「家庭礼拝の手がかり/からし種一粒の信仰」(諏訪熊太郎)

「家庭礼拝の手がかり/からし種一粒の信仰」(諏訪熊太郎)

 

 これは、1956年3月31日、諏訪熊太郎(1890~1975)が、水戸無教会で行った講演の概略です。

 諏訪熊太郎は、山形県出身の無教会伝道者で、内村鑑三に学びました。彼は、内村鑑三から洗礼を授けられましたが、内村が洗礼を授けたのは、亡くなる直前の娘ルツ子など、ごく少数の者に限られています。

 内村は、諏訪熊太郎について、「聖書之研究」に次のように記しています。

「那須利三郎翁、東北巡遊より帰り、山形縣鶴岡に於ける、諏訪熊太郎君の伝道振りに就き委しく傳へてくれ、涙がこぼるる程嬉しかった。前号に於て為せる『東北は日本の尻尾なり』との暴言は取消さねばならぬ。神は到る所に福音の善き証明者を有し給ふ。人の力ではない。神の能である。聖霊により、イエスを主と呼びまつる事が出来て、我らに他になんの資格なきも、彼の善き証明者となる事が出来る。人生何が幸福なりとて救主イエスを発見して福音の役者となりしに優さる幸福はない。其の意味に於て諏訪君は最も恵まれたる人である。」

 諏訪熊太郎は、重い精神障害を患う妻を、終生世話しつつ、農村の巡回伝道に従事するほか、鶴岡聖書研究会で聖書を講じました。

 なお、講演の一部に、現在の基準では不適切な表現が含まれていますが、歴史的な文書ですので、そのまま記載しています。

 では、最初に、聖書をお読みします。ルカによる福音書17章5節から10節です。

 

使徒たちが「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。

あなたがたのうち誰かに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい。』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」(新共同訳)

 

からし種一粒の信仰

諏訪熊太郎

 

   私は百姓だから学問上の話は出来ない。ただ四十何年かの信仰生活を微力を盡して生きて来た。長い生涯の中で、これは尊いということについておわけしたい。

   今晩は私の知った正しき信仰について語りたいと思う。ルカ伝十七章五節~十節迄を読んでみると、弟子たちとイエス様の信仰についての考え方が違っていることに気がつくと思う。イエス様は、からし種一粒ほどの信仰で差支えない、大きくても小さくてもよろしい、それが大きな働きをするのだと仰言る。弟子たちは、信仰とは、精神力とか、霊力とか、信念の如きものを指したのである。前から弟子たちは、何度も信仰がうすいとか、よわいとか叱られて来た。湖が荒れて船中で弟子たちがおそれた時、「なにゆえ臆するか信仰うすき者よ」と言われたし(マタイ伝八の二六)、パンを携えることを忘れた弟子たちが、そのことにこだわり語り合った時、「ああ、信仰うすき者よ、何ぞパンなきことを語りあうか」とも戒められた(マタイ伝一六の八)。

   第一の事件は、今日で云えば戦争などの危機であり、第二のは、生活問題の危機とも云えるだろう。だから弟子たちは、どんな危機に直面してもびくともしない泰山のような信仰を望んだのであろう。それが「我らの信仰を増し給え」という希望となったのである。それに対してイエス様は「もし芥子種一粒ほどの信仰あらば、此の桑の樹に〝抜けて海に植れ〟と言ふとも汝らに従ふべし」と仰せられた。この言葉は弟子たちにイエス様が直接言われた言葉であるからこの中に眞の信仰が語られていなければならない。

   私は一粒が大切だと思う。全人格でなければならない。半粒ではいけない。どれ程偉大でも半分では駄目だ。粒のまゝ全人格を委ねることこそ眞の信仰である。三位一体の神学上の問題などどうでもよろしい。神が人間を救わんが為に手をのべられた。この手がキリストである。手であってもこれは神である。手をのべておられる神にどうして委ねないか。片わでもあほうでも、馬鹿でも何でもよろしい。天分なんか問題ではない。それは幼子のような信仰でなければならない。エス様がお話をしている時子供が傍に来たら弟子たちが外え押しやろうとした。するとイエス様は子供を邪魔にしてはいけない。天国はこのような者のものだと仰言られた。これは子供のすることなら何でもよいというわけではなかろう。イエス様が言う幼子の特性は、母に対する信頼の態度であったに違いない。幼子は全部を母親に投げかけて何が来ようと母の懐にありさえすればびくともしない。マタイ伝十六章でペテロが、「なんぢはキリスト、活ける神の子なり」と言った時、イエス様は大変およろこびになられた。然し、イエス様を神の子というだけなら、ゲラセネで、悪霊につかれた者でもそう叫んだ。とすればこれは言葉だけの表現の問題ではない。ヨハネ伝六章でもそうである。「人の子の肉を食はず、その血を飲まずは、汝らに生命なし」と仰言られた言葉に多くの人がつまづき去り、再びイエス様と歩まなかった時、「なんぢらも去らんとするか」と十二弟子に問われた。この時、シモン・ペテロは答えて云った。「主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言葉は汝にあり、又われらは信じ且知る、汝は神の聖者なり」と。ここにペテロの絶対的な信頼がはっきり示されている。

   又ルカ伝十五章の放蕩息子のたとえでもそうである。我がまゝな次男坊は、出てゆく時は堂々と出ていったが、乞食よりも甚くなって帰って来た。しかし、出てゆく時は心が離れていた。即ち失せた人間である。ところが今は無条件でお父さんのもとに帰って来た。それが失せたものを得たのである。

   これこそ正しき信仰であると確信する。その結果はどうなるか、桑の木に移れと云えば海に移る。信ずるものにはなし得ないことはない。全能になるのである。

   私はこれは誇張だと思った。一昨年私はここにひっかかった。しかしにらめっこをしているうちに、これがわかった。イエス様が弟子たちを前にしてほらを吹くはずがない。これがそのまま本当だと確信した。何故か。私たちが救われたということは、桑の木の移るどころでない大きい事実である。我々は生れのままで罪と、とがによって死にたるものである。そのくされ死んだ者に永遠の生命が与えられた。場所的に云えば地獄より天国に属するものとなったのである。

   しかしある人は言うだろう。「それは神のみ旨、み力によって与えられたのだろう」と。そういう時、イエス様はいつも仰せられた。「汝の信仰が汝を救ったのだ」と。ルカ伝十一章十九節、同じくルカ伝十八章四二節をよく見て頂きたい。医したのはイエス様である。しかし盲も癩病もイエス様を信じたので医して頂けたのである。信頼しなければエス様もなす術はない。エス様は名工である。どんな屑ガラスでも工場えゆけば立派な器になる。同様に全人格をエス様におまかせする時、エス様は私たちを救って下さるのである。

   又歴史上桑の木が海え移ったことなどないという疑問もある。しかし私は思う。必要でないことは起らなかったのだと。ペテロ後書三章十節から十二節を見ると、来るべき日に必要とあらば、天地のすべてを燃え崩したもうであろうともある。このことは私一人が信じていることではない。信ずるクリスチャンすべてがそうだったのである。

   さてルカ伝十七章にもどって十節のところであるが、人間の主人と同様に、神様は随分無理だと思うようなことをも為せと云われることがある。どんなことでもやらなければならない。そして命じられたことをみなしてしまった時、「わたしたちはふつゝかな僕です。すべきことをしたに過ぎません」そう云えるものにならなければいけない。

   再びはじめにもどると、弟子たちの考えるような信仰即ち霊力や信念に頼るものは神の前に自力を誇るようになるだろう。しかし、からし種一粒の信仰者は救われた事をただよろこび、誇りはすべて主によるのみであろう。

 

   自分が駄目だということがわかればわかる程よろしい。キリストを知れば知る程よろしい。そして益々み業にあずかることのみをねがうようになるのである。