「強くあれ、恐れるな。

見よ、あなたがたの神を。

復讐が、神の報いが来る。

神は来て、あなたがたを救われる。」

そのとき、目の見えない者の目は開き、

耳の聞こえない者の耳はあく。

そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、

口のきけない者の舌は喜び歌う。

荒野に水がわき出し、

荒地に川が流れるからだ。

(イザヤ書35章3~6節  新改訳) 

 

 これは、イスラエルの回復を告げ知らせる預言です。神の力が働いてイスラエルが回復する時、そのしるしとして、様々な病、障害が癒されるというのです。民衆が、この癒しの奇跡に感嘆したのは、そこにイスラエルの回復を察知したためでもあります。

 ペテロは、この癒しをもたらしたのは、ナザレ人イエスの名によるものだと言いました。そのナザレ人イエスとは、つい2ヶ月ほど前に、最高法院が有罪とし、十字架に付けさせた男です。彼らは、覚えていました。

 ここでジレンマが始まります。

 彼らは、自らを神の子だとするイエスを、神を冒瀆する罪で有罪とし、ローマ総督を動かし、民衆を扇動して十字架に付けさせました。そのイエスの名によって、神の力が働き、癒しの奇跡が行われたとすると、彼らの裁判は誤りだったということになります。これを認める訳にはいきません。

 一方で、癒しの奇跡は、否定しようのない事実として知れ渡っています。癒されたという事実自体を否定できないとすると、これは、神のわざではないとして、否定しなければなりません。しかし、民衆は、神の力が現われたと信じ、神を崇めています。否定すれば、民衆を敵に回すことになります。

 最高法院は、ユダヤの最高議決機関でしたが、民衆の意向に対して、大変敏感でした。

 ルカによる福音書には、最高法院の議員である祭司や律法学者らが、民衆を恐れている場面が幾つも出てきます。

19章から22章までの3箇所を取り上げて見てみましょう。

 

イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長たち、律法学者たち、そして民のおもだった者たちは、イエスを殺そうと狙っていたが、何をしたらよいのか分からなかった。人々がみな、イエスのことばに熱心に耳を傾けていたからである。

(ルカによる福音書19章47~48節  新改訳)

 

イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは、天からきたのですか、それとも人から出たのですか。」すると、彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、どうしてヨハネを信じなかったのかと言うだろう。だが、もし人からだと言えば、民はみな私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネは預言者だと確信しているのだから。」そこで、「どこから来たのか知りません」と答えた。

(ルカによる福音書20章3~7節  新改訳)

 

さて、過越の祭りと言われる、種なしパンの祭りが近づいていた。祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を探していた。彼らは民を恐れていたのである。

(ルカによる福音書22章1~2節  新改訳)

 

 イエスが宮清めを行なった頃から、最高法院の議員たちのイエスに対する敵意は、殺意へとエスカレートして行きます。

 しかし、バプテスマのヨハネに関する問答に示されているように、彼らは、民衆から常に監視されており、律法に反する判断を行えば、石で打ち殺される危険を抱えていたのです。

 また、それとは別に、彼らが民衆の意向を気にかける理由がありました。ヨハネによる福音書11章には、イエスがラザロを復活させる奇跡を行なった後、最高法院で行われた議論が記されています。

 

祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行なっているというのに。あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」

(ヨハネによる福音書11章47節~48節  新改訳)

 

 当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下に置かれていましたが、ローマ帝国は、治安が守られる限りにおいて、支配している国々の宗教や政治に対して、寛大な態度を取っていました。ローマから派遣された総督ピラトが、エルサレムではなく、カイサリヤに住んでおり、過越の祭りの時だけエルサレムに来ることになっていたのも、ユダヤに配慮してのことです。こうした寛大な措置のお陰で、ユダヤの最高法院及び議員たちは、自由と特権を享受していました。

 しかし、イエスが民衆の人気を集めて暴動でも起こしたら、たちまちのうちに、ローマの干渉を受けて、自由も特権も奪い去られることになります。このことが、彼らにとっては大きな問題でした。イエスが人気を集めることも警戒しなければなりませんが、イエスを亡き者にするやり方も注意を払い、律法に則って行わないと民衆の暴動に繋がります。彼らは、微妙な立場にいたのです。

 彼らは、民衆の暴動を警戒し、イエスばかりでなく、イエスが復活させたラザロをも殺そうと計画していました。ラザロの復活が、イエスが行なった最も大きな奇跡だと考えられたためです。ヨハネによる福音書12章を見てみましょう。

 

すると、大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。イエスと会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。

(ヨハネによる福音書12章9~10節 新改訳)

 

 このように、表面的には民衆の意向に気を配る小心さを示す一方で、イエスを亡き者とするための策を練り、ラザロをも殺害しようと相談するなど、彼らの内に潜む悪意は、非常に大きなものがありました。

 そして、それが、今、ペテロたちに向けられています。

 彼らは、ペテロたちの行なった癒しの奇跡に、律法に反する問題点を見つけることが出来ませんでした。彼らが行なったのは、「イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない」と命じることだけでした。

 ここで、イエスの名によって語ることとは、イエスの名によって癒しを行うことを指しています。イエスの名によって教えることとは、イエスの教え、特に、十字架と復活を教えることを指しています。

 興味深いのは、イエスのことを教えるなとは命じていますが、イエスの復活自体を否定はしていないことです。

 最高法院の中でも、サドカイ派は、死者の復活を認めませんでした。彼らは、死者の復活について、イエスに議論を仕掛けて、逆に論破されています(ルカによる福音書20章27~38節参照)。

 彼らは、イエスが、預言の通りに復活するとは思いませんでしたが、弟子たちが亡骸を盗み出すことを警戒して、墓穴を大きな石で塞ぎ、ローマの番兵を見張りに立たせました。弟子たちが、亡骸を盗み出すことは不可能でしたが、亡骸は消えてしまいました。

 万全の対策を立てたにも関わらず、イエスの亡骸が墓から消えたことを、彼らは良く知っていました。最も辻褄があう説明は、イエスの復活だということも分かっていました。

 だから、彼らは、イエスの復活を証しするペテロたちに対し、「イエスの復活など、お前たちのでっち上げだ」と反論できなかったのです。この当時、ユダヤの最大の権力と最高の頭脳を持っていた最高法院が、イエスの復活自体について一言も触れず、否定も反論もしていないという点に注目したいと思います。

 最高法院の命令に対して、ペテロとヨハネは、明確に拒否します。

 

「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。」(19節)

 

 この19節の言葉は、プラトンが著した「ソクラテスの弁明」の中で、ソクラテスが語った言葉と重なります。ソクラテスは、「あなたがたに聞き従うよりは、神に聞き従う」と語りました。ギリシア語は、地中海世界の共通語でしたから、格言となったソクラテスの言葉を、ペテロたちが耳にしていたのかも知れません。ペテロは、別の場面でも、この言葉を用いて、最高法院と対決しています(5章29節参照) 。

 ペテロたちは、最高法院に抵抗すれば、どのような運命が待ち受けているのか、よく分かっていました。イエスのように、命を奪われる危険性も薄々は感じていただろうと思います。しかし、彼らは、イエスを見捨てて逃げてしまった、かつての弱い弟子ではありませんでした。イエスの十字架と復活を体験することによって、たった2ヶ月の間に大きく変えられたのです。

 

「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」(20節)

 

 ペテロたちが「見たことや聞いたこと」の中核には、イエスの十字架と復活がありました。これは、単なる理論や信念ではなく、事実です。理論や信念ならば、論争を重ねるうちに、変わることがあるかもしれません。しかし、論争をどれほど重ねても、事実を動かすことは出来ません。イエスの復活がなかったことには、ならないのです。最高法院は、ペテロたちが依り頼む、イエスの復活という事実の重みを軽視していたのだと思います。

 最高法院は、自分たちの命令が、明確に拒否されたのにも関わらず、ペテロたちを釈放せざるを得ませんでした。40年以上も歩けなかった男の癒しの奇跡を見た民衆が、そのことで神を崇めていたからです。大祭司をはじめ、議員たちは、強い屈辱と怒りを感じたことと思います。

 こうして、旧来の体制側である最高法院と、新しい霊的共同体との最初の衝突は、新しい霊的共同体の側に軍配が上がりました。しかし、最高法院は、次なる機会を窺い、ペテロたちに反撃を企てて行くのです。

 

 以上で、本日の私の話を終わります。