「家庭礼拝の手がかり/ただキリストにありて」(劉熙世)

 これは、韓国忠南大学校の教授であった劉熙世先生が、1966年1月9日に、水戸無教会で行われた講演です(水戸無教会誌第54号に掲載)。劉先生は、ヘブライ語研究のために来日されましたが、来日の動機は、内村鑑三の説く純福音主義のキリスト教に接し、韓国のよりよき独立に寄与するため、引いては、日韓両国民の真のかけ橋たらんとされることでした。

 

ただキリストにありて

劉熙世

 はじめに聖書を読ませて頂きます。

 ロマ一〇・十二~十三

「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、〝主の御名を呼び求める者は、すべて救われる〟とあるからである。」

 

 ガラテヤ三・二十七~二十八

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。」

 

 コロサイ三・十~十一

「造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。」

 

 今日はからずも水戸へ参りまして、この集会へ出席させて頂き、霊の糧をたくさん恵まれたことを、心から感謝いたします。霊の糧の力は、限りないものでありますから、頂いた教えを、十分消化するように、許されますれば帰りましてから祈らせて頂きたいと思います。

 先程御一人御一人紹介して頂きましたが、私の方から何も申し上げておりませんので心苦しく思います。

 そこで、御挨拶をかねて、私がここに参りましたいきさつなどについて申し上げたいと思います。

  まず日韓の関係についてでありますが、政治的ないきさつについては、私の不得手とするところでありますし、その任でもございません。またそうした場合、大がい〝韓国が正しかったのだ〟という前提に立たせられるので困ります。私は、一つの固められた立場に立ってものを語るのでなく、どこまでも、良心に恥じない真実に立って語りたいと思います。

 こちらに来て三ヶ月経ちました。この間に一番強く学ばせられていることは、日本に対して、韓国が比較的正しかった、ということが、全然成り立たないということであります。これは、私が皆様の前で御機嫌とりにいうのではありません。またここで何を言っても迫害にあうことがないからいうのでもありません。私は神さまの前に立たせられて、このことは、真実正しいと思うのであります。

 聖書は隣人愛について教えておりますが、それはただ相手の誤りを赦すことで十分でしょうか。わたしにはどうしてもそう思えない。一体、他人の誤りを赦すことが人間にできるだろうかと思うのです。

 〝主の祈り〟の中で問題になるのは、私の罪であって、私たちは、これを神さまから赦して頂いて、始めて隣人を赦す力も与えられるものと思います。

 これは、個人の問題であると共に、民族についても同じことがいえると思うのです。この意味で、神さまの前に立つ時、韓国は正しかった、ということはいえないと思うのです。

 金教臣先生の「聖書朝鮮」にある話ですけれど、こういう話があります。

 「静岡県にある米屋さんがあった。朝鮮人の中で、この米屋さんから米を買っていた者がある。そういう者が、二、三ヶ月分の米代を未払いのまゝどこかへ転居してしまう。それが一人ではない。二人も、三人もそういうことをする。けれども米屋さんは、それをいつも赦していた。」

 金先生は、このことについて、こう申されました。

「この米の一つ一つを完全に返済するまで、私たちの罪は赦されない」と・・・・・。

 もう一つは、私の友人であります佐藤さんの引揚げ時の話です。この人は長い間朝鮮におった方ですが、ほんとうに着のみ着のままで帰って来られた。

 引き上げられる時、大田という町(それは今私の住んでいる町です)の収容所で半日程待たせられたそうです。その時、韓国の運送会社が荷物の運送を引き受け、荷物にそえて運賃までとったそうですが、その後二十年、一こうに荷物の行き先は分らないというのであります。終戦直後のどさくさまぎれとはいえ、私たちはこのように不信実な民であります。私共はこういう人の話を聞きますと、それをよそ事として考えることが出来ない。非常に恥かしい思い、そして激しく負い目を感じます。それにこういうことを数え上げだしたらきりがないことでしょう。それよりも、もっと大きな負目は、教育です。韓国の教育は、排日教育です。日本が敗けた日から、排日教育をやっている。うらみがあったにしてもその日からすっかりなくすべきであったのに、京城には、抗日運動をした人たちの銅像がいっぱいあります。憲法の序説も排日から書きだしている。今回の国交正常化で、政府は急に排日教育を訂正しようとしています。

 つい最近の朝日新聞の夕刊に、韓国への深い同情の記事が掲載されておりました。その論説はそれなりに十分意味を持っていると思います。しかし、そこにでてくる韓国の人々の対日感情をそのまま当然のこととして受取ることに、私は必ずしも同調することができません。隣人を愛し、隣国を愛するのでなければ、ほんとうに正しい愛国の態度とはいえないのではないか。

 これは、キリストを知らない人にはいくらいっても通じないことですけれども、エレミヤのように、迫害されながら、愛する故のたたかいをたたかわざるを得ないと思うのです。そこに私たちのつきない祈りがあります。

 

 韓国の無教会について

 ほかの人のことはともかく、私のことを申しますと盧平久先生の雑誌や日本の無教会の先生方の雑誌を読ませて頂き、小さな家庭集会を持つようになりました。昨年、政池先生が韓国においでになり、私が先生のご講演の通訳をしたことなどが機縁となりまして、日本へ来らせて頂くことになりました。

 韓国には、教会がたくさんあります。多分日本よりも多いかも知れません。李承晩氏も教会員でした。しかし、教会信仰が底が浅いものであることは、その実である行為を見ればわかります。勿論韓国で無教会だけが、底の深いものであると、自負する心は毛頭ありません。私たちはみな、神の前に虫けらにすぎない者であります。そして韓国の教会のおちどを、そのまま私たちの、私の責任として痛感するものであります。

 内村先生が説かれたのは純粋な福音であったと信じます。金教臣先生も内村先生も共に愛国者でした。お二人共、真の愛国者でありました。韓国の兄弟姉妹たちは、このことを強く学んでいます。内村先生から、ムキョウカイを除いてもなお残るものがあります。それが愛国心と福音であると信じます。私たちはそれを学びます。金先生もそれを強く教えられました。

 今度、私が日本へまいりますときに、兄弟姉妹たちの激励の言葉は、〝純粋の福音を学んで来い〟ということでありました。私たちは、それがなければ韓国は立てないと思っています。

 今日、こちらへ参りまして、あたたかい友情に接し、心から感謝しております。ただ私は、こちらの形式をそのまま真似ることは出来ないと思います。しかし、純粋の福音を受けることは出来ると思います。今朝、こちらへ来ながら、吉原先生が仰言った〝純福音が日本人の血を潔める〟そのように、韓国人の血を潔めて欲しいと切に希みます。

 最近韓国では、キリスト教の土着化ということがさかんに聞かれます。しかし、韓国へ福音が伝えられてから何十年も経た今日において、今さらキリスト教の土着化をいうのはおかしい、それ程韓国ではキリスト教が韓国人の血となり、肉となっていなかったことが分り出したわけです。

 私たちは、金先生が教えられたように、キリスト教を消化したい。

 極端なことをいうようですけれども、金先生の、お書きになったことばの中に次のような意味のことばがあります。内村鑑三の戦った戦からも、ルターの抗争からも、パウロの弁論からも離れ、それと全く無関係であってもよい。ほんとうにキリストのみにつながることが必要だというのであります。その時、始めて、真のキリストによる一致ができる。それが真の無教会であると私どもは信じます。

 たしかに日本のムキョウカイは正しく立派でしょう。しかし、それをただ形の面でだけ真似て、寄生虫のような存在であってはならないと思います。それは韓国を益するどころか、甚だしい損失だと思います。先日鶴田先生にそのことをお話しいたしましたら、〝そうだ〟と仰言っておられました。

 昨年六月、日韓問題で昂奮している京城(ソウル)で、盧先生は、「内村鑑三先生の生涯と信仰」と題して、堂々と講演をされました。真の福音は、人間を大胆にします。形だけ真似たのでは、ほんとうの勇気は出ない、従ってほんとうの独立もないと信じます。

 新田先生と政池先生が韓国へおいでになって、日本人として公式に、韓国人の前に謝罪のことばを申されました。それは実に私たちの肺腑に迫るお言葉でした。政池先生も新田先生も無教会の先生方であったということは、偶然でないと思います。私はお二人の先生の背後に日本の教友の皆さんのお祈りが天使の翼となって守護していたことをまざまざと見るようにすら感じたものであります。

 無教会の生命とするところは、独立であり、自由であると思います。それから当然、多様性が出てまいります。この多様性に一致を与えるものは、キリストの十字架であると思います。それが主にある愛となり、寛容となり、赦し赦されることとなると思います。マタイ伝七章十二節のことば「何ごとでも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとうりにせよ」の通りです。

 私は、政池先生がそしてその前に新田教授が、まっさきに韓国に飛んできて下さったことの中にそのような愛を感じ受けるものであります。

 私が今度日本に参ります時に、或人が止めに参りました。「日本に行ってはいけない」というのです。「韓国は、日本の隷属から脱して、ようやく独立したんだから今一番大切なことは、主体性を持つことだ。そのためには、アメリカやイギリスへ行って実力をつけ、それから日本と相対すべきだ。」というのです。そこで私は申しました。「盧先生も仰言るように、〝韓国はたしかに真の独立を打ち立てなくてはならぬ。そのためには、真の独立を学ぶ必要がある。その独立を内村先生の信仰から学んでくることだ〟それが私の目的である。」そういって、私は日本へやって参りました。

 韓国にとって、韓国の内村といってよい金教臣先生は、終戦直前に亡くなられました。しかし、金先生が基礎工事をして下さった。先生が韓国の真の独立の基をすえて下さったと私は思います。

 

 それから二十年たちましたので、少しは事情も変って来たかも知れません。しかし、いかに外側の事情が変ったにせよ、金先生のすえられた独立の基礎石は動かしてはなりません。その上に独立の家を作ることが、私たちに課された大きな責任であると思うのであります。その基礎石は、とりもなおさずキリストの十字架であります。