「家庭礼拝の手がかり/過去のキリスト者から学ぶ」(服部洋司良)

 これは、1967年12月に、服部洋司良兄が、水戸無教会で行なった講演です。

 服部兄は、日本原子力研究所に勤務され、放射性廃棄物の処理技術の研究に従事しましたが、56歳の若さで、天に召されました。

 服部兄は、岳父に当たる無教会独立伝道者、藤澤武義先生を心から尊敬し、藤澤先生の伝道を身を挺して支えました。

 

過去のキリスト者から学ぶ

服部洋司良

 本稿は昨十二月十七日水戸集会において、お話したものであリます。

 イエス様が復活されましてから後、キリスト教が生れまして今日で約二千年の歴史がございますが、この間に本当に生命力あふれる平和の歴史を作り出したのは、やはり、キリスト教の純粋な福音を信じ、守りぬいた人々によるものが多いと思います。

 そのような人々は多数あげることができますが、その中にメイフラワー号で新大陸に渡った清教徒人々があげられると思います。彼らが信仰ゆえに多くの困難をへてプリマス植民地に渡航し、そこに新らしい社会を建設する最初の開拓者となったことは、あまりにも有名でございますが、そのような大きな働きをするにあたり、彼らがどのような信仰をもって臨んだかにつきまして、石原兵永先生の書かれた「清教徒」の中の一部を読んでみたいと思います。

「ロビンソンおよびピルグリムたちの信仰にとっては、まず第一に、神は宇宙独裁の主であった。人間のための神ではなく、神のための人間と世界であった。神の栄光は、人間の幸福にもまして無限に大事であった。神の栄光こそすべての善の原因であり根底であり、実質なのであった。彼らの信仰生活は、この厳の上に建てられていたのであり、神の前にはひとまず、一切の人間的要求が否定される信仰であった。しかしこのような清教徒の信仰と神学こそ実際においては、最もつよく人間の自由と尊厳とを保証する結果となったのである。

 神の御名があがめられるならば、自分の霊魂は地獄におちてもよいと信じた彼らには、もはやこの世に恐るべき何ものもなかった。人間の意志の自由を求めたのではない。神の聖意の実現を求めたのである。みこころの天のごとく地にも成らんことを目的としたのである。この目的をもって進む彼らの前には、越えがたい困難はなく、たえがたい迫害もなかった。『ゼルバベルの前にあたれる大山よ、汝は何者ぞ。汝は平地とならん』(ゼカ四・7)である。

 彼らは力づよい神を信じた。それゆえ力づよい人間となった。真に自由自主の神を信じた。だから人間社会にあって不屈不撓の自由の戦士となることができた。人間の自由と人民の利益だけを第一に求める近代世界のヒューマニズム、コムミニズムなどが、結局において人間を解放することができず、むしろ人間を非人間化し、奴隷化する方向にみちびきやすい現実を思うとき、ピルグリムたちの存在はまことに意味深いものがある。

 しかし彼らは、多くのキリスト者が考えるように、この世を化して神の国としようとしたのではない。その反対に、この世と戦って、この世に対して信仰の証明をしようとしたのある。信仰をもってこの世を支配するのではなく、この世にあっては『みずから旅人また寄寓者』と信じた。彼らの国籍は天にあった。(ピリビ三・20)そして天に属する者として、この世に対しては最後まで戦うところの、いわゆる、『戦闘の教会』となったのである。『かくて彼らは神を畏れて世と人とを恐れなかった。而して独一の神を友として持つ以上は全世界を敵として有つも恐れずと信じた。実に御し難き民とて彼らのごときはなかった。然れども清廉にして潔白最も信頼すべき民であった。英国は彼らを失って其最良分子を失ったのである。而して最も不思議なるは、世を敵として有ちし彼らが最も徹底的に世を善化した事である』(内村鑑三) 」

 このような勇気にみちた神の栄光のためのみ思う信仰に大きな感銘を受けるのでごぎいます。

 しかしながら、私が最も感銘を受けますのは、彼らのこのような勇ましさとその信仰よりも、プリマス植民地における彼らの生活であります。彼らが如何に困難に耐えて生活したか、やはり「清教徒」の中に次のように書いてございます。

「しかも新大陸に渡ったこの二三三名のうち一六二三年の終りまで生き残ったものは約一八〇名であった。したがって五十余名が死亡したことになる。そしてその死亡者のほとんど全部は最初にメイフラワー号で到着した人たちであり、彼らは第一年の厳寒三ヵ月間における犠牲者であった。アメリカ建国の最初の基礎となったプリマス植民地は、実にこれらの人たちによって築かれたのである」

 メイフラワー号で渡航した清教徒達の行動が単に冒険心や信仰を世に宣伝するためでなかったことは、彼らの植民地における多くの苦難に負けない地道でひたむきな生活を知って明らかであります。神様はこのような、むしろ、めだたない、ひたむきな生活の中にこそ、長い年月を通して祝福を与えて下さるように思えるのでございます。

 また、このような地道でひたむきな働きを通して神様の栄光を表わした人々として、西ヨーロッパにおける宗教改革以後の自営農民層、小市民層の人々もあげられると思います。

 さらにまた、初代キリスト者達の信仰にも、この世的に一見、意くじなしと思えるほどのめだたない静かな働きがあったように思います。エルサレムにおける初代キリスト者達はユダヤ戦争時において、同胞の戦いの中にもかかわらずエルサレムを脱出したのでありましたが、この当時のキリスト者とエッセネ派の人々との行動の対比につきまして、秀村欣二先生は「新約時代史」の中で次のように書いておられます。

「ここで注目をひくことは、ユダヤ戦争に際してキリスト者とエッセネ派のとった行動との対比である。エッセネ派の教説や生活様式について記すことは後の機会に譲るが、彼らは禁欲的遁世的性格をもち、とくに平和を愛好して血を流すことをきらい、彼らの手工業者は武器を製造することを拒んだがユダヤ戦争が勃発すると、決然反ローマ武力抗争に参加したのであった。有名な現在のユダヤ人学者クラウスナーはその名著『ナザレのイエス』の中で、ジャコバン的な熱心党とは平素全く相容れないエッセネ派が民族の危難を偕にし、戦線の主要な一翼を擔ったことを激賞し、彼らに対してユダヤ人キリスト者は愛国者でなく、個人の霊魂の救済のみに終始したと批判している。しかし正にこの対比にこそ、エッセネ派をも含めたユダヤ教とキリスト教の差異が看取され、何れが真に愛国的であり、神の国の到来を求める者であったかは歴史が立証した。『剣によって起つ者は剣によって滅ぶ』(マタイ二六・52)民族の運命の刻々と縮まる中に恐らく卑怯者よ、裏切者との非難と罵声を後にして断腸の想いをもってエルサレムを去ったキリスト者によって福音の本質は守りぬかれたのであった。」

もちろん、これには、イエス様の再臨が間近に迫っているという信仰が当時のキリスト者にあったことと「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。その時、ユダヤにいる者は山へ逃げよ。市中にいる者はそこから出ていくがよい。ーー」(ルカ二十一20)というイエス様の御言葉を自ら実感し実行したのでありましょうが、このような行動を通じて神様が栄光を表わされましたのは、大いに感銘を受ける処でございます。

 ここで私自身のことで大変恐縮でございますが、信仰をまったく知らなかった頃の私はこの世でいったいどのように生きていったら良いかさっぱり解らず、私なりに随分悩んだり致しましたが、その後聖書と主にある先輩の御指導によりまして信仰に導かれましてから、清教徒などの本を読み、当時のキリスト者の生活を学びまして、人生に希望がわいてまいりました。それは、何か大きなことをしてやろうというよりも、とにかく私なりに、この貧しい体と悪るい頭をもって、精一杯生きてみるファイトがわいてきたのでございます。それは復活のイエス様が伴にいて下さいますので何も心配事がなくなったからでございます。

 この度、吉原様御夫妻を始め主にある諸兄姉の御愛労によりまして私にも結婚が許され、思うに増したる主の御恩恵に心から感謝致しております。共に考え共に働いてゆく伴りょと家庭を与えられましたことは、ますます、大きな希望とファイトがわいてまいります。

 私自身の一人よがりになっている面も多くあったことと存じますがこれで終らせて頂きます。