「家庭礼拝の手がかり/四福音書によるイエスの復活」(小山祐子)

四福音書によるイエスの復活

小山祐子

 

 最初に、本日の聖書をお読みします。ルカによる福音書24章28~35節です。

 

 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊るため、中に入られた。そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。そこで二人も、道中に起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。

 

 2021年4月4日は、教会暦でいう「復活祭(イースター)」です。そこで、イエス様の復活について、聖書から学んでみたいと思います。

 四福音書においては、マタイ28章、マルコ16章、ルカ24章、ヨハネ20~21章に詳しく書かれています。

 共通する言葉に注目しますと、「週の初めの日の早朝」「マグダラのマリア」「もう一人のマリア」「婦人たち」が「墓に行った」。しかし、イエスのご遺体はなく、「白い衣を着た天使が現われて」「あの方はここにはおられない」「かねて言われていたとおり」「復活なさった」と告げた。更に、復活された「イエス」が、「マグダラのマリア」「婦人たち」にご自身を現わされて、声をかけられた。一方、「弟子たち(使徒たち)は」、婦人たちが伝えた話を「信じなかった」のです。

 ここで天使が言ったように、イエス様は(ガリラヤにおられた頃)、「人の子は、人々の手に渡されようとしています。人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります(マタイ17:22~23)」と、ご自身に起こる苦難と死とよみがえりを三度も予告されています。

 一度目(マタイ16:23、マルコ8:31~33、ルカ9:22)は、「イエスは、このことをはっきりと話された」。「ペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた」ので、「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と、イエスに叱られました。

 二度目(マタイ17章22~23、マルコ9:30~32、ルカ9:43~45)は、「彼らは大変悲しんだ」。「理解できなかった」けれども「イエスに尋ねるのを恐れていた」「分からないように、彼らから隠されていた」。

 三度目(マタイ20:17~19、マルコ10:32~34、45、ルカ18:31~34)は、エルサレムの途上で、十二弟子に語られますが、弟子たちには、「何一つ分からなかった」「この言葉が隠されていて、理解できなかった」。十字架の後、からの墓を見ても、「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった(ヨハネ20:9)」のでした。

「婦人たちは、イエスの言葉を思い出した(ルカ24:8)」から、イエス様が三回予告されたことを、婦人たちも聞いていたと思われます。「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、弟子たちに知らせるため走っていった(マタイ28:8)」「誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである(マルコ)」「走っていって、彼らに告げた(ヨハネ20:2)」。このようにして、走ったところに婦人たちの喜びが表現されていると思います。

 エマオへ旅する二人の弟子たちに、復活されたイエス様が現れ、会話をする場面があります(ルカ24:13~35)。この二人は、内村鑑三によれば、使徒以外の平信徒です。目がさえぎられていて、イエスだと分からない二人に、「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」と、憐れみに富んだ声をかけられます。「キリストは、必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか」。それから、「ご自分について、聖書全体に書いてあることを、彼らに説き明かされ」、二人にとって幸せな時間が流れます。

 二人は、その体験をこう語っています。「道々お話下さる間、私たちに聖書を説き明かして下さる間、私たちの心は内で燃えていたではないか(ルカ24:32)」。目が開かれ、イエス様だと分かった彼らは、暗くなっているにも拘らず、急いでエルサレムへ走ります。

 最後に、イエス様は、使徒たちに現われて「不信仰とかたくなな心をおとがめに」なり、「聖書を悟らせるために、彼らの心の目を開いて」こう言われます。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる(ルカ24:45~47)」。

 初めて復活の奥義が説き明かされ、弟子たちに新たな命令が下ります。「わたしもあなたがたを遣わす(ヨハネ20:21)」「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい(マルコ16:15)」

 

 今回、私は、聖書を読む態度を学ばせていただきました。

1 イエス様がお語りくださっていると思って読む。

2 必ず成就する預言と思って読む。

3 鈍い心を開いて、悟らせてくださいと祈りつつ読む。

 聖書を学んでいて、「心が燃えている状態」を実感した時、私たちは、復活したイエス様と共に在ることの証人となるのではないでしょうか。

 アーメン。