2023年11月8日(水)に、水戸無教会聖書集会有志を発起人とする講演会「沖縄が当面する問題について」(講師 西浦昭英氏)が開催されました。
沖縄の抱える問題について、現場を熟知される西浦氏のレポートが行われました。
米軍基地が沖縄に集中するようになった経緯について、歴史的な角度から説明が行われたほか、米軍基地が集中した沖縄の負担の重さが浮き彫りにされました。
辺野古の新基地建設工事は、海底地盤の堅い部分は100%完成しましたが、地盤が軟弱な部分は手付かずで、工事は、ほぼストップした状態だそうです。
沖縄の問題は、私たち日本人全体の問題だと受け止める必要性を感じました。
「沖縄の平和」
副題・・キリスト教信仰50年で気づかされたこと
那覇聖書研究会 友寄隆静
1963.1.15私は16歳(高1)の時にキリスト教の洗礼を受けました。罪からの救い主としてイェス・キリストを受け入れました。古い自分を捨てて、新しい自分になる新生の印として、洗礼を受けました。浜辺で兄弟姉妹が讃美歌320番「主よ、みもとに近づかん」を歌っている中、牧師に導かれ、海の中に全身を沈める浸礼を受けました。その場所は現在、海を埋め立ててできた野球場、日ハムのキャンプ場「21世紀の森」ができている沖縄県名護市にありますが、昔の面影は全くありません。進学に悩んでいた高校三年の5月頃、友人から頂いた一冊の書物 それは内村鑑三著「キリスト信徒の慰め」でした。岩波文庫の100pもない書物でしたが、「明治の日本に巨人がいた」との衝撃を私に与えました。そのことについては後程改めてお話ししたいと思います
那覇聖書研究会の友寄道子さんから、お便りを頂きました。お便りと共に、2010年と2020年に琉球新報掲載された2つの投稿のコピーを同封して下さいました。
2つの投稿を読み比べてみると、10年経っても沖縄の現状が変わっていないことがよく分かります。
米軍基地が集中している沖縄から、基地が撤退して、平和が回復することを祈ります。
琉球新報2010年4月10日投稿
許しがたいこと(友寄道子 63歳)
「最低でも県外」と私たち沖縄県民に夢と希望を与え新しい政権が発足した。大事な命の一票を投じた多くの県民。今や希望は失望に変わりつつある感だ。なぜなら基地移設は沖縄ありきと言わんばかりに国外・県外を真剣に、大げさに言えば命がけでさがした形跡が私には全く感じられない。
おととし、和が家の愛娘が米兵の車のボンネットにはね上げられ振り落とされ、米兵はそのまま逃走した。現場を見ていた人たちが車のナンバーを警察に伝え、すぐに警戒網を張ったおかげで基地の中へ逃げこもうとするところを捕らえた。恐ろしい、許しがたい事故・事件に遭った。
基地がもたらすものは、事故・事件・爆音の公害である。人間の心も安まらない。もうこれ以上私たちの子や孫に負の遺産を残してはいけない。子どもを産みはぐくんできた一人の母親として、基地はもちろん戦争に関する一切の事を拒否したい。
負の遺産を残さないためにはどうすればいい?
非暴力で平和を愛した沖縄のガンジーともいわれた、伊江島の阿波根オジーの声が聞こえる。「みんなが反対すれば戦争はなくなる」「みんなが反対すれば基地はなくなる」と。この言葉をみんなにお伝えしたい。(沖縄市)
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琉球新報2020年11月26日投稿
無くならぬ基地被害(友寄道子 73歳)
うるま市内の環境のいい地域に転居したと、喜んでいた。ところが、朝昼夜、真夜中を問わず飛び交う米軍機騒音の波、波、波に大きなショックを受けた。
テレビ、ラジオの音が聞こえない。さらに電話も相手の声が聞き取れない。ほとんど家にいる主婦にとってはイライラが募り、耐えられない騒音である。
以前、北谷町砂辺に住んでいた。その頃、赤ん坊だったわが子に授乳させていたが、何度もはき出した。さらに、便秘も繰り返した。
物言えぬ赤子は体で不調を訴えていた。また、上の子どもたちは大声で怒鳴って話している。人の話をきちんと聞けない。落ち着きがない。これは連日、米軍機の騒音の下で生活した影響だと考えられる。
10年前には、娘が米軍人が運転する車にはねられた。命は別状なかったが、これも大きな基地被害だ。
人が殺しあう戦争を目的とした基地と訓練を許してはいけない。それをやめさせるにはどうしたらいいか。「みんなが基地を反対すればなくなる」「みんなが反対すれば戦争は起こらない」
今、改めて平和を愛し、米軍に奪われた土地を取り返すため非暴力抵抗運動に尽力してきた伊江島「命どぅ宝」の故・阿波根昌鴻さんの生き方をかみしめ、自分にできることを実践していきたい。(うるま市)
キリスト教保育所同盟沖縄地区会クリスマスメッセージ
「マリアの心」
友寄隆静
2017.12/2 沖縄キリスト教短期大学チャベルにて
キ保同沖縄地区会の皆様、クリスマスおめでとうございます。
50年前の1967年7月、8月に私は岡山県倉敷市の日本基督教団倉敷教会で 50日間お世話になりました。その教会の隣に、 大原美術館がありまして、そこで見たのが只今お読みいただいた、聖書の箇所を絵にしたエル・グレコの作品「受
胎告知」の絵画でした。グレコはスペインを代表する有名な画家の一人ですが、50歳頃の 1600年頃に描かれたようです。
大きな翼の天使ガブリエルが、未婚の女性マリアに「神様に恵まれた方よ、おめでとう」と言われた瞬間、 驚きと戸惑いの表情のマリアと、その頭上では天使たちが祝福の音楽を奏でている絵です。
聖書はクリスマスの物語として、マタイによる福音書では、天使がマリアのいいなずけのヨセフに現れ、星占いの博士たち、ヘロデ王が登場しますが、ルカによる福音書では天使がマリアに現れ、羊飼いたちに現れ、ベツレへムで生まれたことが記されています。
光の子保育園では毎年クリスマスをお祝いしていますが、11月の誕生会の余興は保育士の先生たちが聖誕劇を演じ、12月には年長の幼稚園組の全員が役割分担をして今年は来る16 日のクリスマスに演じることになっています。
ストーリーは一緒でも、 演じる子供たちは毎年違いますので、何度見ても飽きません。天使がマリアに現れてお告げをする個所ももちろん出てきます。
未婚の女性に突然「あなたに、 来年男の赤ちゃんが生まれますよ」と言われたら誰でもピックリすることでしょう。「えーっ、まさかでしょう。ありえない」と考えるのが普通でしょう。 マリアも同様でした。その思いは当然のこととお見通しの天使は「神にできないことは何一つない。あなたの親類のエリサベトも不妊の女と言われ年も取っているが、もう身重になって6か月になっているよ。」と告げました。「神にできないことは何一つない」ことを覚えることがクリスマスであります。このお告げの前にマリアは「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と返事をしたので天使は去っていったといいます。
しかし、マリアは余りの出来事に、このことが夢ではないか、幻ではないか、ウソではないかと心の揺れを感じて数日間過ごしたことと思います。
その結果のマリアの行動は何でしたか。「親類のエリサベトが、 6か月の身重になっている。」との天使の言葉を思い出し、 エリサベトの家に出かけることでした。「急いで山里に向い、ユダの町に行った。」とあります。「急いで」 とあるのは、天使のお告げが嘘か本当か早く確かめたいとのマリアの心を表していると思います。実は私、友寄は昨年11月に年休をとりましてイスラエルを旅行してきました。イスラエルは日本の四国の面積、840万人の国、です。
沖縄からイスラエルまでは飛行機の直線距離で87941kmありますが、成田国際空港からロシアのモスクワまでアエロフロート航空機で 10時間、 乗り換えてモスクワからイスラエルのテルアビプ・ベングリオン国際空港まで更に 4時間かかりました。この短い旅行での収穫は距離感覚が分かったことでした。聖地エルサレム周辺の地形はアップダウンの多いところで、イェスキリストがゲッセマネの園で逮捕されてから、大祭司の屋敷とかピラトの官邸など引きずり回されて裁判、十字架にかけられるまでは1.2kmくらいであることが分かりました。そして今日の話との関連で言えることは、マリアの住んでいたナザレから親類エリサベトのいるユダの町までの距離は何と100kmもありました。沖縄なら糸満の喜屋武岬から国頭の辺戸岬までの距離をマリアは自力で歩いて出かけたことが分かりました。徒歩で 100lkmという距離は1日では着きません。2000年前のことですから、3~4日はかかったのではないでしょうか。到着した途端、エリサベトのおなかの赤ちゃんが踊りだしたというのです。 マリアはその事実を自分の目で確認することで「神にはできないことは何一つない」という天使の言葉は信じるべき言葉であることを確信したのであると思います。 戸惑いから確認のための行動をとり、確信へと進んだマリアの姿は、 子どもを愛する保育士の皆様の姿に重なります。 共通確認は特に必要なことであります。
この世界を造られた神様は、命の造り主であります。人の思いを超越した方です。イスラエルの先祖、アブラハム 100歳の時、不妊の妻サラは 90歳で息子・イサクを生んだとあります。また不妊の妻ハンナも神様に祈り続けて身ごもり、預言者サムエルの母となりました。
男女の開係なしに神の子・イェス様を身ごもり、馬小屋でお産したマリアの心、それは「神にはできないことは何一つない」という信頼でありました。罪なき神の子が十字架につき、 理不尽の死を余儀なくされ、復活された出来事もまた「神にはできないことは何一つない」を示しております。 このことを信じて生きる人に神様はさらに大きなプレゼントを下さると言います。
<祈り>
神様は私たちを愛し、人間には不可能な、人間の罪を許すために、イェス様をこの世界にプレゼントしてくださいました。 マリアのように私たちも「神にはできないものはない」を信じられるようにしてください。この世界から沖縄から軍事基地や暴力、 貧困がなくなり、 互いに愛し合う平和の世界となる日がきますように、キ保同につながる私たちを平和の器として用いてください。この祈りを平和の主、イェス·キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
↓の動画は、夕拝の際に歌われた讃美歌(讃美歌第2編171番)です。
<普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会>
2019年6月、沖縄に出かけた時に、普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会に参加して来ました。毎週月曜日の午後6時から始まります。よほどの悪天候でない限り、歌い続けて来たそうです。
この会は、2012年10月、オスプレイが沖縄に強制配備されることに抗議する意味で結成されました。
沖縄の米軍基地に反対する運動は、平和的に行われることが特徴です。米兵も良く知っているゴスペルを歌いかけることによって、平和のうちに基地返還を求める沖縄の人々の思いが伝わるのだと思います。
反対運動のもう一つの特徴は、超教派で行われることです。ゴスペルを歌う会には、カトリック、日本基督教団、バプテスト、無教会など、様々な信仰的な立場のクリスチャンが関わっています。時には、お坊さんが参加することもあり、袈裟衣を身に纏ったお坊さんと一緒にゴスペルを歌ったことがあります。平和を求める思いに、宗教の違いなど関係がないことが、良く分かります。
ここで歌っている「We shall overcome !」は、マルチン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と演説し、人種差別の撤廃を訴えて、ワシントンで大行進を行なった時に歌った曲です。
普天間基地が返還される日まで、歌い続けていくことでしょう。
主は国々の間をさばき、
多くの国々の民に、判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことを習わない。(イザヤ書2章4節)
(イザヤ書2章の言葉は、ゴスペルを歌う会でしばしば朗読されます。)