「家庭礼拝の手がかり/恩恵の年を迎えて」(大森孝夫)

恩恵の年を迎え、これから私たちは何をなすべきか

大森孝夫

 

「曾て水戸烈公の配下にありし茨城県人に義気あり、公道を慕ふの心あり、然れども儒教に神道を混じたる水戸主義なるものは狭隘固陋にして二十世紀の今日に於ては害ありて益なきものとはなりぬ。此に於てか基督の光明の茨城県人の固まりし心を解くの必要は起るなり(後略)。」(注1)

 

 今から約一〇〇年前(明治35年)、内村鑑三はかく記し茨城の地に純福音が宣べられ、県人の心に真の光明が注がれんことを祈求した。そして昭和に入り、ひたむきなキリスト者、冨山昌徳(注2)等の祈りも加わったが、すべてのわざには時があり、神がこれらの祈りを聴かれこの狭隘、固陋、頑迷の地に「水戸無教会」の小集会を発足せしめ給うたのは、一九五四(昭和29)年六月一三日ー今から五〇年前のことであった。

 今年、この内村の祈りの年から一〇〇年、集会発足の年からは丁度五〇年という恩恵の年、節目の年を迎えた私たちはこれから何をなすべきであろうか。この事に関して私は最も重要、極めて基本的な事柄として次の二点を挙げたい。先ず第一になすべきことはこの長年月の間、御与え下さった神の大いなる御恩恵と深き御導きとに対し心からの感謝を捧げ、詩篇一五〇の詩人のように「ハレルヤ」と幾度も神を賛美することであろう。また既に召された方々が多いが、信仰の師や先輩諸兄姉に対し深く感謝の意を表すべきであろう。

 そして第二になすべきことは、「無教会はこれで良いのか」、「これから無教会はどうあるべきか」の声に真剣に対処しつつも、より大切なことは次の五〇年に向って私たちの歩むべき信仰の方向、方途をしっかりと確認することであろう。私は本集会の会員各位がそれぞれ自己の問題として真摯にこの確認をなすための一助として、キリストの僕、本集会の良きリーダーであった故・半田梅雄(注三)の次の一文を二読、三読されることをお勧めしたい。

 

 <ただキリストと共に>

 

 一昨年一二月、鈴木俊郎先生をお迎えしてから、昨一九五四年に於ける福音の水戸攻撃は凄まじいものがあった。黒崎幸吉、矢内原忠雄、斉藤茂の諸先生の相次いでの来水、間接的にではあるが塚本虎二先生もこれに参加せられて、松本兄の表現を借りれば、正に水戸城の石垣は崩されたのである。一方には水戸学に基礎を置く伝統的国粋主義、他方には零細な商業都市として根深い実利主義、それに加えて敗戦後のたい廃的風潮と、水戸人の性格からくる激烈な革新的傾向等、頗る複雑な思想的背景をもつ水戸市、而してカトリックとプロテスタント諸教派の教会もそれぞれに根城を持っている水戸市。

 ここに神は、福音のみを武器とする新しい、そして最終的攻略を開始されたのである。これに用いられるものは無名の公務員、商人、農民等に過ぎない。その力は極めて弱く、その声は甚だ低い。然し思い見よ。ガリラヤ湖畔におけるイエスの伝道の最初の弟子の数人は、実にただの漁師の息子たちに過ぎなかったことを!!社会的身分、学問の多かが福音を決定しない。進むも退くも神御自身のみ意(こころ)による。水戸無教会は神のみにより頼み、神と共に歩む。ただキリストと共に進むところ〝勝利はすでに我が内にあり〟である。

 

 私は本集会発足に当って記されたこの文章をー形は全くの小文、短文ではあるが、五〇年後の今もなお読むごとに、強く激しい感動に心が突き上げられてくるのを禁じ得ない。なぜなら本集会発足のために労した数人の人たちの、ただキリストと共に進まんとする「燃える心」、「熱き祈り」、「溢れる感謝」に、ラオデキヤ的信仰の私の心は圧倒されるからである。そしてこの半田梅雄の文章熟読の勧めとともに、次の五〇年に向かっての私たちの信仰の方途をより明確に確認するため、私は更に次の若き姉妹(注四)の提言も紹介したいと思う。

 

 <無教会の中で考える>

 

(前略)私は思うのです。無教会の存続を危惧する年配の方々の声を聞くにしても、また、無教会集会に集う若者の絶対数は多くはないという事実を認識するにしても「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ伝、633)にある、無教会の原点、すなわち、組織や形式に縛られず、導かれるままに営まれる聖書と神様を中心としたキリスト教のあり方は、必ず継承していくであろうと。無教会集会は信仰の先達の「燃える心」で始まった信仰の群れであり、自分もその「燃える心」を受け継いだものであることを大いに誇りに思い、その「燃える心」を自信をもって語り継いでいきたいと願います。だから、無教会集会の存続ということよりも、むしろ「燃える心」の存続について問い直す作業を、少なくとも自分自身に、課していきたいと思うのです。知識も能力も足りない一人の小さき器でも、素の自分のままで、救われた喜びと福音に預かる喜びをもっとオープンにできないものでしょうか。聖霊に満たされた喜びと感動を他の方々と共有できないものでしょうか。

 私にとって伝道とは、イエス・キリストの救いを賜った経験と感動、つまり聖霊を通して与えられた燃える心を、ただ率直に伝心することであり、素の自分のままに、救われた喜びと感動を伝えることなのです。(以下略)

 

 この姉妹の文章は昨年の「無教会全国集会」で発表された「若者と伝道」の中の一部であるが、その発表は終始聴衆に強い感動を与えたという。今回はその発表のごく一部の提示ではあるが、この部分だけでも私たちは強い感銘と感動を与えられるであろう。そして更に私たちは姉妹のこの文章が半田梅雄兄の文章と併せ、私たちの信仰確立のために貴重な資料となることを知るであろう。恩恵の年を迎え、私たちのなすべきことの第二項 これから私たちが歩むべき信仰の方途確認や信仰生活の基盤確立のために、また日曜の集会が単なる聖書の注釈や評論的発表の場とならぬように、加えて集会が人間中心主義や世俗主義の団体に陥らぬように、すなわち集会員と集会の霊的生命の枯渇を排するためにも、私はこの二文が本集会のすべての会員によって何度も熟読されることを重ねて要請するものである。

 

(注1)内村鑑三主筆「聖書之研究」第25号、頁79(明治359月発行)

(注2)稲場満・山下幸夫編「内村鑑三の継承者たち」(教文館)頁193240の山下幸夫の論考「冨山昌徳-日本景教史の開拓を試みた市井の伝道者」を参照されたい。

(注3)半田梅雄「小さき十字架・一日本人求道者の手記」(水無叢書IV)(キリスト教図書出版社)頁5960。六〇〇頁の同書の中にキリスト者・半田梅雄の自伝的文章や信仰的文章および聖書研究等が収められている。

(注4)姉妹-久保(旧姓・服部)信代・・・「無教会研究-聖書と現代」第7号(無教会研修所)頁119120。なお同姉は本集会を愛し、二十数回にもわたり直接私たちを御指導下さった独立伝道者、藤沢武義先生の令孫。本集会の会員であった故・服部洋司良兄のご長女に当る。(無教会自由が丘集会・会員)