「家庭礼拝の手がかり/生けるキリストの信仰」(石原兵永)

マルコ伝一二章二四節ー二七節にあるようにアブラハム、イサク、ヤコブの神である。アブラハムにも生き、イサク、ヤコブにも生々と働きかけ給いし神、今の私たちにも生きて働きかけ給う神である。イエスに問いかけた学者のように、観念的な神にしてはいけない。私たちの内にも生きて在り給う神を眞実の心をもって仰ぎみなければこのことはわからない。

 まことに神は、全宇宙を創造し、支配し、批判し、裁き且守り導き給う神である。しかもイエス・キリストによって示された神は、父なる神である。義なる神であると共に愛の意思をもって、我々の魂に働きかける神である。何ものにも煩わされることなく、絶対なる意志をもって働きかけ給う神である。

「わが父は今にいたるまで働き給ふ、我もまた働くなり」(ヨハネ伝五ノ一七)とイエスは申された。永遠の世界の始めより、宇宙を支配し、今に至るまで働き給う父なる神、善を行い、不義を憎み、貧しき者、弱き者を援け、一人一人に生命を与え、働かせ給うところの神、この生ける神より生命を与えられて我々も始めて働くことが出来る。聖書をよく読んで下さい。このように生きた力を与えないものは本当の信仰とは云えない。

 ルカ伝一五章に有名な放蕩息子のたとえ話がある。自分勝手な考えから父の元を飛び出して散々に放蕩をし盡し、遂には豚の餌までとって食べたい程に落ちぶれた息子、ここに神と人間との関係が実によく語り盡されているように思う。これは二千年前の人に語られた一ぺんの寓話ではない。神に逆って行詰まった人間のどうにもならない姿がここにはある。然し父なる神はこの放蕩息子を棄てられなかった。走って行ってその頸を抱いて接吻し全家をあげてよろこびの宴を張り給うのである。神様は本当に私たちを抱いて下さる。神と人間との関係は人格と人格との接觸である。生ける者と、生ける者との関係である。

 その神を人類に示されたイエスはどういう人であったか、その眞の神を父とする神の子であった。イエスが神の子であるという証拠は何処にあるだろうか、マルコ伝一章を見ると、ヨルダン川に於てイエスはヨハネよりバプテスマを受けられた。イエスが水より上るとき御霊鳩の如くおのれに降るのを見られた。天より「なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ」という声を聞かれた。イエスの魂に神のみ声が響いた。〝お前は神の子だ〟と。彼は三十そこそこの田舎大工の息子に過ぎない。彼の両親も兄弟も尋常の人である。神の声を魂に聞いても彼が大工である事は少しも変りがない。服装も今の私たちより貧しいものを着て居られたに違いない。自分が神の子であるという、果たしてほんとうだろうか、若しや自分は誇大妄想に捕われたのではなかろうか、この大問題の為に彼は甚だしく悩んだ。そして彼の内心に激しいたゝかいが起った。彼が常識的であればある程、理性的であればある程、そのたゝいは激しいものであったろう。悩める彼の魂は必然的に人なき荒野に導かれた。激しい苦斗によって食うことも飲むこともと絶え勝な日が続いた。この苦斗が絶頂に達し、彼の肉体が飢えの為にもろくも崩れ去ろうとする時、最後の試練がやって来た。サタンは巧みにも聖書の言葉で偽装して彼に迫った。奇蹟を行う力、人の前に偉大な宗教家となる術、更に全世界の富と栄華への誘いがそれであった。

 このたゝかいに彼はいかにして勝つことが出来たか、それはこういうことである。自分が神の子であると言う証拠は、〝お前は神の子だ〟と言う神のみ声を彼自身が信ずる以外に何もない。〝お前は神の子だ〟という神の言葉、その言葉の持つ力強い響きはもはや彼の魂から打ち消すことの出来ない強大なものとなった。もはや石をパンに変える奇蹟によって、その事を証拠立てる必要はなかった。自分が神の子であるかどうか、エルサレムの神殿から飛び下りて神を試してみる必要もなかった。更に世界の富と権力を自由に駆使して、大宗教家となって人々の前に現われる必要も勿論なかった。外側はいかに貧しい大工の子に過ぎなくても、それはもはや問題ではない。自分の魂に聞えた 〝お前は神の子だ〟 という神の言葉を深く固く信ずることが出来たら、それだけでよい。それ以上の証明が何の役に立つだろうか、

〝サタンよ退け、主なる汝の神を拝したゞ之にのみ事へ奉るべし〟彼はこうして確信と勇気に満たされてサタンを退けることが出来た。そしてこの朝を境として、イエスの神の子としての公生涯が始まったのである。病める者を癒やし、悩める者を導き、たゞ神の命じ給うまゝに働き、遂には神の命に従う為にユダヤ人としては最も恥づべき極刑である十字架の死を受けるのである。彼は神の子として生き、神の子として死んだ。然し十字架も、死も罪も遂に彼を滅ぼすことが出来なかった。神は三日目に彼を復活せしめた。キリストの中に宿った神の子たる生命は十字架によって滅びなかった。彼は永遠の生命として神と共に在し給う。黙示録五章六節に 〝虐げられたるが如き羔羊の立てるを見たり〟とある。これがイエスの姿である。おのが血をもって全人類の罪をあがない給うた。神はみ子であるキリストを死の十字架に渡し給い、これを三日目に解き放ち、死人の復活を現わし給うことによって、神がすべてに勝るみ力の所有者であること、イエスが神の子であることをあきらかにされた(ロマ書一・四)のである。

 これは単に二千年前のユダヤの国の出来事であっただけではない。復活のキリストは今なお生きたもうのである。では今日の我々は如何にして生けるキリストにつながることが出来るか、その問に答える最も代表的な例は使徒行伝九章に於けるパウロの回心である。パウロは律法主義ユダヤ人として始めはクリスチャンの一人や二人殺されるのをよしとする程ユダヤ教に熱心なものであった。パウロは多くのユダヤ人と共に、律法を完全に守ることによって、神のメシヤは天より降り約束の国は与えられると信じていた。然るに、弟子たちは、十字架のイエスが神のメシヤであると言った。従って彼の眼から見ればイエスとその一派は仇敵の如き存在であった。十字架の上に詛われたイエスを神のメシヤとするのは、神をけがし律法を根本から破る異端だからである。この異端を一掃するために彼はエルサレムを出発した。然し、迫害の場にあって、実に喜びと確信に満たされて主を讃美しつつ死をも恐れぬイエスの弟子たちを見る時、パウロは何とも云えぬ焦燥を感じたであろう。一代の学者ガマリエルの優れた門下生として学問に於ても他に抜きんでていたパウロは、律法の行為の集積によって、神の選民たるイスラエル民族が全人類に号令する日が来ると確信しながら、しかも律法の行為を厳格に行えば行う程、満たされない何ものかにかり立てられ、一層激烈な気象をイエスの弟子たちの迫害に向けたことであろう。ダマスコ途上、神の光は突如として彼のこの矛盾をえぐり出した。彼は地上に打ち倒された。彼の肉の眼は視力を失い、迫害に向う足はその支えを崩されてしまった。

 パウロは辛うじて〝貴方は誰ですか〟と訊ねた。そして神の光の中に生きたまうものがキリストであることを知った。かくて砕かれた魂に生けるキリストが現われ、彼に救いを与えたのである。

 ちょうど内村先生が札幌農学校の生徒として入学当時、異端邪教としてキリスト教に激しい敵意を持たれたのと酷似している。キリスト教に回心してから後も先生は永い間自己の罪について苦しんだ。ついにアマスト大学にあった時、ある日十字架上のイエスを仰ぎみる恩恵をあたえられて、まことの救いにあずかったのである。生けるキリストが先生の心の空に現われて、かれの魂をよみがえらせたのであった。

 ふりかえってみれば戦慄すべき罪のおびただしい残骸、すべての人間の悪の為に、否おのれの恐るべき罪の為にイエスは十字架につけられた。血潮の滴る十字架を仰ぎみるとき誰か打伏しに打倒されないものがあろうか。死んで墓場に朽ちはてたイエスに頑固なパウロを作り変える力はない。パウロも内村先生も復活のイエス、生けるキリストの力によって作り変られた。それは地上のすべてをよせ集めても人の力はよくこれを為すことが出来ない。それは徹頭徹尾人の業ではない。十字架の死より復活せるキリスト、生けるキリストに於て示された神の力である。

 〝父は我らを暗黒の権威より救い出して、その愛しみ給う御子の国に遷したまへり、我らは御子によりて贖罪、すなはち罪の赦を得るなり〟(コロサイ書一ノ十三~十四)。神の愛し給う御子の国、即ち今まで暗黒の世界に悩んでいた人類を光の国、神の国そして父とみ子の国に移し給う神の愛こそ偉大である。ここにクリスチャンの生活は始めて、

 恩恵より恩恵へ

 救いより救いへ

 信仰より信仰へ

 

日々平安とよろこびに満たされた連続となることが出来るのである。(了)