「家庭礼拝の手がかり/私の信仰 第1回」(諏訪熊太郎)

 これは、1969年1月に、内村鑑三の直弟子であった諏訪熊太郎先生から、水戸無教会の半田梅雄兄に送られた手紙です。諏訪先生は、1962年に羽黒山聖書講習会で、「私の信仰」と題する講演をされましたが、その原稿を清書して半田兄に送って下さいました。諏訪先生のお手紙と「私の信仰」の原稿は、水戸無教会誌第68号(1969年発行)に全文が掲載されています。今週と来週の2回に分けて、ご紹介します。

 

   諏訪先生からのお手紙

 

   ご丁寧な新年御賀状ありがとうございました。

   病弱の私も今度八十の新春を迎え驚嘆感謝致して居ります。次に過日古い物を整理して居りました時に先年羽黒山で話した時の原稿に目が止まり、どんな事だったかと読んで見たところ、今日の私の信仰そっくりであり、且つ自分の信仰というものをこれほど纏めて話した事もなかったので、価値の有無は別として、ともかく自分の記念品としては良いものと思われました次第、それで閑暇にまかせて清書をしましたので、一部同封申し上げます。御ひまの時にご笑覧頂ければ幸甚に存じます。

   主の御恵み貴家に豊かに加えられますよう御祈り申上げます。

 一月十四日

(半田梅雄あて)

 

私の信仰

昭和三十七(一九六二)年七月二十八日

羽黒山聖書講習会にて話せるもの

諏訪熊太郎

 

(ピリピ人への手紙第二章十二節~十三節)

私の愛する者達よ、そういう訳だから、あなた方がいつも従順であった様に、私が一緒に居る時だけでなく、居ない今は一層従順で居て、恐れ慄いて自分の救いの達成に努めなさい。

あなた方の内に働きかけて、その願いを起させ、且つ実現に至らせるのは神であって、それは神の善しとされる所だからである。

 

   黒崎先生から、私もお話をする様にとのお言葉を、ずっと前から頂いて居りましたが、私としてはどうしても其の気に成れなかったので、固くお断りをして参ったのでありましたが、最近になって又々そのお勧めを頂いて見ますと『どうも之れ以上の御辞退は宜しくない』との気持ちが起って参りましたので、ともかくお受けを致した次第でございます。

   併し私には、元々学問の事は判りませぬから、然ういうお話は出来ませぬし、私に出来る事は唯だ一つ『自分の所信を陳べる』という事のみなんであります。で、それを陳べて見たいと思います。題をつけるとすれば『私の信仰』であります。

   私は元来、からだが弱く、今まで生きて居る者とも思われなかった関係もありまして、信仰の重要問題に就ては疑問のある侭に放って置く事は出来なかった。で、拙速かも知れないが、自分なりには解決がついて居りますので其れの若干を陳べて見たいと思います

 

(一)  救いの事

 先ず第一に『自分は救われて居るかどうだろうか』という問題です。その点に就て私は『私は救われて居る』と確信して居る者であります。そして其の証拠は如何と問われるならば私は答えます。

 私はイエス様を救主と信じて居る。そしてそのイエス様から救って頂きたく、イエス様に信頼をして居る。之れが、私がイエス様から救われて居る事の何よりの証拠である。

と答える者であります。何故か、と言えば、イエス様は、御自身に信頼する人である限り、絶対に捨てる事は無い、必ず救って下さる御方に在すからであります。

 で、只今現在、そういう風に救われて居る事は間違いないですが、では之れから将来は何うだろうかという事になれば、私は大丈夫と思って居ります。何ぜかと言えば、私がイエス様を信じ始めてから今日に至るまで、約五十年の生涯でありますが、その間というものは、それは見様によっては『イエス様と私との結び付きの堅くされる為めの訓練の生涯であった』と言うべきものでありました。訓練でありますから、それは生まやさしいものではなかった。時には其のきびしさに、結びの綱も断ち切れやせぬかと危ぶまれる事もあった様なのでありましたが、併し結局のところは、何うやら斯うやら切り抜けて今日に至りました。そして然ういう風に戦いを切り抜けて参りますと、其の度び毎に、イエス様との結び付きは愈々堅固なものにされるのでありました。ですから今では其の結び付きは相当に堅固なものとされて居りますし、これから将来之れが断ち切られるという様な事はあり得ない。イエス様は必ず救いを全うして下さる事と堅く信じて居る様な次第であります。

 では斯うして救いを頂いて、将来その救いが完成されます場合に、私はどんな風にして頂けるだろうか?という事になれば、私は其処に思いの至ります度び毎に、実は心の躍る思いを禁ずる事が出来ないのであります。先ず何よりも嬉しく思います事は、心を清めて頂く事です。私は今の自分の心の有様を眺める時には泥沼を眺める様な気がします。全然、天に適わしからぬ、地獄向きの精神だと思って居るのです。そこに気がついた時、昔は苦しみました。併し今ではそれが為めに心を痛めるという事はありませんのです。然ういう汚ない有り様を今更の如くに強く感じさせられる事が、今でも屡々ありますが、然ういう度び毎に私は、自分をば思いっきり軽蔑します。『ざまあ見ろ!此の姿よ!』然るにこんな奴をすらイエス様は、立派な立派なイエス様と同様な、あの愛の心、あの清い心、あの気高い心に完成して下さるのだ。何という感謝であろう。と、自分の姿の醜さを見れば見るほど、イエス様への感謝が湧き上がって来るのであります。

 而かもイエス様の救いの御業は尚も高く進められるのでありまして、然ういう清められた精神に適わしい所の身体が与えられる事になりますし、更に、それに適わしい所の住所も与えられる事になります。即ち今の此の肉体は死んで腐敗しようと灰になろうとイエス様は御自身の復活体と同様の栄光の体を与えて復活さして下さる。「彼は万物を御自身に従わせ得る力の働きによって、私達の卑しい体を、御自身の栄光の体と同じ形に変えて下さるであろう」(ピリピ三・二一)とあるが、全くその通りにして頂く事に相違はないのであります。そして、然ういう者達の住むに適わしい住み家即ちいわゆる「生ける神の都」「天のエルサレム」に住ませて下さる。そして其の処に於ける非常な栄光の御交りに入らしめ下さるに相違はないと信じて居るのであります。之れ、今の私の確信であります。

 

(二)聖霊の事

 次には聖霊の問題です。聖霊を受けたとか受けないとか、よく問題にされる様でありますが、其の聖霊、即ち神の御霊が、今、私に宿って居られるであろうか、何うであろうか、と言えば、其の事に就ては私は『私の中には聖霊宿って居られる』と確信致して居る者であります。それは何によって判るかと言えば『私はイエス様をば救主と信じ、そのイエス様に信頼をして居る』此の一つの事実です。これが、聖霊私の内に宿って居られる事の何よりの証拠であります。何となれば「聖霊によらなければ誰れも〝イエスは主である〟という事が出来ない」( コリント第一、十二の三)と明記してもあるし、又、パウロは、あの欠陥の多いコリントの信者達(声を大にして叱らなければならない様なあのコリントの信者達)に向ってさえも「あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿って居ることを知らないのか」(コリント第一、三の十六)苟もキリストを信ずるあなた方の内には聖霊が宿って居なさるのですぞ、従ってあなた方は神の宮であるのですぞ、と呼びかけて居る様な次第なんでありますから『イエス様を救主であると信じてそのイエス様に信頼する者に成って居る』という其の事実は、これ、聖霊が我が内に在すという事の何よりの証拠であると私は思って居る者であります。

 

 で、私には、奇跡を行う力もなければ、異言を語る事もないのですが『私の内には貴き聖霊が宿って居られ、私は聖なる神の宮たる者である』という事は少しも疑う所なく確信致して居るのであります。