「コリントの信徒への第二の手紙」第7回(星野光利)

 11月28日に、今年12回目の集会が行われました。感染症対策ガイドラインに則って、慎重に行いました。

 聖書講解は、星野光利兄による「コリントの信徒への第二の手紙講解第7回」(讃美歌213番、151番/聖書 第二コリント8章1〜7節/司会 小山祐子)です。

 星野兄は、コリントの信徒への第二の手紙を取り上げ、塚本虎二の「コリント後書講義」(軽井沢講演 皆川とし子筆記筆記、1936年)を引用しつつ講義をされました。

 コリント後書は、難解で分かりにくい書であると言われていますが、それは、この手紙を書いた時の、パウロの置かれた状況が分からないことに原因があります。その一方で、パウロの人間としての喜怒哀楽がはっきりと現れており、パウロという人間が良く分かるという面もあります。

 今回の講解では、8〜9章を取り上げて、塚本先生の講義録をもとに説明されました。

 8〜9章は、寄付(献金)の問題を取り上げています。エルサレム教会が貧乏しているから、寄付をして助けようというのです。

 エルサレム教会に寄付をする問題は、エルサレムでの使徒会議(48年頃)で決まりました(ガラテヤ書2章9〜10節)。この時、エルサレム教会は割礼のある者に、パウロは割礼のない者に行くという縄張りが決まったのです。そして、その際に、地方の教会は、貧しいエルサレム教会の信者を助けて欲しいという提案がありました。パウロは、自分が伝道して建てた教会に働きかけて、それを実行したのです。8〜9章の背後には、こうした歴史があります。

 

 パウロは、第3回のコリント訪問(55年頃)の折に献金を集めて、コリントからエルサレムに向かいました。この時、コリントで書かれたロマ書(15章25〜28節)には、その予定が記されています。

 献金の問題について、パウロは、クリスチャンの互いの愛をよく示すものだと考えていました。アンテオケのような地方教会とエルサレム教会が仲良くするためにも、地方教会からエルサレム教会に献金を送るのが良いという考えがあったようです。

 8章1〜7節は、マケドニアの兄弟たちはしっかりやっているから、コリントのあなた方もしっかりやりなさいということを示しています。マケドニアの兄弟たちは、喜んで与えて、しかも、その後満ち溢れている。これは、普通の経済とは違う「神の経済」であり、「愛の原理」です。それが、また神の恵みとなって、与えるものの心を富ませて、信仰から信仰へと進むのです。

 10〜12節でパウロが示しているのは、人の内面が変革されることが、人の新しい行為(献金など)に先行し、人の内面の変革は、イエス・キリストの十字架の福音から生じるということです。

 13〜15節では、献金によって互いに平等になるという趣旨を述べています。これは、愛と感謝であり、社会主義とは違うものです。

 16〜24節では、パウロの常識が示されています。献金を取りにテトスと、もう一人の兄弟を派遣するという点に、パウロの常識が現れています。疑いを避けるためには、二人の方が良いという判断です。

 9章1〜10節には、献金の意味を理解して、しっかり準備をして欲しいという趣旨が述べられています。功利主義にの考えに立って、神と取引をするという発想は、パウロにはありません。

 11〜15節は、今日の箇所の締めくくりの部分です。奉仕を受けた人も、奉仕を行なった人も、神の恩恵の実に与ったとして、神に感謝をし、感謝することによって神に栄光を帰するのです。 以上